夜明けの攻防

「千尋、朝ですよ。起きてください」
「ん~、もうちょっとだけ寝かせて……」
優しく揺り起す風早に、千尋は掛布の端を握って細やかな抵抗をする。
「ダメですよ、千尋。ほら、起きてください。今日は皆で珊瑚を探しに行くんでしょう?」
「うぅっ、そうなんだけど……」
珊瑚がないと祭りが出来ないと聞いて、探しに行くことにして、早朝出立を決めたのは千尋だった。
しかし、眠い。何しろ昨夜は、皆に内緒で珊瑚を探しに出た足往を追って行った結果、河童と戦う羽目になり、挙句に忍人から説教を喰らっていたので碌に寝ていないのだ。
「お願い、もうちょっとだけ……」
「もうちょっと、もうちょっとって……ぐずぐずしてたら、珊瑚を見つける前に日が暮れちゃいますよ」
「うぅっ、だって眠いんだもん」
風早が掛布の上から千尋を揺すったが、千尋は掛布の端を握り締めて蓑虫のように包まってしまっている。
その内に柊も来て、褥の両方向から声を掛けたり揺すったりを繰り返したが、千尋は一向に起き上がる気配を見せない。
そんな様子を那岐は呆れながらしばらく眺めていたのだった。
そうこうしていると、ふと柊が部屋の外に顔を向けてから、千尋の耳元で囁いた。
「すぐに起きてください、姫。さもないと……恐ろしいことになりますよ」

なかなか起きて来ない千尋を心配して、忍人は千尋の部屋までやって来た。
体調が悪くて起き上れないのか。もしや昨夜の敵が毒を持っていたのに気付かず放置してしまったのではないか、などと不安に思っていた忍人は、千尋と風早達の攻防を目にしてそれが杞憂だったことを悟った。
千尋は単に寝坊しているだけだ。原因の一端は、昨夜の軽率な行動だろう。
忍人はそれらの事情を一瞬にして悟ると、つかつかと枕元に歩み寄って一喝した。
「起きろ、二ノ姫!とっくに起床の刻限は過ぎている」
驚いた千尋は、反って掛布を握り締める手に力を入れて、身を固くしてしまう。
一喝しても起きないと解ると、忍人は掛け布を容赦なく剥ぎ取った。千尋も引き起こされて、半ば投げ出されるようにして寝台の上にへたり込む。
「ふにゃ~、忍人さんの鬼~」
つい文句が口をついて出てしまった千尋に、周りの者達は凍りついた。
案の定、手水桶と千尋の着替えを手にして振り返った忍人の顔は怖かった。
「鬼とは…随分な言い種だな。勝手な行動で夜更かしした挙句に寝坊するなど言語道断だ。この程度の自己管理も出来ずに、国が治められると思うのか」
冷ややかな視線と口調に、千尋の肝は冷え、眠気は一気に吹き飛んだ。
「ごめん…なさい」
小さな声で千尋が謝ると、忍人は持っていたものを千尋の目の前に置く。
「解ったなら、早く顔を洗って着替えるんだ。君の支度が出来次第、出立する」
そう言うと、忍人は部屋を出て行ってしまった。

「ひぇ~、怖かったよ~」
「俺も…怖かったです、千尋の言動が……。忍人は寝坊助が大嫌いですからね」
あの状況で忍人に文句を言うなど、自殺行為もいいところである。よくぞ忍人が手にした手水桶をひっくり返さなかったものだと、感心するやら驚くやら……。
「さすがの忍人も、千尋には甘いみたいですね」
「えぇ~っ、何処が!?」
苦笑する風早に、千尋は反論した。千尋からすれば、 かなり乱暴な扱われ方だったに違いない。
しかし、風早や柊にはあれでも忍人が随分と手加減しているつもりなのが解った。
「だって、 相手が配下の兵なら、怒鳴りつけて掛布を剥ぎ取った後、寝台から引きずり出したところへ頭から水を掛けるか、近くの川などに放り込みますよ」
「ええ、現に今朝も、寝坊した狗奴の子が桶ごと水を被せられたそうです」
「正に軍隊式って奴?やっぱ鬼かね、葛城将軍は…」
那岐が茶化すように言う。
一方千尋は、それってやっぱり足往のことだろうか、と思うと同時に、忍人が怒るのも当然のような気がしてきた。昨夜勝手に天鳥船を抜け出して珊瑚を探しに行った挙句に河童に襲われて忍人の手を煩わせた二人が、今朝は揃いも揃って今度は寝坊してまた忍人の手を煩わせたとあっては、そりゃ普通以上に怒るだろう。考えてみれば、いつものこととは言え忍人の方がよっぽど睡眠時間は少なかったはずだ。

