ナンパ男に天誅を

「お帰りなさい。随分と早かったですね」
「お揃いでそのように険しいお顔をされて……一体、何があったのですか?」
まだお茶の支度が整わぬ内に戻って来た千尋達の様子を、風早と柊は訝しんだ。
すると、二人が口々に柊の問いに答える。
「……無礼で不埒な輩に相次いで声をかけられた」
「最初は、”よぉ、姉ちゃん、ちょいと俺らに付き合わねぇか”って…」
風早と柊は揃って呟く。
「…ナンパですか」
それは確かに不愉快だったろうと、しみじみ頷いて見せてから、風早達は零した。
「目深に頭巾を被っているにも拘わらず千尋に目を付けるとは、なかなか見る目があると言えなくもありませんが…」
「姫がそのように軽い女性ではないと見抜けぬ点では、やはり見る目がないでしょう」
「そうですね。それに忍人の前で誘うなんて…」
「ええ、何とも命知らずな輩が居たものですね」
しかし、千尋が押し殺したような声音で言った。
「違うの」
「違う、とは…?」
またしても、風早と柊の声が揃った。
そんな二人に、千尋は怒りに肩を震わせながら応える。
「そいつら……そんなガキのお守りなんかやめて俺らと楽しもうぜ、別嬪さん……って…」
「ガキのお守り……って、まさか、その…?」
「姉ちゃんとか、別嬪さんって……忍人のことですか!?」
そこで千尋の怒りが一気に外に向かって吹き出した。
「そうよっ!!そりゃ、忍人さんは美人だけど……確かに、別嬪さんだとは思うけど…」
「そんなこと思わなくていい!」
「でもでも、目の前でカレシが女としてナンパされるなんて…」
千尋は本気で嘆き悔しがったが、その論点は僅かばかりズレていた。
そこで忍人はその修正に努める。
「だから、問題はそこではない。君のことを”そんなガキ”などと侮辱して……許し難い暴言だ」
「ええ、まったくもって許せませんね。忍人…ちゃんと、そいつらには報いをくれてやったんでしょうね!」
「当然だ。女と間違われていかがわしい誘いを受けたのみならず、千尋への暴言……それ以上、僅かたりとも口を開かせてなるものか。即刻、その場で叩きのめしたに決まってるだろう」
「叩きのめしただけですか?」
「手ぬるい!俺がその場に居たら、蹴り殺してやったものを…」
いきり立つ風早に、忍人は憤りを抑えて応える。
「手ぬるいのは承知している。俺だって斬り捨ててやりたかった。だが、それをしたらどうなる?」
面と向かって女王にあのような暴言を吐けば、それだけでも万死に値する。忍人が斬り捨てたところで罪には問われないだろう。
しかし、この時の千尋は邑娘とまでは言わないが然程身分は高くない少女を装って逢瀬を楽しんでいたのだ。それでは相手が武器を持って斬りかかってでも来ない限り、斬り殺す訳にはいかない。大事にして身分を明かすことにでもなれば、とことんまで大事になってしまう。それは千尋の望むところではないのだ。

