湯煙の向こう側

土器が焼き上がるのを待っている間、暇が出来た千尋は、近くに良い温泉があると聞いて出掛けて行った
勿論、一人で出歩けば忍人に叱られるのは解っているので、最初から付いて来てもらう。
見張りの狗奴も一緒に来てくれたものの、さすがに女湯の中でまで目を光らせることは出来ないので、脱衣所から先は単身、安全を確認しながら少しずつ奥へと進んで行く。そして、初対面の時に言われた通り、武器を手元から離さないようにと持ったままで湯に浸かったところで、はたと気付く。
「考えてみれば、この弓って、呼べば手元に飛んでくるんだよね。だったら、こんなものを持ったままで温泉に浸かってる私って、もしかしてかなり間抜けなんじゃない?」
誰にともなく呟くと、湯煙の向こうから返事があった。
「それは確かに、かなり間抜けな話に聞こえるな」
それは忍人の声だった。声のする方へと移動していくとすぐに奇妙なシルエットが浮かび上がり、もう少し近寄ると何かを頭に括り付けているらしき忍人の姿がうっすらと確認出来た。
「ここって、混浴だったんですか!?」
「かなり広いが、中で繋がっていたようだな。気付かずに居る者も多いかも知れないが、何処から人が来るか解らない。充分に警戒した方が良さそうだ」
答えながら、焦ったように忍人は背を向けた。
声を掛けられるまで気付かぬほど静かに入っていた忍人が、突然派手な音を立てて動いたことに千尋は驚いた。
「どうかしたんですか?」
「……すまないが、もう少し離れて貰えるか?」
そう言いながら、忍人自身も千尋から離れる方向へと少し移動した。

姿はぼやけても声は通るので、まったりと話をしながら低めの温度の半透明の湯にのんびりと浸かり、それから二人は再び分かれて上がった。
「いいお湯でしたね」
「ああ、そうだな」
「ちょっと長湯しちゃったでしょうか?」
「そうでもないだろう」
「でも、顔が赤いですよ。私があれこれ話すのに付き合ってて、忍人さん、のぼせちゃいましたか?」
「……大丈夫だ」
何故か目を逸らす忍人に、千尋は首を傾げる。すると、忍人は話題を変えようとしたのか、突然説教めいたことを言い出した。
「その……武器を手放さなかったのは感心だが、この様な場所では出来れば服も持って入るようにした方が良いだろう。俺のように脱衣所にも信頼出来る見張りを置いていたなら別だが、誰かが持って行かないとも限らないし、獣が持って行く場合もある」
「はい、今度からそうします」
素直に頷いた千尋は、それからふと疑問を抱く。
あれ?何で忍人さんは、私が弓しか持ってなかったって知ってるんだろう?
天鹿児弓を持っていたのは見なくても解っただろう。あのような呟きを漏らしたのだし、自分も忍人の影を見ることが出来たのだから、近付いて行った時に忍人には弓の影も見えたはずだ。しかし、あの影だけで服を持っていたかどうかなど解るものだろうか。
そんな千尋の疑問に気づいて居るのか居ないのか、忍人は更に先程よりも顔を赤くして忠告する。
「それと、俺以外に誰も居なかったから良いが、あのような場所で迂闊に他人が居る方へ近付くな。何かあってからでは遅い」
「あっ、そうですよね、すみません。でも、あれは声で忍人さんだって解ってたからであって、誰にでも近付いて行く訳では…」
慌てて言い訳しながら、また千尋の頭を疑念が過る。
それなりに気を張って辺りの様子を窺いながらも、自分は声を掛けられるまで、離れていたとは言え忍人が入っていたことに気付かなかったのに、忍人には他に誰も居ないと解っていたということか。さすがと言うべきなのかとも思うが、何かが引っ掛かる。
「もしかして、忍人さんって私よりも遙かに目が利くんですか?」
それはそれで不思議はないと思いつつも千尋が恐る恐る問うてみると、その裏にあった疑念に対して言葉よりも顕著な反応が帰って来た。忍人は耳まで真っ赤になっている。それで千尋は確信した。
「あの距離でも、結構見えてたんですね?」
「すまない。完全に見えていた訳ではないのだが……朧にでも見えれば大体のところは把握出来るくらいには目が利くんだ。だから、その…」
「謝らなくて良いです。近付いたのは私の方ですし、本当に見えていた訳じゃないなら……って、何で今回はそんな顔してるんですか!?初めて会った時なんて、目が利くとか関係ないくらい、朝日の下で真正面から素っ裸をバッチリ見ていながら、慌てるどころか冷ややかに説教だけして一言も謝らなかったくせに…」
それが今の忍人は、布都彦程ではないにしても明らかにかなり動揺していた。
もしかして私、あの頃よりも女らしくなってる?
それとも、惜しげもなく曝されるよりも垣間見える方が艶めいて見えるっていう、例のアレ?
ここは喜ぶべきなの?それとも文句を言うべきなの?
戸惑う千尋に、忍人は慌てて言い訳する。
「あの時はすまなかった。敵かも知れないと警戒するあまり、武器の方が気になって……それで君が王家の姫だと解ったものの、ならばその軽率さを諌めねばと、そればかりを思って……後になって、あのような場合は、すぐに目を逸らし、故意でなくとも一言謝罪するのが礼儀だったと気付いたのだが、引き返すのも変だったし、その後はもう話を切り出す機会が掴めなくて…」
次に会った時は、部下を引き連れて国見砦に帰還した時だった。砦の兵達も居たし、あんな処でそんな話など出来る筈もない。その上、またしても説教の種が転がっていた。土蜘蛛が砦の中に居るのを目の当たりにしたのだ。とてもじゃないが、大したことではなかったかのような素振りで「先程は失礼した」などと言える状況ではなかった。
再会した折に謝る機会を逸した忍人は、師への報告を済ませたらきちんと姫の元を訪って今度こそ謝ろうと思っていたのだが、何とその報告の場に姫と風早も居り、阿蘇への出立を決めて部屋を後にした時には、もはや謝って済む問題ではなくなっていた。部屋を出るなり風早にとっ捕まり、「今更謝って済むと思ったら大間違いです」と強かに仕置きされたのだ。
そうこうしている内に時だけが過ぎ、話を蒸し返す機会は完全に失われたと言っても過言ではなかった。
「だから、今こうして謝罪の機会を得られたことに、少しばかり安堵している」
やっと肩の荷が下りたと言わんばかりの忍人に、千尋はちょっと複雑な想いが湧き上がって来るのを感じた。しかし、いつも仏頂面をしている彼に照れ笑いのような柔らかな表情を見せられては、千尋はもう微笑み返して許しを与えることしか出来なかったのだった。

-了-

《あとがき》

あの水辺の遭遇イベントだけで、幾つの小話が出来るのやら…。
あの強制イベントは、ネタとしてはかなりオイシイです(*^_^ ;)

この忍人さんは、ずっと千尋に謝ろうとは思っていたものの機会を逃し続けていたという設定です。
また、戦士としての能力が高いので、垣間見えた姿から敵の正体などを把握するスキルを有しています。
その為、湯煙の向こうに朧気に見えた姿から大体の処を把握出来て、連鎖的にあのイベントでバッチリ見てしまった記憶も甦ってしまいました。
大慌てで派手な音立てて背を向けて、その後は必死で動揺を押し隠していましたが、千尋にズバリ訊かれて隠し切れなくなりました。
でも、おかげでやっとあの時のことを謝ることが出来ました。

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