空蝉

「常世の復国祭となれば滅多な理由で欠席など出来ませんし……かと言って、今、忍人まで宮を空けては、攻め込む隙を与えるようなものですね。無論、私がその気になれば、返り討ちどころかそれに乗じて完膚なきまでに叩きのめして差し上げることも出来ましょうが、それは我が君のお気に召しますまい」
敵の命さえ惜しむような姫だ、避けられる戦ならば避けねばなるまい。そう柊が千尋の方を伺い見ると、千尋は「その通り」と言わんばかりの顔をしていた。
そこで、忍人はやや肩を落とした風情で言う。
「やはり今回は、俺は千尋の護衛を布都彦達に託すしかないだろう」
「ええ、あなたの腹心の部下と布都彦なら、女王の護衛は充分に務まるでしょう。ただ、彼らには姫をどこまで守り通せるものか、それが心配なのです」
柊が何を言っているのか解らず、忍人と千尋は首を捻った。
「本当の意味で姫をどこまでもお守りできるのは忍人だけなのではないかと…。それに、我が君も出来ることなら忍人に付いて来てもらいたいご様子」
「俺だって、正直なところ、千尋の護衛を他の奴らに任せたくなどない。だが、それは、信用の問題ではなく、感情の問題だ。私情で国を危険にさらす訳にもいくまい」
腹心の部下達も布都彦も、決して千尋に不埒な真似などしないし、滅多なことでは後れを取ることもないだろう。その誠実さも腕前も、充分信用出来る。もっとも、だからと言って、自分以外の男に千尋を任せるのは決していい気分ではない。本音を言えば、千尋にも行って欲しくはないのだが、どうしても行かねばならない以上は自分が同行したい。しかし、これらはすべて忍人の個人的な感情であって、女王の留守を守るのが大将軍としてなすべきことである。私情は抑えなくてはならない。
千尋にもそれは解っている。だから、忍人にこう言ってもらえただけでも良しとしなくてはならないと思っていた。
しかし、忍人の口から本音が漏れたのを聞いて、柊は愉しそうに笑うと言って退けた。
「おや、随分と素直に本音を吐きましたね。結構です。あなたもその気なら……我が君のお望み通り、葛城将軍が宮を空けることなく、忍人が姫の護衛に付けるように致しましょう」

「如何でしょう、我が君。これなら、誰の目にも葛城将軍だとは解りますまい」
采女のお仕着せをまとって髢を付けた忍人は、化粧も紅を注しただけだというのに何処からどう見ても女性にしか見えなかった。
「うわ~、忍人さんってば、やっぱり美人ですね~。アシュヴィンはさすがに気付くだろうけど……シャニに口説かれちゃうんじゃないですか?」
「変装って、何も、女装でなくても良いのではないか?」
口を開けばいつもと然して変わらぬ声なのだが、それでも意識して少しばかり高めに柔らかく作っているようで、この姿を見ながらだと魅惑的な低い声を持った女性だと錯覚してしまう。
「何を言ってるんですか。何処からどう見ても女性だからこそ、あなただと気付かれることもなく、そして我が君の寝室から追い出されることもなく、お傍に居られるのではありませんか」
「布都彦だって、千尋が許せば寝室に入れるだろう」
「姫が起きている間は入れても、お休みになられている間は無理ですよ。我が君に呼ばれればいつでも飛び込むことは出来ましょうが……出来てせいぜい廊下で寝ずの番くらいでしょう。そもそも、入室を許されたところで布都彦がいつまでも姫の寝室に居座れるとも思えませんしね」
常世の兵達にも千尋に好意的な者は多いし、新皇と共に常世を荒廃から救ったことは広く知れ渡っているが、一方でそれを良くは思わぬ者も何処に潜んでいるか解らない。アシュヴィンも千尋の為に充分に気を付けてはくれるだろうが、彼とて末端まで完全に目が届くとは限らない。アシュヴィンの居城でならばともかく、道中は決して安全とは言えなかった。廊下で見張っていたところで隠し通路から侵入されては手遅れということだってある。
「采女ならば、女王の就寝中も室内に控えていることが可能です。あなたが傍に居れば、万一に備えて姫が気を張る必要もありません。ゆっくりとお休みいただけます。それとも忍人は、姫にあなたのように一晩中辺りを警戒しながら断続的な浅い眠りで夜を過ごせと言うのですか?」
「そんなことを言える訳ないだろう。大体、あんなものは慣れだ。一朝一夕で出来るものではない」
「ええ、ですから仮眠どころか徹夜にも慣れているあなたが、しっかりお守りして差し上げて下さい。その方が、合理的でしょう?」
「それは、確かに…」
「あなたの女装の完成度は一ノ姫の替え玉で確認済みですし、何かあったら風早を飛ばしますから、お傍でしっかり我が君をお護りしてくださいね」

