虎狼を談ずれば姫至る

「戦場では百戦錬磨の『不敗の葛城将軍』も、婿としてはまるで戦果が上げられぬようですね」
「うむ。早々に一ノ宮がご誕生あそばされたものの、その後は一向に陛下が身籠られるご様子もなく……未だに一人の姫も御産み参らせることも出来ぬとは、何とも情けないものよ」
「はい。そちらについては『不発の葛城将軍』とお呼びしたが良いのではありますまいか」
「ほほほ…なかなか、上手いことを言いますな」
次の瞬間、二人の前に小柄な影が躍り出たかと思うと、笑っていた年嵩の方が殴り飛ばされた。何が起きたのか解らず立ち尽くしていたもう一人は、腰に痛打を受けて引っくり返ったところを踏み付けられる。
そして、怒声が宮中に響き渡った。
「ふざっけんじゃないわよっ!!」

千尋の声を聞きつけて、忍人は現場へと走った。
近くまで行くと、千尋の喚き声と官人の悲鳴が聞こえて来る。
そして駆け付けた先では、千尋を取り巻いて宥めるように声をかけている数名の部下の姿が見受けられた。
「陛下……もう、そのくらいになされては…」
「どうか、落ち着いてくださいませ」
どうやら相手が女王であるだけに、力づくで引き剥がすことを躊躇っているものと見える。
「か、葛城将軍。陛下が、ご乱心あそばされて……早く、御止めくだされ」
「だから、誰が乱心だってのよ!揃いも揃って、怒りに触れた自分の所業を棚上げして女王を乱心呼ばわりとは、いい度胸じゃないの。しかも、忍人さんに助けを求めるなんて、どれだけ図々しい爺ィなんだっつーの。このっ、このっ、このっ……」
忍人の姿を見て件の官人が助けを求めるように言うと、官人を踏み付ける千尋の足は更に勢いを増した。それを為すのが上質の革靴を履いた嫋やかな細足とは思えぬ程の攻撃力は、いっそ見事と褒めたくなるくらいだった。
「揃いも揃って」と言うことは、そこで昏倒しているもう一人も千尋を乱心呼ばわりした訳か、と考えながら忍人は止めに入る。
「陛下…少しは落ち着かれてください……陛下……………………やめるんだ、千尋。一体、どうしたと言うんだ!?」
忍人が公から私に切り替えて叫ぶと、弾かれたように振り向いた千尋は官人を踏み付けるのを止めてその胸に縋りついた。
「ふぇっ……ふぇ~ん、忍人さ~ん。この人達…酷いんです。おし…忍人さん…のこと……バカにして…………忍人さん…は……悪くないのに……忍人さんの……所為じゃ……ないのに…」
「俺が、どのように言われたんだ?」
「ふは……不敗じゃ…なくて…………不発……の葛城……将軍、って…」
それを聞いて、その場に居た者達は皆、やや遅れて駆けつけた風早と柊も、大体の事情は察することが出来た。
そこで兵達は素早く二人の官人に縄を打つ。何しろ、忍人に対する侮蔑は忍人の意向次第で単なる軽口として扱えても、己の所業を棚上げして女王の怒りを乱心だと声高に訴えたことは、厳しく罰せられねばならぬ重罪だ。庇い立てなどしようもないし、元より忍人を慕い女王を敬愛しているだけに、庇う気など湧くはずもない。
忍人はそれを横目に、泣きじゃくる千尋の髪を優しく撫でながら、柊に向って言う。
「柊…後始末は任せていいか?」
「ええ、私としては望むところですが……本当に私の好きにして構わないのですか?」
「いいだろう、千尋?」
千尋が忍人の腕の中でコクリと頷くのを確かめて、柊は二人を連行する兵達と共にその場から消えた。
「部屋へ戻ろう。君は、少し休んだ方が良い」
忍人はそう促したが、千尋は一向に泣き止む気配がない。そこで忍人は、風早に目を向けた。
「風早…先に戻って、飲み物の用意をしておいてもらえるか?千尋には、温かくて少し甘みのあるものが良いと思うのだが…」
「そうですね、俺もそれが良いと思います。ちゃんと支度しておきますから、ゆっくり千尋を連れ帰ってくださいね」
いろいろと成長したようだ、と感心しながら忍人に微笑みかけて、風早も急ぎ足で去って行く。
その背を見送ると、忍人は改めてしばらくその場で髪や背を撫でて少し落ち着かせてから、肩を抱いてゆっくりと千尋を部屋へ連れ帰ったのだった。

