生き延びて

「ん?あれは、二ノ姫か。また供も連れずに…」
千尋の姿を見かけた忍人は、諫言を為すためにその後を追った。しかし、直後に足往の声がする。
「ああ~っ、ダメだ、ダメだ!」
途端に千尋は、その声に向けて一気に駆け出す。そして、更にその後を急ぎ追った忍人は、二人に声を掛けるより前に、突如背後に出現した風早によって、声も動きも封じられたのだった。

「足往、どうしたの?」
槍を掴んだまま大の字に寝転がっていた足往は、千尋に声を掛けられて跳ね起きた。
「姫さま!」
千尋は足往の隣に腰を下ろして、心配そうに訊く。
「今、ダメだ、とか叫んでたよね」
「う…うん。おいら……全然、集中出来なくて…」
しょんぼりしながら、足往はポツリポツリと話し出す。
「忍人さまに言われたんだ。許せない気持ちは解るが、今はあいつの砦の兵力は必要だし味方同士で揉めてる余裕はないんだ、って……だから、ひとまず過去のことは水に流せ、って…」
言い含めておく、と言っていた忍人は、本当にすぐにそれを実行したらしい。
「忍人さまの言うことだし……おいら、頭では解ってるつもりなんだけど……なんだかモヤモヤして…。それで、槍の稽古に打ち込んで気分を晴らそうとしてたんだ。けど…」
気分を晴らすどころか、全然集中出来なくて、先の叫びとなったのだった。
「そっか。私も、忍人さんから、少しだけど五年前の話を聞いたよ。あの将軍は許せない、って思った。でも、道臣さんも同じとは思えなかったな」
「姫さま、それは…」
足往が何か言おうとしたのを手で遮って、千尋は続ける。
「どんな事情があっても味方を捨てて逃げるなんて最低だ、って忍人さんも言ってた。ただね、自分だけがその場を逃れることが、すなわち保身を図ったってことになるのかな」
すると、足往が力強く言う。
「忍人さまなら、絶対に味方を置いて自分だけ逃げたりなんかしない!」
「そうだね。きっと、忍人さんはそうだと思う。でも、私は…」
「姫さまだって、そんなことしない!だって、おいら達を助けに来てくれたじゃないか」
足往達がレヴァンタに捕まったと聞くなり、とるものもとりあえず土雷邸に特攻をかけた話は、足往も耳にしていた。そんな千尋が、味方を見捨てて逃げるはずがないだろう。
「でもね、風早と約束したの。風早が”逃げろ”と言ったら、逃げるって…」
「姫さま…?」
足往は驚きに目を瞠る。
「風早を置いて逃げるのは嫌。それは風早もよく解ってるんだよ。だけど、それでも風早が”逃げろ”って言う時は、そうするしかないんだと思うの」
だから、千尋は「逃げるよ」と約束した。
風早がそうしろと言うなら、それしかないだけじゃなくて、そうしないと風早を困らせ悲しませてしまうから…。
忍人も「君に死なれると迷惑なんだ」と言っていた。「君は中つ国の要になる人物だ」とも…。「王に戴きたくない」と言いながら、それでも忍人は生き残った姫を我が身に代えても守ろうとするだろう。
「そんなことにならないように頑張るけど……一生懸命、頑張るけど……でも、もしも風早に”逃げろ”って言われたら、私…」
「逃げてくれ、姫さま!」
足往は言ってから、自分の言葉に驚いていた。しかし、それは決して偽りなどではない言葉だった。
「おいら…何があっても、姫さまだけは逃がして見せるからな。姫さまにだけは……ううん、忍人さまにも、おいらに構わず逃げて逃げて逃げまくってでも、生き延びて欲しい。それで沢山の人を助けて、いつか、おいらの仇もとってくれたら嬉しいや」
そう言ってから、ふと足往は考える。
もしかして、あいつもそんな風に誰かに希望を託されたんだろうか。
「なぁ、姫さま。あいつも、誰かに”逃げろ”って言われたんだと思う?」
「ん~、それは解らないけど……ただね、道臣さんがただの臆病者や卑怯者だったなら、あんなに大勢の人が砦に集まって共に戦ったり、布都彦からあんなにも慕われたりはしてないんじゃないか、とは思うわ」
足往は、道臣のことをまるで自分達が忍人を慕うような目で見ていた布都彦の姿を思い浮かべる。
「……姫さまの言う通りかもしれないな」

