桜咲く

今年も桜の見頃がやって来て、忍人は千尋と共に個人的に桜を見に行く約束を交わした。
勿論忍人は千尋の公休日に二人だけで行くつもりだったのだが、案の定、邪魔が入った。
「忍人さん…今度のお花見、皆も一緒でいいですか?」
「その"皆"の中に柊が含まれていないなら、どれだけ大勢付いて来ようとも構わない」
無駄だと知りながらそう答える忍人に、千尋は黙り込んでしまった。
「やはり、な…。そもそも、君は俺に言うべき言葉を間違えている。俺が何と答えようとも、柊を含め他の者が共に来るのは既に決まっていることだろう。俺が拒んだところで、奴等は勝手に付いてくるに違いない。ならば、その問いに意味などない」
「…はい」
千尋は忍人の言い分はもっともだと、ただ項垂れるしかなかった。
「それで、柊と…風早も来るとして…他にも誰か来るのか?」
「遠夜と岩長姫と道臣さんが一緒です」
「師君もいらっしゃるのか!?」
柊に横槍を入れられることと、その場合もれなく風早も付いてくる辺りまでは予想していたが、これは予想外のお邪魔虫要員である。
「しかし何故、師君が…?」
そこまで言って、忍人はハッとした。
「まさか、千尋…君の世界の花見の話を、師君の耳に入れたのではないだろうな!?」
「私は話した覚えがないんですけど……」
千尋が話さなくても何処からか聞きつけてしまったらしい。
桜の下での酒盛りなどという風習を知って、師が黙っているはずがない。間違いなく当日は酒宴になだれ込むことになる。柊だけでも始末に困るのに、これはますますもって困った事態だ。
「ダメ…ですか?」
「…その問いも無意味だな」
駄目だと答えてどうにかなるものなら、忍人は幾らでもそう言うところだが、生憎そんなことは通用しない。それは千尋以上に、忍人が身に染みて理解していることであった。

千尋を部屋へと送った後、忍人は森の奥に踏み入った。
「遠夜、居るか?居たら出て来てくれ」
泉の畔で天に向かって名を呼ぶと、程なく遠夜が姿を現した。
「千尋から聞いたのだが…今度の花見に君も来るそうだな?」
忍人に問われて、遠夜はコクリと頷いた。それから、不安そうに忍人を見る。
「忍人…オレが一緒だと…困る?」
言葉は解らなくても、以前アシュヴィンが言っていたように、今は忍人も何となく遠夜が言ってる内容を推察出来る。
「そんな顔をしないでくれ。俺は、君が来ることを拒んではいない。むしろ、来てくれた方が助かるのではないかと考えているくらいだ」
「助かる…?」
遠夜は、今度は不思議そうに忍人を見つめる。
「花見の席では、恐らく師君が酒盛りをするだろう。そうなっては、風早はすぐに何の役にも立たなくなる。だから君に協力して欲しい」
「オレは…何をすればいい?」
先を促すような表情で見つめられて、忍人は遠夜にやって欲しいと思っていることを語ったのだった。

そして花見当日。
「すみません、お邪魔なのは解っているのですが…」
「師君が相手では、如何に交渉術に長けた道臣殿でも断りきれないことは承知しています」
道臣一人だけが申し訳なさそうに、そして他の者が平然と付いてくる中、忍人は妙に吹っ切れた顔をしていた。
そして案の定、桜の下で岩長姫による酒宴が始まった。千尋以外の全員が大量の酒を担いでここまで来たのだから当然だ。
「ごちゃごちゃ言わずに飲んだ、飲んだ。何だい遠夜、あんた随分いける口だねえ」
岩長姫が千尋に盃を押し付けて酒を注ぐと、必ず遠夜がそれを奪い取って中身を飲み干していく。
「神子に注がれた酒は…オレが飲む…」
どれだけ飲もうと、遠夜は全く乱れる様子がなかった。
更に遠夜は、柊や岩長姫の盃が空になると、すかさずそれを酒で満たす。
「飲んで…」
他の者が相手ならば適当に躱せる柊も、遠夜が相手ではそうはいかない。口を付けるまでジッと見つめられ、飲み干せばすぐにお代わりを注がれてしまう。
こうして柊はとても忍人をからかう余裕などなくなるほど酔いが回っていった。酔いに任せて忍人に絡みそうにもなったが、それも遠夜によって阻止される。、
「神子の邪魔は…させない…」
遠夜は無造作に柊を持ち上げると、離れたところにポイッと捨てた。
その様子を見ながら、忍人は見えないようにそっと笑った。ただ表情は見えなくても、千尋には何となく伝わるものがあったのだろう。
「楽しそうですね、忍人さん」
「ああ、遠夜のおかげだ」
千尋が酒を勧められることは解っていたが、千尋の分まで師の盃を受けていては忍人の身が持たない。しかし、遠夜は底なしなので幾らでも代わりに飲んでもらえる。千尋の為に何かしたくて堪らない遠夜は、喜んで忍人の頼み通りに千尋の盃を引き受けてくれた。
飲める相手がいるとなれば、岩長姫は喜んでそちらと飲み交わす。おかげで忍人は師の相手からも解放された。
全ては千尋の為と言い含めて、柊を酔い潰し、それでも邪魔するようなら引き離してくれるようにと頼んでおいたが、遠夜は期待以上に活躍してくれた。
「そうだ、遠夜。何か歌ってくれる?」
「神子が望むなら…」
千尋に請われるままに、遠夜は歌い続けた。その声を聴きながら、遠夜が来てくれて本当に良かった、と忍人は改めて感謝の念を覚えたのだった。

-了-

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