花嫁の父兄達

黄泉比良坂から二度目の生還を果たした忍人が元通りの生活を送れるようになったある日、仕事を終えた千尋が軍の鍛錬場を訪ねて行くと、そこには忍人の姿がなかった。
代わりに指導を行っていた布都彦に尋ねると、岩長姫の邸に呼び出されたらしい。師からの呼び出しとあっては無下に断る訳にもいかず、忍人は急遽布都彦に後を任せて出掛けて行ったとのことだった。
「岩長姫の用事って何だろう?」
全快祝いの酒盛りとか言われても、忍人が大人しく参加するとは思えない。もしかして、大将軍の引き継ぎに関することだろうか。
国見砦で千尋に大将軍の座を譲った岩長姫だったが、正式にはまだ引退出来ていなかった。
国が復興され、隠れて暮らしていた重鎮達は挙って以前の役職に復帰した。自分達が懸命に闘っている時には安全な場所で息を潜めていて、全てが終わってからノコノコ出てきて元通りの待遇を要求する彼等について千尋は良い気持ちはしなかったが、すぐに動ける者が必要だったこともあり、仕方なくその要求を受け入れた。しばらくは様子を見ながら、ただ地位に胡坐をかいている者は順次切り捨てていけばいいと、千尋は自分の女王経験値を上げながら見る目を鍛えていた。
そんな中で、岩長姫も元の役職に返り咲いた。その理由は簡単で、地位を譲った相手である千尋は女王として即位することとなり、唯一新たに大将軍として認められそうだった忍人も病に倒れたからである。
しかし、忍人が元気になり、あの中つ国滅亡の折に欠員により暫定で授かった将軍位は千尋から正式なものとされ、これで今度こそ楽隠居出来そうだと岩長姫が嬉しそうに笑っていたのはつい先日のことだ。
忍人は近々大将軍となり、その次は王婿となる。
そんな中でのこの呼び出しに、千尋は岩長姫の用件はそれに関することだろうと思ったのだが、それは当たっているようで少しばかり違っていたのだった。

忍人が岩長姫の邸に着くと、邸の主の他に風早と柊が待ち構えていた。
嫌な予感を覚えながら、忍人は岩長姫に挨拶して用件を尋ねた。すると、いきなり拳が繰り出される。
忍人は咄嗟に身体を反らしてそれを避けると、そのまま転がって距離を取った。
「師君!これは一体どういうことなのか、説明してください!」
「どうもこうも、見てのままさ。あんたを一発殴ってやろうと思ってね。今のを避けるとは、大したもんだ。これなら遠慮は無用さね」
岩長姫の太鼓判に、まず柊が進み出た。
「では、始めるとしましょうか。さぁ、忍人…大人しく殴られて下さい」
「お前にそう言われて、はいそうですか、と俺が素直に殴られると思っているのか!?」
忍人は、柊に向って身構えた。逃げることは可能だが、師の真意が解らないまま立ち去る訳にはいかない。
「勿論、思ってませんよ。ですから…」
柊の次の言葉に警戒を強める忍人の背後に、いきなり風早が現れた。岩長姫の攻撃と柊の言葉に忍人の注意が向いている間に遁甲して回り込んでいたのだ。忍人がその気配に気づいた時は手遅れだった。振り返る間もなく羽交い絞めにされる。
「それでは、まずは私から……よくも我が君を泣かせてくれましたね」
そう言うと、柊は忍人を軽く引っ叩いた。
「次は、あたしの番だ。忍人…あんた、良い弟子の条件を覚えてるかい?」
訊かれて、忍人は記憶を探る。随分前に、聞いたことがあったような気がする。あれは、確か…。
「師匠より先に死なないこと……でしたか?」
「その通りさ。なのに、あんたと来たら、惜しげもなく命を削って……どれだけ死に急ぐつもりなんだい?」
それを言われると、忍人は弟子失格と言われても仕方がないと思った。最後の一欠片の命を生太刀が繋ぎ止めてくれなかったら、自分はその教えを守れず師よりも先に逝っていたのだ。
「……申し訳ありませんでした」
「まぁ、これで勘弁してやるよ」
シュンとなった忍人の腹に、岩長姫の拳がめり込んだ。充分に手加減はされていたが、それでも風早が手を放すと忍人は片膝を付く。
そんな忍人に対して、風早はニッコリ笑って正面へと回り込んだ。
「最後は俺ですね」
言うなり、風早は思いっ切り蹴りを入れた。忍人は両腕を上げて防御したが、派手に吹っ飛ぶ。
「ちょいとやり過ぎじゃないのかい?」
「忍人に怪我させたら姫に怒られますよ」
「骨の2、3本なら千尋だってきっと許してくれますよ。何しろ、忍人は千尋を……俺が大切にお育てした姫様を、俺から奪い取っていくんですからね」

