夢は散りゆき

「あのさ、千尋。さっきから何を溜息ばっかついてる訳?」
「えっ、私、そんなに溜息ばっかりついてた?」
「ええ、まぁ…。俺もちょっと気になってました。何か気がかりなことがあるなら、独りで悩んでないで、俺に話してもらえると嬉しいです」
「うん……まぁ、傍から見たら下らないことなのかも知れないけど……いろいろと夢が破れた気がして…」
葦原家の3人で何となしに茶飲み話をしていて、ふと千尋は思ったのだ。
――確か、私って新婚よね

千尋と忍人の婚儀が執り行われたのは、つい先日のことだった。
その日を含めて3日、慣習により二人はこの部屋で仲睦まじく過ごした。昼間は風早や柊の邪魔が入ったものの、それでも無趣味で口下手な忍人と二人きりでただ閉じ込められるよりは良かっただろう。
そして4日目、仕事に復帰した忍人は夜遅くなっても戻っては来なかった。
溜まっている仕事を片付けて戻って来た時は、千尋は待ちくたびれて眠っていた。忍人の手で運ばれたらしく、目が覚めた時は朝日の薄明かりの中で忍人が身支度をしている姿を寝台の中から目にした。
「君も執務で大変なんだ。無理をして、起きて俺を待つことはないぞ。先に休んでいてくれ」
それ以来、毎晩、先に休んでは後から目覚めることの繰り返しだ。しかも、千尋が起きている内に忍人が帰って来るのは公休日前夜だけである。

「そもそも、結婚式もイメージとはまるでかけ離れたものになっちゃったし…」
千尋が夢見ていたのは、高原のチャペルでウエディングドレスを着てバージンロードを歩くというものだった。
風早に手を取られて祭壇の前まで歩き、白のテールコートを纏った花婿の手に渡される。指輪の交換に誓いのキス、ライスシャワーにブーケトス、そんな光景を夢見ていた。
しかし、実際にはウエディングドレスどころか、然して特別な衣装は纏えず、いつもの仕事着に絹綾と冠を被っただけ。
会場も高原のチャペルではなく、生活の場であり仕事場でもある橿原宮で、ステンドグラスもなければ神父も居らず、祭壇にあったのは蝋燭ではなく篝火だった。
指輪の交換もなければ、誓いのキスもライスシャワーもブーケトスもない。
唯一の救いとなったのは、普段は黒尽くめの新郎がちゃんと着飾った姿を見せてくれたことくらいのものである。
「女王の結婚は国家行事なんだから、仕方ないだろ」

「披露宴だって、お色直しもケーキ入刀もなかったし…」
披露宴自体はあったと言っても良いのかも知れないが、当然、千尋が思い描いたものとはかけ離れていた。
これまた、国家行事なのだから仕方がない。
国内外の有力者を招いての祝宴である。
「それじゃあ、近い内に今度は仲間内でのお祝いパーティーでも開きますか?ウエディングドレスとカクテルドレスも用意して……出来るだけ、千尋の理想の披露宴に近づけてみますよ」
風早の提案に、千尋の顔が輝いた。
「でも、さすがにケーキ入刀は無理だろ」
「ははは…そこは、子宝饅頭とか万福焼売とかで勘弁してください」

「初夜だって、お洒落なホテルとかじゃなかったし…」
高原の綺麗なホテルのスイートルームでムードたっぷりに、なんて夢もあっさり破られた。
「この国で最も高貴な部屋と寝台も、千尋に掛かっては自分の部屋といつもの寝床ですからね」
慣習では、部屋の中で采女が2人、ちゃんと女王が床入り出来たのかを確認するために立ち会うことになっていたのだが、それはさすがに猛反発して、忍人も一緒に異を唱えてくれて、最終兵器・柊を使う寸前で何とか回避することに成功した。
「いつもと違うなら、逆にボロ宿とかの方が満足出来たんじゃないの?」
「そうかも…」

「それに、新居を構えるどころか、夫が身一つで私の部屋に転がり込んだようなものでしょう?」
女王の婿に迎えられて、忍人は千尋の部屋で寝起きを共にするようになった。それは向こうの世界では、女の部屋に転がり込んだと表現されるだろう。
しかも、忍人には私物と言える物が少ない。殆ど身一つ、これと言って運び込む物もなく、婚儀の後でそのまま千尋と共にこの部屋に入ってそのまま居ついているような状態である。唯一、忍人の荷物として運び入れられたのは、数着の服だけである。後は、折にふれて忍人自身が持ち込んだ小物が少々というところか。
「……向こうなら典型的なヒモ亭主の図式だよね」
「実態は、立派過ぎる程に立派な肩書があって、働き過ぎるくらいに働いてるんですけどね」

「新婚旅行だって行けなかったし…」
「すぐには無理でしょうけど、その内、熊野詣くらいなら行けると思いますよ。さすがに、道中はお供がゾロゾロ付きますが、向こうでは上手くすれば二人っきりにもなれるでしょうし…」
風早が何とか慰めようと試みたが、千尋の夢とはかけ離れている。
「私……新婚旅行は、豪華客船の旅か、オーストラリアでコアラ抱いて記念撮影したかったの~」
「どっちも、こっちじゃ無理だって…」
「……世界一周空の旅で良ければ、俺が何とかします」

