産屋入り

「ここまで来れば、もう安心かと…。ですから、葛城将軍は、どうぞお先に橿原宮へお戻りください」
「そうですよ。一刻も早く戻って、姫様のお傍に付いて居て差し上げるべきです」
そんな部下達の後押しを受けて、忍人は急ぎ馬を走らせた。

臨月の千尋を置いて忍人が出征することになったのは、それが千尋の希望だったからだ。千尋が女王としてその決定を下した以上、忍人も逆らうことは出来なかった。
「早々に片を付けて出産までにはきっと戻って来る」
そう言って強行軍で兵を率いて出て行った忍人は、本当に早々に片を付けて、再び強行軍で帰路を進んだ。
事情をよく知る部下達は、文句も言わずに付き従って来た。だが、経験の浅い兵達が足を引っ張るのは避けられない。忍人が部下を見捨てることはないものの、端で見ていればかなり苛ついているのがよく解る。それに、皆、忍人のことも千尋のことも大好きなのだ。
そこで、忍人が妥協しそうなところまで橿原宮に近付いたところで、副将と狗奴頭の太狼が揃って先行を促したのだった。

気の利く部下達に感謝しながら、忍人は千尋の元へと駆け付けた。千尋は、既に産屋へ入ったと聞く。
「千尋は!?」
産屋の前に立っている兄弟子達にそう叫びながら、忍人はそのまま中へと駆け込もうとするが、そこで二人に止められた。
「間に合ったのは褒めてあげますけど、そんな格好で入っちゃいけません」
「湯浴みして、清潔な服に着替えてからいらっしゃい」
千尋のたっての願いで夫である忍人は男子禁制の産屋でも入室が認められるとは言え、戦帰りの砂まみれ汗まみれの身体と汚れた服で入って良いものではない。それを指摘されて、忍人は慌てて踵を返す。
「ちゃんと、髪も洗うんですよ~」
背後から追って掛けられた柊の声に、「子ども扱いするな!」と怒鳴り返す間さえ惜しんで、忍人は湯殿へと駆けて行った。

「元気な宮様です」
風早達は、ニコニコしながら岩長姫に報告した。
「千尋は?」
「我が君は、お疲れではあるものの、問題はないそうです」
すると、岩長姫は辺りを見回して訊く。
「ところで、忍人の奴はどうしたんだい?まさか、千尋や子供の傍を離れないとでも言うんじゃないだろうね」
本来こういうことは忍人が報告に来るもんじゃないのかね、と岩長姫は思うのだが、まったく忍人の姿は見当たらない。
すると、柊が目を伏せて答える。
「……産みの苦しみに耐えんとした我が君にとてつもない力で手を握られ腕を捻り上げられ、更にはしがみ付かれて瀕死の重体です。目を覚ましても、しばらくは起き上れないのではないかと……」
目を丸くした岩長姫に、風早は笑いながら言った。
「俺を差し置いて、夫の特権で産屋に入った罰が当たりましたね。立会出産を希望したのは千尋ですけど、慣例通り大人しく外で待ってればこんなことにはならずに済んだのに……」

-了-

《あとがき》

めでたく忍継くんが誕生したその裏の、忍人さんの受難のお話。
何やら短くまとまってしまいました。

現代と違って自然分娩しかないこの時代、女王様もいろいろ祈祷やら呪いやらをしながら出産に挑んだんでしょうね。
千尋も大変ですけど、その産みの苦しみに巻き込まれた忍人さんもかなり大変でした。いくら鍛えててもリミッターが解除された状態でしがみ付かれたら堪ったものではないでしょうし、戦や鍛錬で負う傷や痛みとはまるで別物ですから…。

風早も言う通り、慣例通りに大人しく外で待っていればそんな目には遭わずに済んだ訳ですが……千尋のたっての願いとあっては忍人さんも断れず、柊も風早も邪魔立て出来ませんでした。
その結果、世界が千尋とその他に別れているか否かで、二人の兄弟子の態度は大きく変わっています。
歪んだ愛情を注いでいるとは言え、忍人さんのことも大好きな柊は、忍人さんに同情的。対して風早は、「千尋も千尋の子供も元気だし、忍人だって…死んだら千尋が泣くから問題ありますけど、五体満足でちゃんと生きてるんだから良いじゃないですか」とばかりに、苦笑ではなく本当に笑っています。

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