男達が千尋への暴言を吐きながら強引に忍人の腕を取ろうとした途端、忍人は小声で鋭く千尋の名を呼ばわった。
即座に千尋は身を屈め、その頭上を忍人の腕が舞うように通り過ぎ、程なく辺りは静かになった。
差し伸べられた忍人の手を取って再び千尋が立ち上がった時には、周りには気絶したナンパ男達が転がっている。素人3人くらい、忍人なら瞬殺だ。後は、いつものように顔馴染の店主が警邏の兵に上手く話をつけてくれる。彼らはきつく締め上げられて、余罪も残らず追及されて、厳しい罰を受けるに違いない。
そう、ここまでなら、絡まれ方にカツアゲとナンパの違いがあった程度のことだと、どうにか気を取り直せただろう。この辺りに不案内な者達が忍人を見た目で侮って二人から金品を巻き上げようとしたことは、これまでにも何度もあった。おかげで、ここらで商売している者達の間では、正体こそ知れていないものの、忍人と千尋はちょっとした有名人だ。
しかし、事態はこれで終わりという訳ではなかった。
パチパチと拍手の音がすると、遠巻きにしていた人達の中から男が一人近寄って来る。
「強いなぁ、姐さん。助けに飛び込もうとした自分が莫迦らしく思えてくれるぜ」
大の男3人を瞬く間に沈めた相手に気安く話しかけるその度胸は大したものだが、結局は先程絡んで来た男達と似たようなものだった。二人を良く知る者が「ちょいと兄さん、やめときなよ」と止めるのも聞かずに、無遠慮に近付いて来る。
「だが、こうして行き会ったのも何かの縁だ。それを祝して俺と一杯どうよ?付き合って損は無いぜ。こんな破落戸どもと違って、俺は月明けには本宮に上がり、近い将来、陛下のお傍にも付こうってくらいの逸材だ。自慢じゃないが、尾治のかす……」
気安く肩を抱こうと回り込んで来た男は皆まで言わぬ内に、忍人が肘を打ち込むよりも早く、その腹に千尋の鉄拳を埋め込まれていた。
「おととし来やがれってのよ!」
”おととい”なんぞでは到底済まない。千尋は、そんな恨みの一言を吐き捨てる。
それから千尋は、久々のお忍びデートに見切りをつけて、忍人に「もう帰ります」と告げたのだった。

一連の話を終えた千尋と忍人は、最初とは打って変わって、帰って来た当初のようにまた静かな怒りを漲らせていた。実のところ、先の三人組よりも後のバカ坊のことの方が、よっぽど腹に据えかねているのだ。
「まったく、何処の阿呆かしらね、あんなのを送って寄越した族は…」
「それを言いかけた時に、君が殴ったのだが……”おわりのかす”と聞こえたから、春日部(かすかべ)の族か、あるいは尾治の族の者で名が”かす”で始まるのではないかと思う。月明けに本宮へ上がる、という奴の話が正しければ、いずれ詳しい素性は明らかになるだろう。千尋の鉄拳を受けてもあっさりとは沈まず辛うじて意識は残っていたし、腕に覚えがあったようだから、軍の方かも知れないな。だが、あんな恥知らずで思い上がりも甚だしい節穴の目と腐った性根の持ち主など、俺の部下には要らん」
尾治はその名の通り尾治の族が治める土地で、春日部は尾治氏の下でその小領を治めている族だ。尾治は尾治氏の統括下でいくつかの小族が自治を行っており、各小族は勿論のこと、尾治氏自体もあまり力を有していない。そこで、何処の族も考えることだが、恐らくは少しでも中央への足掛かりを作りたくて、様々な工作を経て橿原宮に氏族の者を送り込んで来たのだろう。
だが、千尋と忍人の怒りに同時に――しかも、公私共に――触れた者には、少なくともこの橿原宮での未来はない。族の責を何処まで問うかは、向こうの出方次第である。
加えて柊達まで敵に回したなら、この世の何処であろうとも明るい未来は掴めないだろう。
「ふふふ……中身がカスであることだけは間違いなさそうですね。もしも本宮勤めの話が嘘であったのなら、騙り(かたり)として、まずは国中に手配書を回すと致しましょう。無論、本当であったのなら、それはそれで然るべく……」
「ははは……さて、件の輩は、来た早々にクビになるか、それとも地獄を見るか、はたまた行き場を失うか……ちょっと楽しくなって来ましたね」
「楽しくなんかないっ!」
千尋と忍人から揃って怒鳴られて、風早は軽く首を竦める。しかし、まるで堪えていないと見えて、涼しい顔で二人にお茶を差し出すのであった。
「何にしても、全ては後日でしょう?それなら、話を聞いている内に支度も出来ましたし、さぁ、今はもう嫌なことなんか忘れて、皆で楽しくお茶にしましょう」

-了-

indexへ戻る