あやしき療薬

「逃げるんじゃありません、忍人。ほら、大人しくなさい」
「嫌だ、やめろ~っ!!」
「往生際の悪い子ですね。そんな身体で逃げられると思ってるんですか。観念して、さっさと私にその尻を差し出しなさい」
「絶対に嫌だ!」
「はいはい、そこまでです。せいぜい指1本程度ですからね。怖がることはありませんよ。では、思い切ってブスッといきましょうか」
「離せ、莫迦ぁ~っ!!」
柊のそれらの発言と忍人の叫び声を聞きつけて、千尋は扉の前で大きく息を吸ってから一気に室内へと踏み込んだ。

結婚以来、忍人と千尋は同じ部屋で暮らし、一つの寝台で眠っている。しかし、どちらかが体調を崩すと忍人は隣室に追いやられる。
先日熱を出した忍人は、今日もそちらで寝込んでいた。
本音を言えば千尋は執務を休んで付きっ切りで忍人の看病をしたいのだが、それは忍人が許さない。執務を投げ出させるくらいなら、這ってでもあるいは誰かに担いでもらってでも同行するとまで言うような人だ。そんな無理はさせられない。
千尋は仕方なく、毎日、風早を護衛に付けて移動し、散歩も控えて執務に励んでいた。何しろ、息抜きにちょっと執務室を抜け出して、なんてことをしようものなら、忍人が這い出して来かねない。忍人にとっての一番の薬は、千尋の身の安全と国の安寧だと言っても過言ではないだろう。それらが保証されていてこそ、静かに休むことも出来るというものである。
そんな訳で千尋は、その日の内にやっておかなくてはならないことを可能な限り早く終わらせて少しでも長く忍人の傍に居たい、その一心で恐るべき集中力を発揮して最低限の仕事だけは片付けていた。
そうして帰って来た千尋を、この日、隣室から響く派手な音と怪しげなやり取りが迎えることとなったのである。

「何やってんの、柊!?」
千尋の目の前には、半ケツ状態で柊に抑え込まれている忍人の姿があった。
目が合うと、真っ赤になってうっすらと涙を浮かべた忍人は、千尋に助けを求めるような視線を送って寄越す。
「柊…もう一度聞くよ。何しようとしてたの?」
すると柊は、悪びれることなく平然と答える。
「忍人の熱がなかなか下がらないようでしたので、坐薬を挿れてさし上げようとしておりました」
「へぇ~、こっちの世界にも坐薬ってあるんだ」
すると、忍人を寝台に戻して夜着を整えながら、風早が苦笑する。
「こっちの世界にもある訳ではなくて、隙あらば忍人に使おうと、柊が独りでちまちま作ってるんです」
「そんな訳の解らん代物を使われて堪るか!貴様は元から信用ならんが、それでなくても使い方が怪し過ぎる」
そう叫んでから、忍人はハッとなったように訊いた。
「隙あらば、って……まさか、俺が熱で朦朧としている時に使ったことがあるのでは…?」
「あっ、それは心配要りません。意識のない忍人に使っても面白くないらしいし、あなたは隙だらけでも道臣と羽張彦がしっかり目を光らせてましたから、そんな真似は許してません」
風早の答えに、忍人は安堵した。
その間に柊の手から薬を取り上げた千尋は、それを矯めつ眇めつしながら問うた。
「これ、効果や安全性は保証されてるの?」
「勿論、この私の身体で何度も実証済みです」
「副作用は…?」
「人によっては甚くプライドが傷つきますが、それ以外は問題ありません」
「そう……それじゃあ、はいっ、風早」
「はい」
風早は千尋から薬を手渡されると、忍人の脳裏を嫌な予感が過った時には既にその身をしっかりと抑え込んでいた。そして、「待て」と言う暇も与えず、尻を剥いて薬を押し込む。
「……っ…!」
グイッと薬を奥へと突っ込まれ、風早の指が抜かれる感覚に、忍人の目から涙が零れる。忍人は皆に背を向けて横臥すると、少し丸くなってシクシクと泣き始めた。
「ひ…酷い……寄って集って…………千尋まで……俺にこんな辱めを…」
「辱めって……坐薬っていうのは、こうやって使うものですよ」
風早は苦笑しながら続ける。
「忍人からすれば俺に辱められたように感じるかも知れませんけど、それでも千尋や柊にされるよりはマシでしょう?加減も心得てるし、薬を挿れるついでに悪戯するような真似はしないし……剥かれるのなんて初めてじゃないんですから…」
確かに風早の言う通りではあるし、見られるだけなら柊にだって千尋にだって何度も見られてはいるのだが、だからと言って納得出来るものではない。
それどころか風早の言は、気持ちを軽くするよりも、心の傷に塩を塗りたくられたようにさえ感じた。忍人は更に丸くなって声を殺して泣き濡れる。
そんな忍人の様子に、千尋は慰めるように掛布から覗く頭を軽く何度か優しく撫でると、しばらくそっとしておいてあげた方が良いだろうと、二人を促して退室することにした。
「忍人さん、ゆっくり休んでくださいね。あんまり泣いてると、更に熱が上がって、またそれを使う羽目になっちゃうかも知れませんから……無理にでも気持ちを切り替えて、少し眠ってください」
そう言って部屋を出て行こうとすると、焦ったような声で名を呼ばれた。
「千尋!」
「はい?」
千尋が振り返ると、一度こちらを向いたと見られる忍人が慌てて向こうへと向き直って言う。
「……もう少し…ここに居てくれないか?」
「いいですよ」
千尋は風早達を追い立てると、忍人の枕元へと戻って行った。