部屋へ戻ると、椅子をピタリと横に付けて、忍人は千尋に身を寄せた。
風早も、羨ましく思いつつも、文句など言わずに黙って二人を見守る。
心を落ち着かせるような温かな飲み物とその温もりに、いつしか千尋は忍人に凭れて眠りに落ち、二人は千尋が目を覚ますまで静かに待ち続けた。
「あっ……あれ、私…?おおお、忍人さん!?きゃ~、やだ、どうしよう、すみません!」
目覚めた千尋は、自分が何をしたのかを思い出し、何をしていたのかを察して慌てふためいた。
「落ち着け、千尋。俺は怒ってなどいない」
「思った以上に眠りこけられて少しばかり呆れてはいるが…」と心の中で付け加えながら、忍人は宥めるようにまた千尋の髪を撫でる。
そして、千尋が落ち着いたところで話を切り出した。
「大方の事情は察しているが、改めて、何があったのかを君の口から話してもらえるか?」

千尋から改めて事情を聞いて、忍人は言う。
「俺を種馬扱いしてるような奴らがその手のことで何を言おうと、そんなものは放っておけばいい。そもそも、その文言ならとうの昔に柊が俺に面と向かって言っただろうに…。あの時、君は碌に咎めもしなかったはずだ。それを何故、今になってそんなに怒るんだ?」
「柊は良いんです!からかって楽しんでるだけだって解ってるし……第一、面と向かって堂々と言ったなら、忍人さんが文句を言うことも出来るじゃないですか」
忍人は「冗談でも本人の目の前で言う方が悪いと思うのだが…」と心の中で呟いたが、千尋との間でその辺りの感覚に大きな隔たりがあるのはいつものことだった。
そこで忍人は、深く嘆息する。
「まったく、君は……本当にわからない人だ。何度言っても、供も付けずに勝手に出歩くし、あのように人前で泣き喚いたりして…」
「すすす、すみません!」
弾かれたように千尋は謝ると、忍人は僅かに口元を綻ばせる。
「俺は怒ってなどいない。本当に君はわからない人だが、俺の為に本気で怒り泣いてくれる稀有な人でもある」
「えぇっと……それは…」
一応は褒められているのだと思っても良いのだろうか、と窺うような目をする千尋に、忍人は千尋達のおかげで身に付いた柔らかな笑みと共に告げる。
「本当に君は……破格の人だ」
すると、ずっと黙って見守っていた風早が割り込んで来た。
「当然です。俺のお育てした姫に間違いはありません」
どうやら風早は、この台詞だけは胸にしまっては居られぬらしい。そこで忍人は再び深く嘆息する。
「……女王としての教育はかなり間違っていたと思うのだがな」

-了-

《あとがき》

”不敗”と入力しようとしたら予測変換で”不発”と候補表示されたのを見て、思いついたお話です。
タイトルにはかなり悩みました。だって、テーマそのままに「不発の葛城将軍」にするのは憚られますから…(^_^;)q
あれこれ悩んだ結果、故事成語『噂をすれば影』の類義である『虎を談ずれば虎至り、人を談ずれば人至る』をアレンジしてみました。

地位に胡坐かいてる官人が回廊を移動中にうっかり軽口叩いたら、たまたまお散歩中の女王陛下の耳に入ってしまいました。
まぁ、何処で誰が聞いてるか解らないんだから、陰口はちゃんと陰で言えってことですかね。
そもそも、とうの昔に柊が忍人さんに面と向かって言った文言を、陰で口にしてさも上手いこと言ったみたいに悦に入ってたこの二人は、風早達からすればとんだお笑い種なんですが…。

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