微熱

千尋が熱を出した。
高熱ではなかったものの、風早はあっさりと千尋を休ませると決め、各方面へと連絡をした。勿論、朝議の迎えに来た忍人もさっさと追い返す。
「大したことないのに…」
千尋はそう零すが、風早は聞く耳を持たない。
「大したことがあってからでは遅いんですよ」
「でも…」
「頑張りすぎて疲れが溜まってたんですよ。今日はゆっくり休んでください」
そう風早に笑顔で押し切られて、千尋は大人しく寝ていることにしたのだった。

昼を過ぎて、退屈してきた千尋がそっと寝台から降りようとしたところへ、外から声が掛けられた。
「千尋、俺だ。入るぞ」
慌てて千尋は寝台に足を戻したが、その姿はしっかりと忍人に見られてしまった。
「何をしている?」
「あの…えぇっと…ちょっとお水飲みたいなぁって思って…」
言い訳する千尋に、忍人は呆れたような顔をする。
「そういう時は誰か呼べ。何の為に采女や風早が居ると思っているんだ?声が出なくても手を叩くか枕元の鈴を鳴らせば、誰かしら飛んで来る」
「はい…これからはそう心掛けます」
未だに慣れないから、心掛けるだけだけど…と千尋は心の中で付け加えたが、幸い忍人は気付かなかったようだ。否、気付いても何も言わなかっただけかも知れないが…。
「熱があると聞いたが、もう起き上っても平気なのか?」
「あ、大したことはないんですよ。熱って言ってもそんな高くないし、疲れが溜まってたんだろうって言って風早が勝手にさっさと休みにしちゃっただけなんです」
「そうか、疲れが…」
そう呟く忍人に、千尋はハッとなった。体調管理も碌に出来ないなんて女王失格とか、忍人に思われたんじゃないだろうかと心配になる。
しかし、忍人の反応は千尋の想像とは違っていた。
「すまない、君がそんなに無理をしているとは気付かなかった。いつも傍に居ながら、俺は何を見ていたんだろうな」
驚いた千尋は、忍人を手招きして、その額に手を当てた。
「熱は…ないみたいですね」
「…熱があるのは君だろう」
「そうなんですけど、忍人さんがそんなこと言うとは思わなかったので、熱でもあるんじゃないかと思ってしまいました」
「君は、俺のことをどういう目で見ているんだ?」
呆れる忍人に、千尋は正直に先程思ったことを告げる。
「だって、忍人さんのことだから、体調管理も碌に出来ないなんて女王失格だ、とか言うんじゃないかと思ったんですもの」
「言って欲しければ言うが、その必要はないだろう。それに、具合の悪い時に責めるような真似はしたくない」
では治ってから責めるつもりなのか、と問い返したい気持ちになったが、そこは賢明にも口を噤んだ千尋だった。

「ところで…陛下が薬を飲んで下さらない、と薬師達が嘆いていたのだが…」
「あっ、えぇっと、それは…」
今度こそ叱られる、と千尋は思った。しかし、今度もまたその予想は外れる。
「やはり、な。そんなことだろうと思って代わりを用意したから、ちゃんと飲んでくれ」
叱られこそしなかったものの、忍人が薬を持って来たなら飲まずに許されることは決してないだろう。そう思って暗い顔をする千尋の前で、忍人は前の間に向って声を掛けた。
「いいぞ、入ってくれ」
「えっ、遠夜!?」
驚く千尋の前に、薬湯を持った遠夜が現れた。
「神子…飲んで…」
「遠夜の作った薬なら、安心して飲めるだろう」
遠夜になら毒殺される心配もないし、味にもかなり慣れたはずだ。そう言う忍人に、千尋は頷いて見せると、遠夜から薬湯を受け取ってしっかりと飲み干した。
幸い、遠夜の見立てでも千尋は少々疲れが出ただけと言うことだったので、一同は安心した。遠夜は、また夜に薬湯を持って訪ねて来ることを約束して帰って行く。
しかし、忍人はその場に残った。
「今日は、この後は俺も休みを取った。傍に居て良ければそうするし、ゆっくり眠りたければ俺は外に居る。何でも言ってくれ」
「じゃあ、傍に居てください」
「解った」
言われるままに、忍人は千尋の枕元に椅子を持って来て座った。

果物を剥いたり水を汲んだりおしぼりを換えたりと、千尋が望むままに器用に甲斐甲斐しく世話をしてくれる忍人に、千尋は嬉しそうに笑った。
「うふふ…忍人さんがこんなに優しくしてくれるなら、たまには熱を出すのも悪くないかも…」
「まるで、俺が普段は全く優しくしていないように聞こえるな」
「はい、いつもお説教されてる気がします」
あっさり肯定されて、忍人はちょっとだけ凹む。
「それなのに、君は俺のことを好きになったのか?」
「言われてみれば、不思議ですね。でも、好きになっちゃったものは仕方ないですよ。忍人さんだって、立場を弁えろって散々繰り返していながら、私のこと好きになっちゃったんでしょう?」
「…その通りだ」
こうもあっけらかんと言われては、忍人も素直に認めざるを得なかった。完敗だ。
「だから、熱など出さなくても優しくするように心掛けるから……あまり心配させないでくれ」
心掛けるだけで実行できる自信はないが…と、今度は忍人が心の中で付け加えた。それを知ってか知らずか、千尋は幸せそうに微笑むとそっと目を閉じて、風早が夕餉の声を掛けるまでゆっくりと眠ったのだった。

-了-

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