忍人があんな風に千尋を呼び止めたくらいだから、熱と心の傷とで随分と気が弱くなっているに違いない。自分が風邪で臥せっている時のことを思い起こせば、こんな時はそっと傍に寄り添っているのが一番だろう、と千尋はただ黙って静かに傍らの椅子に腰かけて居た。
しばらくして、泣き止んだ忍人は仰向けになって掛布から半分顔を出すと、おずおずと問う。
「君も、こんなに目に遭わされたのか?」
「はぃ?」
「だから、その……風早に、こんなものを挿れられたり…」
「私は使ったことないです。ただ、那岐が時々…。面倒くさいって言って病院行かないわ、碌に食べられないもんだから薬飲めないわで、せめて熱だけでも何とかしようってことで坐薬使われる羽目になっちゃって…」
病院とか、食べられないと薬が飲めないという意味が解らない忍人に、千尋は一生懸命言葉を選んでそれを説明した。
病院はこちらで言う薬師達が沢山いるところで、向こうでは基本的には薬師に来てもらうのではなく病人や怪我人の方が薬師の元へ足を運ぶいう仕組みは腑に落ちないようだったが、とりあえずそういう習慣なのだと認識はしたようだった。
「それと、向こうで簡単に入手出来る薬は、こっちみたいな薬湯じゃなくて、粒状の丸薬よりもっと大きな塊だったり、逆に細かい粉だったりするんです。しかも、熱さましとかの類って、胃が空っぽの時には飲んじゃいけないので、食事が出来ないと飲めないんですよ。病院に行けば飲み薬以外の手段も有りますけど、物凄く待たされるから那岐じゃなくても億劫で…。だから、いつまでも熱が引かない場合は、坐薬の出番だったんです」
「那岐は素直にこれを…?」
「まさか……那岐も毎回、そりゃもう死に物狂いで抵抗してましたよ。そんなもの使わなくても寝てればその内治るってば、とか言って…。でも、風早がそれを押さえつけて強引に……それはそれは、見事なお手並みでした。今なら、あの見事さも納得がいきます。本調子の忍人さんを相手取って捕まえて抑え込んで下衣を剥ぎ取って百叩きに出来るなら、弱った那岐なんてちょろいもんですよね」
「…………っ……」
またもや心の傷に塩を塗り込まれて忍人は再び泣きそうになったが、どうにか堪える。
「忍人さん、また熱が上がって来ちゃいましたか?」
「いや、これは…」
慌てて言い訳しようとしたが、千尋は構わずおしぼりを取りかえると優しく言った。
「お喋りはこのくらいにして、もう休んでください。私はこのまま、夕餉が済むまではずっとここに居ますから…」
その柔らかな声音と、額に感じる冷たさと、肌に張り付いた髪をそっと退ける優しい指先に促されて、忍人はその手の先で小さく頷くと、静かに目を閉じて暫しの眠りに付いたのだった。

-了-

《あとがき》

忍人さんと坐薬のお話。
キーアイテム(?)は忍人さんのお尻(*^_^ ;)
うちの忍人さんのお尻は、何かにつけて狙われています。

柊は淡い夢を見ながら、形状やら効能の研究やらに勤しんでいます。その研究成果は、黒龍の元から逃げ戻った際に間違いなく役立ったことでしょう。
また、うちの忍人さんは、風早から数えきれないほど百叩きにされ、当然その大半は直で叩かれて来ましたので……風早が忍人さんを捕まえてからその尻を剥くまでの一連の流れは、殆ど名人芸と思われます。風早は、抵抗する暇など与えてくれません。

ちなみに、千尋の部屋や忍人さんの病室(?)の手前やその周辺には、通常は警護の兵がいる筈なのですが……柊と関わり合いになりたくないので逃げました。逃げなかった極一部の者も、柊が忍人さんの病室に入るのを止められなかった時点で、忍人さんの名誉の為に遠ざかりました。だって、碌なことにならないのは容易に予測出来るから…(-_-;)
とりあえず、女王のことは風早が護ってくれるし、忍人さんのことは柊と風早以外からなら柊が護ってくれるので、護衛の役目を放棄しても然して問題ありません。その隙にたまたま近くに賊でも入ったなら後で忍人さんに怒鳴られることになるのでしょうが、そうでもない限りは不問にされます(^_^;)

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