熱中症

「忍継さまぁ、もう終わりにしましょうよ」
「ハァ、ハァ……まだだ、もう一度」
「さっきからそう言って、全然”一度”なんかじゃないし……息も上がってるじゃないですか」
足往はそう言いながらも、忍継の剣の鍛錬にずっと付き合っていた。打ち込まれる剣を槍で受け止め弾き返し、時に跳ね飛ばす。しかし、その度に忍継は「もう一度」と言ってまた拾い上げた剣を振るうのだ。
そんなことが何度か繰り返されたところで、忍継が突然バッタリと倒れた。
「えっ、ちょっと、忍継さま!?一体、どうしちまったんだよぉ~っ!!」
足往は思わず槍を取り落して頭を抱えて天に向かって叫んだものの、すぐにハッとしたように槍と忍継の身体を拾い上げると泉に向かって駆けだした。
こんな状態の忍継を診せるべき相手は、遠夜か忍人か風早。その中で一番近くに居る――早く呼べる――のは遠夜だ。泉の畔で名前を呼べば、遠夜はすぐに現われる。忍人のお遣いをよく務める足往のことは妖達も知っていると見えて、遠夜がこの森の何処に居ようともすぐに声を届けてもらえるらしい。
この時も遠夜はすぐに姿を現した。そして、間髪入れずに忍継を泉に放り込んだのだった。

遠夜の突然の暴挙に、足往はまたしても大慌てに慌てた。
「やめろっ、忍継さまに何すんだよぉ!」
そんな足往に、遠夜は何事か訴えるような顔を向けたが、すぐさま忍継の方へと向き直ってその首まで水の中に押し込み顔をペタペタと触ったりしている。
その一瞬向けられた顔と瞳に、足往は何かと感じ取った。何を伝えたかったのかは解らなかったが、多分、遠夜は何かを言ったのだと思う。
そこに狂気の色はなかった。ならば、これは暴挙などではないはずだ。
風早や柊と同様に、遠夜の世界は姫さまを中心に回っている。そして、風早達と違って遠夜は忍人さまのことも大切にしている。その二人の子供達のことも、また慈しんでいる。そんな遠夜が、忍継さまに危害を加えるはずがない。
そう得心した足往は、次に自分が出来ることについて考えを巡らせた。遠夜の言葉が解らず、忍継に何が起きたのかも察することが出来ないのでは、何も手伝いようがない。そこでハタと気付く。言葉が解らないなら、解る人を呼べばいいのだ。
「お、おいら、姫さま呼んでくるから……忍継さまのこと、頼んだぞぉ」

「姫さま、ちょっといいか?忍継さまのことで話が…」
そう言いながら足往は千尋に近付くと、楽しげな内緒話でもするように「忍継さまが倒れて、今、遠夜が…」と囁いた。
「えっ、忍継がっ!?」
「ひっ、姫さま、声が大きいって……忍人さまに聞かれたら、どうするんだよぉ」
皆まで言わぬ内に千尋が大声を上げたのを、足往は慌てて制止した。足往も、この反応は半ば予想はしていたし、日頃の慣れもあって忍人の名を出すと、案の定、千尋は忍人の説教を思い出してあたふたと取り繕う。
「そ、そう、忍継ったら、一体、どんなサプライズを用意してくれてるのかしらね。おほ…おほほほ……早速、見に行きましょう。足往、案内と護衛をお願いね。ああ、風早も一緒に来て」
若干棒読みでたどたどしくはあったが、室内に控えていた采女達は何処か微笑ましげな表情に変わったし、入口の見張りの兵達にも怪しまれずに済んだようだったので、二人は共に内心安堵する。
しかし、実は千尋達の行動はしっかりと怪しまれていた。兵士達は、表面上は素知らぬ顔をしていたが、彼らの姿が見えなくなるとすぐに忍人へと知らせに走ったのだった。

「もうっ、忍継ったら、あんまり無理しないでよね」
「……ごめんなさい。無理をしたつもりはなかったのですけど…」
心配をかけた身としては、忍継は縮こまって謝るしかなかった。遠夜や風早から「もう心配ない」と言われても、今日はもう、部屋で大人しく寝ているしかないだろう。
「まぁまぁ、千尋。自覚無く無理するのは、親譲りじゃないですか」
「はぁ~……そこは、忍人さんに似なくても良かったのに…」
「…………」
しみじみと零す千尋に、忍人は反論出来なかった。こればっかりは、「君に似たんだ」とは絶対に言えない。何かにつけて、自分よりも相手に似たのだと言い合う忍人と千尋だが、これに関しては忍人は身に覚えがあり過ぎる。
鍛錬に身を入れ過ぎて熱中症とは、誰がどう見ても忍人に似たのだと言うことだろう。