「なるほど……それで、その恰好か。だが、ここに居るのは間違いないのだし、折角だから龍の姫と共に祝宴に顔を出したらどうだ?今なら、夫君が一緒でなくば龍の姫も楽しめまい、と俺が勝手に黒麒麟を迎えにやったことにすれば体裁は取り繕えるぞ」
「それいいね。アシュヴィン、それでお願い出来る?」
「お前の頼みとあらば…な。実際のところ、お前は夫婦揃って参加したいのだろう?」
「うん。実は、苦労の末に忍人さんを着飾らせる約束を取り付けたのに、その計画が台無しになってすっごく残念に思ってたんだ。でも、アシュヴィンが協力してくれるなら……あの約束は守ってもらえますよね、忍人さん」
「そ、それは勿論、君との約束だからな。しかし、あれの何処に苦労があったと……?」
「苦労しましたよ~。何しろ忍人さんは嘘泣きでは騙せませんから、感情を昂らせて本気で泣きましたし……風早と柊にも協力してもらって脅しをかけて……おかげで、最後には忍人さんも、せめて軍の略礼服で勘弁してくれって、必死に頼み込んで来たでしょう?」
「ははっ、不敗の葛城将軍も奥方には敵わぬか」
「しかし、小細工をしてまで俺が出席しなくても……そもそも、礼服など持って来ていないし…」
「略礼服なら、私の荷物の中に入ってましたよ。多分、柊が紛れ込ませておいたんだと思います」
「何て用意周到な…」
しかし、こんな騙し討ちのようなやり方は、忍人の気に障った。すると、アシュヴィンがにやりと笑って言う。
「小細工が嫌なら、いっそ、その恰好のまま采女として随従するか?」
「……っ…!」
「大きな宴席では女王の世話をする為の采女が付き従っていても不思議ではあるまい。無論、采女ならば王命に逆らうことなど許されんだろうな」
「あっ、そうか。今の忍人さんは、表向きは采女の忍(しのぶ)ですもんね。他の人の前で私が命令したら、逆らえないんだぁ」
「そ、それは…」
忍人は狼狽えた。
「どうします、忍人さん?王婿の葛城忍人と采女の忍、どちらとして出席するのか、好きな方を選んでください」
「……既に、その二択しかないのか?」
「ありません」
「ないな」
千尋とアシュヴィンに揃って言い切られて、忍人は究極の選択を迫られた気がした。
「………………………………葛城忍人で……頼む」
すると千尋は、すかさず念を押す。
「それは勿論、略礼服も着るってことですよね?」
少しばかり涙目になっていた忍人は、このダメ押しにコクリと頷いた。
そして速やかに千尋の荷物から略礼服を掘り出すとそれを持って衝立の陰に姿を消し、手早く紅を落として髢を外し、あれよあれよという間に采女から王婿の姿へと変身したのだった。

珍しく煌びやかな礼服を纏った夫と腕を組んで大勢の前に出た女王は、祝宴の間中、誰よりも幸せそうに微笑み続けることとなる。
しかし、その本当の理由を知らぬ者は多く、彼らの目には、中つ国の女王が常世の復国を心から慶んでくれているように写ったのであった。

-了-

《あとがき》

忍人さん女装ネタ(^_^;)
千尋が言うように、とっても美人です。化粧の必要なんてないくらい、綺麗です。
シャニだけでなく、行く先々で口説かれそうですが、女王の近くにピタリとついてて気軽には声かけられないし、かけても冷ややかに一瞥喰らうだけで声は殆ど聞かせてもらえません。さすがに、そこは忍人さんも警戒してるから、外部の人とは極力口をきかないようにしています。
でも、喋ってもバレないくらい、皆さん、見た目に騙されることでしょう。

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