「つまり、これは祝いのつもりだったと…?」
打ち身と擦り傷の手当てを受けながら今回の呼び出しの真の目的を聞いた忍人は、普段以上の仏頂面になった。
「随分と乱暴な全快祝いと昇進祝いと結婚祝いがあったものだ」
「そう言いなさんな。これもけじめみたいなもんさ」
「あなたが我が君を泣かせたことも、師君の教えを蔑ろにしたことも、風早から姫を奪っていくことも、全て事実ではありませんか?」
「師君の教えはともかく、他の2つは納得がいかん。確かに千尋を泣かせたことは悪かったと思うが、それを今更お前にとやかく言われる筋合いはない」
寝たきりだった忍人がやっと起き上れるようになった時、千尋は目に涙を浮かべて抱きついたかと思いきや、いきなり忍人を思いっきり引っ叩いた。そして「無茶しないで」「置いて逝かないで」「忍人さんの莫迦」などと繰り返し泣き喚きながら、ポカポカと殴りつけた。当事者がこれだけしたのだから、柊の出る幕などないはずだ。
「だから、形ばかりの軽い平手打ちで勘弁してあげたでしょう?」
「その点は認めなくもないが……風早はどうなんだ?結婚しても、俺が千尋の部屋に転がり込むだけで、風早は今まで通り侍従として傍に居るじゃないか。なのに、思いっきり蹴飛ばしてくれて…」
忍人は、手当てを終えてお茶の支度をしている風早に文句を言った。
咄嗟に防御して後ろへ飛び退って勢いを殺していなければ、大怪我をしていたところだ。恐らく骨の2、3本などでは済まなかっただろう。
しかし、それにも柊が反論する。
「それでも、風早と姫の間にあなたが割り込むことには違いありませんよ」
「…理不尽だ」
ムスッとした顔の忍人の視線の向こうで、風早は何事もなかったかのように笑いながらお茶を煎れていた。

そうして茶飲み話に興じていると、千尋がパタパタと駆け込んで来た。忍人がなかなか帰って来ないので、様子を見に来たのだ。
「千尋!また君は、そうやって一人で…」
慌てて立ち上がった忍人は、身体のあちこちに痛みを感じて顔を顰めた。
「どうしたんですか?もしかして忍人さん、まだ身体が…?」
「いや、何でも…」
何でもない、と誤魔化しかけて、忍人はふと思いついて言ってみる。
「大したことはない。ただ少し……風早に蹴られたところが痛んだだけだ」
視線を逸らすように僅かに目を伏せて声を抑えて言い難そうに告げる忍人の態度に、千尋は目を丸くし、風早はギクリとする。
「えっ、風早に!?」
「ああ、結婚祝いだと言うのだが…」
忍人が困惑している風に答えると、案の定、風早に向き直った千尋は角と牙の幻影を纏っていた。
「か~ざ~は~や~っ!!」
「千尋、落ち着いてください。向こうの世界では良くあることじゃないですか。花嫁の父兄が、一発殴らせろ、って…」
「風早は殴ったんじゃなくて、蹴ったんでしょ!?そんなの反則だよ!忍人さんに酷いことしたら許さないからっ!!」
千尋は風早に鉄拳をお見舞いし、風早がくの字に折れたところをポカポカと殴る。それを見ている忍人の口元が僅かに緩んだのを、柊も岩長姫も見逃さなかった。
「…忍人もなかなかやるようになりましたね」
「ふ~ん、こいつも成長したもんだ」
昔ならこんな手は考えもつかなかっただろうし、考えついたところでこのような芸当など出来はしなかっただろう。まさか風早も、忍人が千尋を利用して仕返しして来るとは思いもしなかったに違いない。
忍人は嘘は言っていない。本当に大したことはなく、風早に蹴られたところが少し痛んだだけだ。
しかし、千尋はそうは思わない。
「忍人さんが痛みを隠せないなんて、余程のことのなんだから…。もうっ、風早の莫迦!」

-了-

《あとがき》

テーマは、花嫁の父兄達による「一発殴らせろ」です。
父兄達の中に那岐を入れるかどうか迷いましたが、那岐はこういうことには乗って来ないだろうと思ったので除外しました。うちの那岐は基本的に傍観者ポジションからのツッコミ担当だし…(^_^;)
風早だけが手加減なしです。そして、やっぱり蹴るのは白麒麟の習性?

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