鶯の困惑

二月に入ってからというもの、千尋は不審な行動をとっていた。
忍人の方をジッと見つめていたかと思うと、慌てて目を反らして溜息をつく。あるいは、チラッと見遣っては、何やら真剣に考え込むような素振りを見せる。
俺は何かしただろうか、と忍人は最近のことをいろいろ思い返すのだが、まるで心当たりがなかった。もっとも、女心に疎い自覚は有り余っているので、心当たりがないことなど珍しくもない。
こんな時は思い切って訊いてしまうに限ると、忍人はこれまでの経験から千尋に直接あたることにした。
「千尋…俺は何か君の気に障るようなことや、君を憂えさせるような言動をしたのだろうか? もし、そうなら、遠慮などせずにハッキリと言ってくれ」
「えっ、あっ、いえ……違います、そんなことありません」
「その割には、最近やけにふさぎ込んでいると言うか、思い悩んでいるようだが…」
「あああ、あの……すみません。気にしないでください!」
そう言って恋人に駆け去られて、気にせずに居られる方がおかしい。それは忍人だって例外ではなかった。

「……という訳なんだ。何か心当たりなどないだろうか? あれば、是非とも教えてもらいたい」
「はぁ、お話は何となく解りましたけど……本題に入る前に一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、何なりと…」
「今のお話を聞いた限りでは、あなたは自主的に私の元へ相談にいらしたと判断されます。何故、そうしようと思われたのでしょう?」
柊が不思議がるのも無理はない。普段の忍人は、柊のことを蛇蝎の如く嫌っているとまでは言わないが、近寄れば反発は必至。柊のことを大嘘つき呼ばわりして、その言を頭から疑ってかかる。事が千尋の悩みや望みに関する限り嘘は言わない、と確信しているとは言え、誰かに促されたのでもなしに自分から相談を持ち掛けて来るなど俄かには信じ難いことだ。
「……ったんだ」
「はぃ?」
「だから……他にアテがなかったんだ!」
忍人は正直に理由を語る。
「千尋が不可思議な行動をとる理由に心当たりがありそうな者と言ったら、風早と那岐とお前しか居ないだろう? 加えて、そこにもし俺の言動が関わっていたのだとしたら、那岐には解らないだろうし、風早には迂闊に訊くと”そんなことも解らないから千尋が…”とか怒り出して、折檻された挙句に結局解らず終いということになりかねないじゃないか。だからもう、お前しか訊ける相手が居なかったんだ」
「意地悪されるとか思いませんでしたか?」
「全く思わなかったと言ったら嘘になるが……お前は、千尋の憂いを除くためなら、ちゃんと相談に乗ってくれるだろう? 俺に非があったのなら、再び同じことで千尋を憂えさせない為にも、風早と違って理由くらいは教えてくれそうだし…」
まぁ、その理由如何によっては何らかの責めを受けることになるやも知れないが、理由も解らぬまま折檻だけされるよりは遙かにマシだと思う忍人なのだった。
「適切な人選だと、言っておきましょう。ですが、残念ながらお力にはなれません」
「なっ…!?」
「だって、あなたに非は有りませんし……何も出来ませんからね。今言えるのは、あと数日で問題は解決される、ということくらいでしょうか」
「つまり、お前は千尋のあの行動の訳に心当たりはあるんだな? だったら…」
「申し訳ありませんが、それを私の口から説明することは我が君のお心に沿わぬ事となりますので……これ以上は何も申し上げられません。我が君の御為にも、あなたはこの件を追求することなく普段通りにお過ごしください」
「…………」
「意地悪で言ってるのではありませんよ。それだけは誤解しないでくださいね。私だって、珍しく忍人の方から自主的に相談を持ち掛けられたからには、本当にお力になりたかったんです。お疑いなら風早や那岐にも確認してくださって結構です」
ここまで言うからには信じても良いだろう、と忍人は思った。疑うことは出来ないこともないが、千尋の為にも追及せずに普段通りに過ごせ、との言葉にだけは嘘はない筈だ。
千尋の為にならぬ嘘はつかない、それは忍人はおろか狭井君ですら疑いようのない真実だった。

そして数日後。忍人の抱いていた謎の一端は明らかとなった。
千尋は異国の風習について説明と共に、あまり甘くない茶菓子を差し出した。勿論、忍人は丁重に謝礼を述べてそれを受け取る。
しかし忍人は、千尋があれ程までに不審な行動をとっていた理由については、ついぞ理解出来なかったのであった。

-了-

《あとがき》

バレンタインデーを前にして、不可思議な行動をする千尋の様子に頭と心を悩ませる忍人さんのお話。

”鶯”は二月の季語です。そして、ことわざの「梅に鶯」「鶯鳴かせたこともある」などでは、梅の花が女性、鶯が男性を表しています。
つまり、タイトルの”鶯”は季節と忍人さんの両方を示しているという訳です。

さて、背に腹は代えられぬ、と意を決して柊に相談した忍人さんでしたが、謎は深まるばかり。
でも、柊の回答についての謎は一応解けています。
但し、毎度のことながら、忍人さんに乙女心について理解させることは出来ませんでした。

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