小事の平穏
「忍人さん、気分はどうですか?」
    「ああ、だいぶ良い」
    その言葉通り、差し込む光に照らし出された忍人の顔色は良いように見えた。その様子に安堵する千尋に、忍人の方から話しかける。
    「即位式の準備は順調に進んでいるようだな」
    「ええ、まぁ、私にはよく解りませんけど…。周りがどんどん動く中で、私も覚えることがいっぱいで……って、誰からそんな話を聞いたんですか? 忍人さんにはお仕事の話はするな、って皆に言ってあるのに…」
    「先程まで風早と柊が来ていたんだ」
    「もうっ、柊ったら…。寝込んでる忍人さんにはちょっかい出すなって、何度言ったら解るのよ。後で、ちゃんと叱っておきますね」
    目を剥く千尋に、しかし忍人は苦笑しながら言う。
    「いや、叱るなら風早にしてくれ」
    「えっ?」
    「柊を庇うつもりは毛頭ないが、奴は終戦後の事や式の準備の進捗具合を、それに纏わる些細な揉め事や君の様子などを交えて簡潔に話して行ったに過ぎない。何も知らぬままこうして寝ているのも正直辛く思えて来ていたところだったから、聞かせてもらえたのは有り難かった。それに対して風早は、その話題にかこつけて横から口を挟んで君の自慢話を滔々と語って……無視して柊が話し終えた後も、一向に口を噤もうとはしなかった。長居して忍人を疲れさせては姫よりお叱りを受けますよ、と言われても尚語り続け、最後には柊が引き摺り出すようにして帰って行った」
    そう聞かされて、千尋は頭痛を堪えるように額を斜めに掌で押さえながら大きく溜息をつく。
    「……風早をとっちめて、柊は軽く釘をさした後にちょっとだけ褒めておきます」
    「そうしてやってくれ。調子に乗ると叱られる、良いことをすれば褒められると解っていれば、奴らもしばらくは大人しくしているだろう」
千尋を見送った後、忍人は「少しだけ…」と誰にともなく言い訳をして、そっと床から抜け出した。
夜着の上から長衣を羽織り、刀を纏めて胸元に抱えると、開け放たれた窓の縁に半身を預けるようにして外を眺めて独り言つ。    
    「いつのまにか、こんなにも日が伸びていたのだな」
    あの戦いの後、しばらくの間、忍人は目を覚まさなかった。そして目覚めてからもまだ外気が身体に触るからと、暖かな日差しのある時を選んで空気の入換を行う以外には、蔀戸は閉ざされていた。おかげで、忍人はあれからどうなったのか、どのくらいの時が過ぎたのか、まるで実感出来ずに居た。
    しかし今日、柊が要領よく話して聞かせてくれたこともあって、やっと自分の中で一区切りついた気がする。
    「随分と風が心地良い」
    柔らかく色付いて来た近辺の風景も、眼下で忙しくも悲壮ではなく活気に満ちた顔で駆け回る官人達の様子も、今この時が平和であることを実感させてくれる。
    「千尋……君はこれから、どんな国を作っていくのだろう。そして俺はこれから、どれだけ君の力となれるのだろう」
    戦いは終わった。しかし千尋の戦いは、寧ろこれからの方が大変だろう。それでも千尋は、押し付けられた軍を自ら背負ったように、国も背負うに違いない。
    忍人はそんな千尋の力になりたいと心から願う一方で、自分が彼女の重荷になることに不安を感じずにはいられない。
    千尋との約束で破魂刀を封印したとは言え、削られた命は果たしてあとどれだけ残っているのか。
    「本当に、どれだけ……いや、俺はいつまで君の力になれるのか…」
      「何を弱気なことを言ってるんですか。そのような言葉は、忍人らしくありませんよ」
      千尋を思い浮かべての独り言を聞き咎めたように、背後から声が掛かった。
「…っ……道臣殿か…」
      敵意がないとは言え、これ程までに近付かれ、あまつさえ声を掛けられるまで気付けなかったことに自省の念を感じ、それでも相手が道臣であったことに忍人は僅かな安堵を覚えた。
      そんな忍人の心情をつぶさに読み取りながら、道臣は気付かぬ振りをする。
      「だいぶ体調が良くなって来たからと、姫よりようやくお見舞いのお許しを得られたので参ったのですが……もう起きたりして良いのですか? 少しは暖かくなって来たとは言え、そんな処に居ては身体に障るでしょう」
      「あっ、その…少しだけ外を眺めたくて……天井ばかり見ているのには飽きてしまったものだから……」
忍人は気まずそうにその場を離れると、寝台に戻って横になる。その様子から道臣は、忍人が勝手に起き出したのだと察した。
      子供みたいな真似をする忍人に苦言を呈そうとして、しかし道臣はこれでも昔よりは成長したのだと思い直す。
    振り返って見れば、昔の忍人はこういう状況では「大丈夫だ」と言い張るばかりだった。それが自分で戻って休むようになっただけでも良い傾向だと考えるべきなのだろう。
    それに床を脱け出したとは言っても、外へ出てしまった訳ではなく、ほんの少し起き出して部屋の端かに行っただけのことだ。今回だけは大目に見てあげるとしよう。
      そこで道臣は、忍人を優しく言い諭す。
      「あなたなら、大いに姫の力となれましょう。ですから、いつまでもそう在れるように、これからはもっと自分の身体を大切にすることを覚えるようにしてください」
    その声に忍人が小さくだが頷いたように見えたのは、多分、道臣の目の錯覚ではない筈であった。
-了-
《あとがき》
決戦の後で倒れた忍人さんを、いろんな人が見舞うお話。
  行間ならぬ行前で柊と風早、冒頭で千尋、後半で道臣さんが訪れる形となりました。
  そして、ラストはあの忍人の書EDへと続きます。自分の身体を大切にってことで、忍人さんはこの後ずっと大事をとって寝ていたのだけれど、結末はああいうことに…。
  もっとも当サイトでは、あの手この手で忍人さんを生き長らえさせてます(*^_^ ;)

