花嵐

三輪山の桜が三分咲きとの知らせを受けて幾週間、休日となると天気が崩れることの繰り返し。
「これじゃあ、出掛けられませんよね」
無理に行ったところで桜を楽しめるはずもなく、千尋は肩を落として力なく忍人に微笑みかける。忍人も、天気が相手ではどうしようもなく、せめて千尋が少しでも楽しめるようにと心を砕いたものだが、こう毎度毎度休日ばかりに悪天候となられると気鬱になる。
「はぁ~、休み明けにはこんなに晴れていると言うのに…」
忍人は天を仰いでから深く嘆息する。
このままでは桜が全て散ってしまう。
まだ花が残っている内に千尋を連れて行きたいと思うものの、お互い重職にある身なのでそう易々と職務を投げ出す訳にはいかなかった。正直、千尋が「予定を遣り繰りして、お仕事の合間にでも行きましょうか」と言い出したなら諸手を挙げて賛成したいところなのだが、こういう事に関しては千尋は我儘と思って飲みこんでしまうのだ。
こうなったら俺の方から誘うか、と考えてはなかなか実行に移せず、時だけが過ぎて行った。

「忍人さま…姫さまと何かあったんですか?」
忍人は、また深く溜息をついたところで、足往から心配そうに声を掛けられた。
「……いや、千尋とは特に何も…」
「でも、姫さまも忍人さまも、最近ずっと沈みがちで……喧嘩でもしたんじゃないかと、おいら、心配で…」
本気で自分達を心配してくれる足往に、忍人は苦笑した。
「お前に見抜かれるようでは、俺もまだまだ修行が足りないな」
「じゃあ、やっぱり、姫さまと喧嘩したんですか?」
「いや、そうではない。ただ、どうにか千尋を元気付けてやりたいのだが、なかなか上手くいかなくてな」
そうと聞かされて、足往はひとまず胸のつかえが下りた気がした。そんな足往を見て、忍人は吹っ切れたように言う。
「お前のおかげで、覚悟が決まった。ちょっと、出掛けて来る」
「はいっ、いってらっしゃいませ、忍人さま!」
足往の元気な声に背中を押されるように、忍人は柊の居そうな場所へと歩を進めた。

「……あ~、えぇっと、すみません。今、何と仰いました?」
忍人の言葉に面食らったように、柊は聞き返した。すると忍人は、平然と繰り返す。
「だから……今から千尋を誘って三輪山まで行って来るから後を頼む」
「まさか、いきなりそう来るとは思いませんでした」
そろそろ忍人が何らかの助けを求めて来るだろうと、貸しを作る絶好の機会とばかりに手薬煉引いて待っていた柊だったが、さすがにここまで大胆な行動に出て直球の頼み事をして来るとは予想外だった。
既に桜は満開に近い。度重なる風雨に耐えて何とか咲き誇っているが、満開となってからのそれには果たして耐えられるかどうか。そして、柊の予測では次の休日も荒れ模様の天気となる。それは忍人も、自然と感じ取っているのだろう。
だから柊は、忍人が「何とかならないか」と泣きついて来るのを待っていた訳なのだが、忍人は別の形で柊に頭を下げる道を選んだということか。
ですが、「行って来るから」ってのは何なんですか。もう、行くのは決定事項ですか?
そう心の中でツッコミを入れるも、柊は口では別のことを言う。
「忍人…君、仮にもひとにそんな大事を頼もうとするのでしたら、もう少ししおらしく出来ませんか? 会釈程度にちょこっと頭下げて、”頼む”の一言だけだなんて……普段のあの態度を鑑みれば、跪いて懇願していただいても良いくらいですよ」
そんな柊に、忍人はちょっと考えてから含みを持たせた声音で応える。
「そうしろと言うのなら、本当にお前の足元に平伏して、改めて頼み直そうか? どうかよろしくお願いします、と…」
言ってからゆっくりと身を屈め、片膝を付いたところで、柊は慌てて忍人を引き上げる。
「ぅわ~っ、やめて下さいっ!! あなたにそのような真似を強いたことが知れようものなら、我が君が烈火のごとくお怒りになられるのは必至。私は当分の間、一言も口をきいていただけなくなってしまいます」
忍人がわざわざ訪ねて来て頼み事をする時点で既にかなりの捨身なのは重々承知していたが、よもやこれ程までだったとは……それだけ毎年恒例のこの花見が姫にとって重要な意味を持つものだと考えている訳か。これでは迂闊に嫌味も言えやしない、と柊は内心大いに冷や汗ものだった。
「それにしても、あなたは私のことを何だと思っているのやら…。普段はあんなに毛嫌いしているくせに、こういう時だけ頼って来るなど、随分と勝手ではありませんか」
「頼らなくて良い時にまで、お前を頼りになんぞして堪るか。そもそも、自分で何とか出来ることまで他人を頼ってどうする?」
すっぱり言い返されて、柊の方が納得してしまう。
「まぁ、確かに、それも道理ではありますね」

「……で、結局、頼まれてくれるのかくれないのか、どっちなんだ?」
「頼まれてあげますよ。ここで断ろうものなら、今のあなたはそれこそ本気で土下座でも何でもしそうですし……あなたが普通に困ってるならもっと困らせてやりたくもなりますけど、深く思い悩んだ末にこうして頼って来られたとあっては悪い気はしません。我が君の御為にもなるとなれば尚更です」
「そうか…感謝する」
「ですから、そう口先だけの謝辞などもらったところで嬉しくなんて……」
プイッと柊がそっぽを向くと、その背にふわりと忍人が身を寄せた。柊の肩に指先が掛かるようにそっとその背に両手を置いて先程よりも深めに礼をするようにして軽く頭を預けると、驚きの余り声も出ない柊に、忍人は言う。
「ありがとう。やはり、持つべきものは頼りになる兄弟子だな」
そうして晴れ晴れとした顔で去って行く忍人を、柊とそして途中からこっそり覗き見していた足往は唖然としながら見送ったのだった。

-了-

《あとがき》

二人で桜を見に行くことが定着している程度には繰り返し春を迎えている、そんな或る年の光景です。
なので、既に忍人さんは婿入りしており、出番はないけど息子の忍継くんは生まれています。

”苦しい時の柊頼み”とはLUNAのことですが、忍人さんは”苦しい時だけ柊頼み”です。普段は素直になれませんが、内心では柊のことを「いざという時は頼りなる」と思っているので、完全に手詰まりになったところで、腹を括って、柊に何とかしてもらえるよう頼みに行きます。
そうなる前に見るに見かねて柊の方から助けに行ってしまうこともあるので、その辺りはちょっとした我慢比べの様相を呈しています。

一方の風早は、子育てやら何やらいろいろ身の回りのお世話はしてくれてますけど、それを嵩に着たり、忍人さんが千尋を上手く慰められないことに対して嫌味を言ったりするばかりで、こんな時の物事の解決にはまるで役に立ちません。
その為、忍人さんの最後の台詞は、そんな風早への皮肉を含んでいます。多分、忍人さんにとっては風早が一番頼りにならない兄弟子でしょう。

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