足往が立ち直って護衛の真似事を務めながら千尋と共に船に戻って行くのを距離を置いて見守りながら、忍人も風早と共に天鳥船へと戻って行った。
その道すがら、千尋の言葉を思い出して尋ねる。
「風早…君は、姫に”逃げる”と約束させたのか?」
「え?……ええ、そうです。俺が”逃げろ”と言ったら必ず逃げる、と約束してもらいました」
そこで忍人が難しい顔をするのを見て、風早は問い返す。
「卑怯だと思いますか?」
「それは…そんな約束をさせた、お前のことをか?」
それとも、万が一の時には一人ででも逃げ出すと決めている姫のことをか。
しかし、忍人はどちらも卑怯だとは思えなかった。

味方を見捨てて自分だけでも助かろうと、自らの意思で逃げ出すのは卑怯だと思う。だが、姫は王となる者として多くの命を負わされている。それは、味方を見捨てることが許されない一方で、同時に味方の為にも生き延びなくてはならないということだ。
忍人は、当然のことながら、味方を見捨てて自分だけが逃げたことなど一度もない。ならば、味方を残して撤退したこともないのかと言うと、それは否だ。退却も立派な戦だし、常に全ての部下を逃がしてから最後に自分が退却した訳でもなかった。
「あなただけでも逃げてください」
そう言われたことがない訳でもない。それで本当に自分だけが逃げたりはしなかったが、一部の兵を残して行かなくてはならなかったことは、一度や二度ではなかったと記憶している。身を切られるような思いで彼らを残し、他の者達をまとめ上げて退却した。

「姫を騙したり無理矢理約束させたのでないなら、どちらも卑怯だとは思わない」
万一の時は姫だけでも確実に逃す、それは臣下の務めでもある。「逃げてください」と言って必死に追っ手を喰い止めているのに、当の姫にグズグズされていたのでは共倒れだ。
それに、姫は「逃げるのは嫌」「そうならないように一生懸命頑張る」と言っていた。それでも風早が「逃げろ」と言うなら逃げるのは、それが風早の願いだからなのだろう。
忍人は、同じように自分が「逃げろ」と言った時も迷わず逃げて欲しいと思う。姫には生き延びてもらわなくては困るし、足手纏いだと思うからでもあるのだが、「逃げろ」と言うなり間髪入れずに姫が逃げ出しても、それを卑怯だとは感じないだろう。
「道臣殿についても……君は、姫と同意見なのか?」
「はは…それは解りません。でも、千尋も言ってたでしょう。道臣が臆病な卑怯者だったら、あんなに信頼されてませんよ。君だって、本当は信じたいんでしょう?あんなに道臣に懐いてたんですから……その道臣が保身の為に逃げただなんて、本気で思いたくはありませんよね?」
「懐いてた、とか言うな!……だが、そうかもしれないな。信じたい……信じさせて欲しい」

そうして足往や忍人が道臣に対するわだかまりを捨てることが出来て間もなく、柊が目の前に現れ、姫に取り入って同行することと相成った。
「忍人…あなたは、道臣の件であの狗奴の子に言ったそうですね。砦の兵力は必要だし、今は味方同士で揉めてる余裕はないから、過去のことは水に流せ、って…。私の知力もこの軍に必要だと思いますし、今だってまだ味方同士で揉めてる余裕なんてありません。そして私は、姫に認められたれっきとした味方です。ですから、ご自分の発言には責任を持って、私の過去のことも水に流してください」
「冗談じゃない!俺はまだ、貴様を味方だなどとは思っていないし、そもそも貴様の過去が水に流せるような軽いものか。その悪行を並べ立てればきりがないわっ!!」
柊の悪戯で数え切れぬ程の被害を受けた忍人にしてみれば、それを水に流すなど到底出来得ぬことだった。
「やはりダメですか。では、流さなくても結構ですから、とりあえず棚上げしておくとか…」
「出来るかっ!!貴様の過去を全て上げられるような、強度と積載量のある棚など何処にある!?」
「おや、これは……忍人にしてはなかなかに上手いことを言うものです」
柊は面白そうに笑った。
「ふふふ……仕方ありませんね。では、この際、ただ現状を受け入れていただくより他にないでしょう」
「貴様が言うな!」
ぎゃんぎゃんと柊に吠える忍人を見ながら、風早はそっと傍らの千尋に囁いた。
「……足往の方が、よっぽど大人のようですね」

-了-

《あとがき》

三章序盤の会話イベントを元にしています。
攻略には関係ないし声も入ってないので、結構サラリと流しちゃったりもして、あんまり記憶に残ってなかったのですが、ちょっと確認したいことがあって久々にゲームをプレイしてみたら、いろいろ新発見(?)がありました。例えば、忍人さんはあの戦が初陣だったとか……今更そんなことが解ったところでMY設定を変える気はないので、そこは件の四道将軍の元での――彼の副将になっての――戦が初めてだったということにして、このまま我が道を行きます(^_^;)

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