執務室前の警護兵から知らせを受けて忍人が後を追うと、その先にはグッタリとした忍継が居た。足往と違って容態を見た段階で何となく察しはついたが、訊いてみれば、やはり火の気に中ったのだと言う。
この日は朝からとても暑かった。千尋などは、「う~、あっつ~い……」と何度も零して、執務中も風早に団扇で扇いでもらっていたくらいだ。そんな中、いくら木々の影や吹き抜ける風があるにしても、炎天下で延々と剣を振り回して居たら、倒れても不思議ではない。特に金属性の子供となれば、忍継のように我が身の不調に無頓着でなくても、気付いた時には身の内で凝る火の気に己の気を著しく弱められることとなるのも無理なかろう。
だが、 遠夜が手っ取り早くその身体を冷やし薬草を食ませてくれたおかげで、忍継の身の内で凝っていた火の気は速やかに払われた。千尋達が駆け付けた時点で、もう、後は涼しい室内でゆっくり休ませれば大丈夫という状態になっていたのだった。

「忍継……鍛錬に励むのは感心だが、もう少し自分の身体を労わることも覚えるべきだな。体調管理も戦士の務め、しっかりと身体を休めることも大切な修行の内だ……って、何だ、その目は?」
その場に居る全員から一斉に物言いたげな視線を向けられ、忍人がそちらを見ると、誰もが目を丸くしている。
「何を偉そうに説教してるんですか、君は…」
「忍継のこと、とやかく言えませんよ、忍人さん」
「忍人も……しっかり休んで…」
「おいら……忍継さまは、忍人さまを見倣ってるんだと思うんですけど…」
足往でさえ言い難そうにそんなことを言い、そのまま千尋と風早がこれまでの忍人のあれやこれやを言い立てる。
「ああ、そんなに言われずとも解っている。俺とて修行中の身なのだし、これでも今では見張り無しでもちゃんと休んでいるだろう?だから……そう責めないでもらいたい」
困った顔で力なくそう応え、忍人は腕組みした状態から片手を軽く上げて頸の横へとやる。言うなれば、中空で片肘を付いたような姿勢だ。何しろ、当の忍継までもが皆の意見に同意するような目で忍人をジッと見ているのだから、居た堪れなくもなって来る。
「それに、このように何かにつけて君達から責め立てられる立場だからこそ、忍継には早く正しい休み方を身に着けて欲しいと切に願うのではないか」
「う~ん、そういうことなら、とやかく言っても良いのかなぁ。まぁ、確かに、今では幾重にも見張りの兵を配備しなくても、療養中にこっそり寝台を抜け出してちょっと素振り、なんてことはしなくなりましたし…」
千尋と忍人の間には完治の判断に差異があるため、全く問題無くなったとまでは言えなかったが、見張りが居なくても忍人が黙って抜け出したりしなくなったことだけは確かだった。充分に回復したと感じた忍人は、こっそり抜け出すのではなく、言伝なり書置きなりを残して堂々と出て行く。おかげで、連れ戻すのは簡単だった。
「ははは…そうですね。そういう訳ですから、忍継……これからは、休むべき時はちゃんと休んで下さいね。勿論、忍人もですよ」
咳一つで寝台に押し込められて見張りを立てられ、しかし忍人はそれを掻い潜って鍛錬に抜け出してしまう、と言う話に度肝を抜かれていた忍継は、風早の言に咄嗟に反応出来ずに居た。
「忍継…?」
千尋と忍人に心配そうに声を掛けられて、忍継は慌てて応える。
「あっ、はい。精進します」
しかし、その修行が実るか否か、成果はあまり期待出来ない似た者父子なのであった。

-了-

《あとがき》

忍継くんは、金属性です。
見た目も言動も忍人さんに良く似てますが、中身は殆ど天の白虎です。

ちなみに、千早は水属性で、千那は土属性なので、家族で一番火気中り(熱中症)を起こしやすいのが忍継くんということになります。
小さい子は熱中症になりやすいんですが、千那は自身の土気が活性化されるのと朱雀の加護を受けた那岐の気に包まれていることが多いのとで、火気耐性が半端ありません。それに、そもそも涼しいところでお昼寝してばかりいるし…(^_^;)

それに忍継くんは、別の意味でも熱中症になりやすいでしょう。
我が身を省みずに、鍛錬に熱中しちゃいそう(^_^;)q

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