「手料理作って夫の帰りを待つ、って図式もNGだし…」
千尋は、家事が得意という訳ではないが、一通りのことは出来る。
普段は風早がやっていたし、こちらの世界でそれが必要とされることなどないであろうことは解っていても、真似をしたがる千尋に風早は丁寧に手解きした。
こちらの世界でも、たまに菓子作りなどはしている。周りは良い顔をしないが、風早と柊が上手く執り成して、道臣が材料を揃えてくれて、本当に極々たまにだが厨を使わせてもらっている。忍人も最近では諦めたのか黙認しているらしい。
しかし、食事となると話は別だった。
「そりゃ、女王が御飯作りなんて、有り得ないだろう」
「うん。おかげで、味噌汁とか珈琲の香りをさせながら”朝御飯出来たわよ”って言ってキスと共に起こすって図式も成り立たないのよね」
溜息混じりにそう零す千尋に、風早は苦笑する。
「こっちにはまだ珈琲はありませんし、例え御飯作りが容認されたとしても、忍人が相手では、まず千尋が先に起きられることはないと思います」
「葛城将軍が熱でも出してぶっ倒れてれば話は別だけどね」
倒れていた場合は、そもそも起こさないので、やはり千尋の夢は叶わない。
「寧ろ、そこは、忍人にキスで起こして欲しいと願った方がまだ実現の可能性があるんじゃないでしょうか」
「ん~、今ならやってくれるかなぁ」
千尋はほんの少しだけ期待に胸を膨らませた。

「そうそう、新婚さんと言えば、例のアレ…」
「例のアレ?」
「うん。おかえりなさい、あなた。御飯になさいます?お風呂になさいます?それとも私?…ってヤツ」
「いつの時代のネタだよ、それ…。大体、それと同じようなことなら、風早がやってたじゃん」
――お帰りなさい、千尋。おやつにします?宿題にします?それとも俺?
小学校から帰った二人は、毎日そうやって風早に出迎えられた。
中学になると少し変化したが、似たようなものだ。
――おかえりなさい、千尋。御飯にします?お風呂にします?それとも俺?
高校生になってそれが止んだのは、二人の高校入学と同時に風早も同校の教師となったからである。
勿論、最後の”俺”は新婚さんの場合とは違い、「俺と遊んでくれますか?」などの意味ではあるのだが、那岐は毎日そのうすら寒さと苦闘していた。
「あれ聞いて、どう思った?」
「どう、って……あの頃はあれが普通だと思ってたから…」
でも、確かに今やられたら寒いかも知れない、と思わないでもない千尋だった。

そこへ、忍人が帰って来た。
結婚以来、忍人が夕餉に間に合うように戻って来たのはこれが初めてだった。珍しいこともあるものだと思いながら、我が目を疑って目を擦り瞬かせていた千尋を風早が促す。
「千尋、折角ですから試しに言ってみたらどうです?」
「う、うん」
千尋は思い切って忍人の胸に飛び込みながら言ってみた。
「おかえりなさい、忍人さん。御飯になさいますか?お風呂になさいますか?それとも私?」
さぁ、果たして忍人は困るか怒るか呆れるか。はたまた、あっさりどれかを選ぶのか。
3人は期待と不安を胸に、忍人の返答を待った。
すると忍人は、焦ったように千尋を引き剥がして、訝しげな顔で訊く。
「……臭うか?」
「はぃ?」
3人が声を揃えて首を捻ると、忍人は真剣に自分の胸元を引っ張ったり袖口を顔の前に持って行ってクンクンと嗅いだ。
「自分では解らないのだが……今日は一日机仕事だったから、大して汗はかいてないし……だが、君が気になるのであれば、すぐに風呂に入って来る」
どうやら忍人は、千尋が抱きつくなり入浴を勧めて来たので、自分が汗臭かったか何かしたのだと思ったらしい。
「……臭ってません」
千尋が肩を落として答えると、風早が苦笑して解説する。
「ははは…今のは、向こうの世界での新婚さんの、お出迎えの定型句みたいなものです」
「そうなのか?」
「はい。ちょうど、そういう話をしていたものですから…。それで、”飯”、”風呂”、”千尋を抱く”のどれにします?順番を決めてください」
「あっ、風早…ダメだよ、順番とか言っちゃ……面白くないじゃないの」
「……その訊き方も拙いだろ。超オヤジ」
千尋と那岐が風早に文句を言っている間に考えて、忍人はサラリと答えた。
「では、千尋を抱く、飯、風呂の順にする」
「はぃ?」
「ほぉ~、よくもまぁ、俺の前で抜け抜けと…」
「……って、怒るくらいなら訊くなよ」
しかし、忍人は構わず千尋に手を伸ばすと、その身をそっと抱きしめた。そして、囁く。
「ただいま」
「へっ?」
「先程、抱きしめ損ねて言いそびれた」
「あっ、そう言うことですか」
言われてみれば、千尋が「おかえりなさい」と抱きついたのに対して、抱きしめ返したり「ただいま」と言ったりはしていなかったな、と3人は納得してしまった。
「さて、それでは久しぶりに夕餉を共にしようか」
「……はい」
何やら拍子抜けして、千尋はノロノロと席に付いた。
そうして、結婚に抱いていた夢がまた一つ、ガラガラと音を立てて崩れ去って行ったのであった。

-了-

《あとがき》

千尋が描いていた結婚式やら結婚生活の夢が次々に破れて無惨にも散って行ったというお話。

結婚にあれやこれやの夢を抱く年頃に育った環境と、実際に結婚に至った環境があまりにも違い過ぎて、次から次へと期待を裏切られる結果となりました。
でも、そのまま現代日本で暮らしてたとしても、そうそう夢見た通りにはいきませんので、どうせ「こんなはずじゃなかったのに…」と思うのなら、まるで世界が違っている方が諦めもつくと思います。

それに千尋はこうしていろいろ愚痴りってはいますが、これらの夢が全て叶うよりも、夢が片っ端から散っても忍人さんと出会えて一緒になれたことの方が幸せだと思っています(*^_^*)

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