君の為に

「柊、居るか?入るぞ」
何処となく元気なさそうに、遠慮がちに声を掛けられ、柊は読みかけの竹簡から顔を上げた。
すると、普段と打って変わって俯きがちで部屋に入って来た忍人は、また遠慮がちに声を発する。
「少し時間を貰えるだろうか?あなたに聞きたいことがある」
「尋問ならお断りします。物証が出てから来てください」
そんな柊の反応に、忍人は瞬く間にいつもの調子で怒鳴った。
「貴様、また何かやったのかっ!?」
「はて、心当たりはありませんが…あなたが、聞きたいことがある、などと言うものですから…てっきり何か起きて、それを私の所為だと決めつけているのかと思いました」
勿論柊は、本当はそんなことは思っておらず、忍人をからかっているのである。
何しろ、そういう時の忍人は、こんな遠慮がちな素振りは見せない。柊の都合は当然のこと、周りの都合も構わずにズカズカと柊に歩み寄り、いきなり胸倉を掴む。柊のことを"あなた"と呼ぶなど有り得ない。
何か事情がありそうだと解っていながら、柊は冷ややかな素振りを装って、また竹簡に目を戻した。
それで立ち去るかと思いきや、忍人は困ったようにその場に立ち尽くしている。
「どうやら、余程の事情がお有りのようですね。解りました…そこにお座りなさい」
柊が竹簡を置いて、角を挟んで向かいの椅子を指すと、明らかにホッとした様子で忍人はそこに腰かけた。

「それで…私に何を聞きたいんですか?」
柊が改めて問いかけると、忍人は恥じらうように口を開いた。
「その…聞きたい、と言うか…教えて欲しいことがあるのだが…」
柊は自分の耳を疑った。忍人から教えを請われるなど、もう何年もなかったことだ。そう、忍人が師の元に弟子入りしてからほんの僅かな間だけの短い期間しか、そんなことはなかったのだ。
「今…何やら、幻聴が聞こえた気がします。すみませんけど、もう一度言ってもらえますか?」
それを忍人は嫌がらせと取ったが、堪えてもう一度話を切り出す。
「だから…教えて欲しいんだ。俺は、千尋の誕生日に何を贈ればいいのだろうか?」
「ああ、そういうことですか」
やっと忍人の不審な挙動に合点のいった柊であった。

千尋の誕生日は数日後に迫っていた。
本来、豊葦原では年が明けると皆が一つ歳を重ね、誕生日を祝うという習慣はないのだが、別の世界で5年間過ごした千尋には自分も含め誕生日は大切な記念日となっている。忍人も柊も、千尋から誕生日を祝ってもらっていた。
その千尋の誕生日が近付くにつれて、忍人の悩みは深まっていった。何を贈ればいいのか、全く見当がつかない。誕生日を祝うという習慣と千尋の誕生日を知ってからずっと考えていたのだが、思い付かないまま今に至る。

「そういうことでしたら、風早の方が詳しいのではありませんか?」
「俺もそう思って、まずは風早に相談に行ったのだが…自分のことで手いっぱいだから柊に聞けと放り出されてしまった」
今の風早は、こちらの世界で手に入る材料と道具を使って"バースディケーキ"を作る為に奔走している。千尋が昔を思い返して不用意に漏らした一言によって、道臣やリブまで巻き込んで大騒ぎだ。
「それで素直に私のところに相談に来たのですか?」
「いや、それは……実は三日三晩悩んだ末に、仕方なく…」
柊に問いに、忍人は正直に答えた。
柊になんか相談したくない、しかし千尋の誕生日は祝いたい。思い悩んだ末、期日が差し迫った今日、ついに背に腹は代えられぬと足取り重く柊の元を訪ねた忍人だった。
「我が君の為にそこまで出来るようになるとは…成長しましたね、忍人」
柊は感無量といった感で、手を伸ばして忍人の頭を撫でる。
その掌の下で、忍人は必死に耐えた。殴りたい。否、今すぐその首を斬り飛ばしたい。そんな気持ちを必死に堪えて、忍人はされるがままになっていた。
すると柊は、しばらくその状況を楽しんだ後、やっと答えをくれたのだった。

誕生日当日、忍人は全ての仕事を他の者に割り振った。
「今日一日、俺の時間を君に贈る」
柊の発案なのは忍人の気に食わないが、千尋はとっても喜んでくれた。そして、嬉しそうに問うてくる。
「それって、忍人さんの時間を私の好きなように使っていいってことですか?」
「ああ、何かして欲しいことがあれば遠慮なく言ってくれ」
そう答えた忍人に、千尋はちょっと考えてからこう言った。
「それじゃあ、今日一日、柊と喧嘩しないでいてもらえますか?」
「そ、それは…」
千尋から予想外のお願いをされて、忍人は戸惑った。
「だって、忍人さん、柊と喧嘩になると私のこと忘れちゃうじゃないですか。そうなったら、その間、忍人さんの時間は私のものじゃなくなっちゃいますよ」
千尋の主張はもっともだったので、忍人は渋々とは言え頷かざるを得なかった。
「…努力しよう」
すると、クスクスと笑う声が聞こえて来た。その声に続いて、柊が姿を現す。
「我が君の仰せとあらば、私も努力いたしましょう。ご生誕のお祝いとして、私も、忍人の時間を全て我が君に捧げます」
「ありがとう、柊。これで一安心だね」
にっこり笑った千尋は、それから忍人とのデートを満喫することにしたのだった。

-了-

《あとがき》

千尋の為なら、柊に教えを請う不快さにも、その嫌がらせにも耐える忍人さん。
一方、千尋の為なら、使えるものは何でも使う、常世の人間だろうと構わず使う風早。道臣さんは材料調達係、リブは道具製作係です。
そして、千尋の為なら、忍人で遊ぶのを丸一日我慢する柊。まぁ、一番楽をしてますね(^_^;)

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