「ああ、我が君…どうか、そのように暗いお顔をなさらないでください。そこまでされる者はめったにおりません。大抵の者は、一喝された時点で跳ね起きますから、ご心配には及びませんよ」
千尋が俯いて固まっているのを見て、柊は誤解したようだった。
「鬼と言うのは、私を起こす時の忍人のことを言うのですよ。何しろ、いきなり踏んでくれましたからね」
修業時代、寝坊した柊を起こしに来た忍人は、声を掛けるどころか随分手前から気配を殺して忍び寄り、無言で柊の脇腹目掛けて踏み付けるように蹴りを入れたのだ。
身の危険を感じて目を覚ませば良し、そのまま喰らっても尚良し。喰らえば、さすがに目を覚ます。柊相手には情け容赦など無用の忍人だった。
「兄弟子に対して、この仕打ち…。酷いと思いませんか?」
「あんた、そんな昔から葛城将軍に毛嫌いされてたのか」
大げさに泣き崩れる振りまでする柊に、那岐の反応は冷たかった。
しかし、そんなことでめげる柊ではない。そのまま話を続ける。
「勿論、私も黙って蹴られたままでいたわけではありません。かと言って真っ向から文句を言う訳にもいかなかったので、優しく耳元で囁いて起こしてもらいたいものですがあなたにはそんな芸当は100年経っても出来やしないのでしょうね、と言ってみました。私にそう言われれば、きっと忍人は意地になって実行するだろうと思ったものですから……」
「そしたら、何か耳元で囁いてくれた?」
「ええ。何て言ってくれるかと楽しみにしながら寝た振りしていたら、それはそれは優しい声音で……そんなに眠っていたいのならば今すぐ永眠させてやろう、って囁いてくれました」
「それ……寝た振りしてるのがバレてたんじゃないのか?」
那岐のツッコミに、風早も千尋も同意して頷いた。しかし方向性は間違っているとは言え、忍人としてはある意味優しくしているつもりだったのかも知れない。起こさないでやるのだから……。
そして、千尋はふと考えた。
「忍人さんって、無理難題は反って実行してくれるんだね。だったら…」
「何か起こし方の希望があるんですか?」
言ってくれれば幾らでも俺が希望通りの起こし方をしますよ、と言わんばかりに問いかける風早に、千尋は恥ずかしさを誤魔化すようにテヘッと笑いながら続けた。
「おはようのキスで起こしてくれないかなぁ、忍人さん」
千尋のそんな希望は、言った途端に寄って集って一刀両断にされた。
「さすがにそれは無理ですね」
「口づけをもって目覚めを誘うなど…私や風早ならまだしも、忍人には到底出来るはずがありません」
「夢を見るのは勝手だけどさ……少しは現実も見なよ、千尋」
自分でも無理だろうと思いながらも、そんなに一斉に否定されるとちょっとだけ傷付かずには居られない千尋であった。

そうして和気藹々とお喋りに花を咲かせていると、頭の上から怒りに満ちた声が降って来た。
「いつまで無駄話をしているつもりだ?」
嫌と言うほど心当たりのある声に全員揃ってそろそろと見上げると、そこには鬼の形相をした忍人が立っている。
「二ノ姫、君一人の都合で皆が待たされていることを解っているのか?」
「ごめんなさい~っ!! すぐに支度します!」
わたわたと顔を洗い夜着に手を掛けた千尋を見て、忍人は踵を返した。ついでに、柊の襟首を掴んで道連れにする。
そして部屋を出る間際、忍人は振り返らずに言った。
「君が強く望むなら…次は、その……希望に沿った起こし方をしてもいい」
「えっ、それってもしかして……」
話を聞かれてたのかと恥ずかしさを感じる一方で、キスで起こしてくれるのだろうかと千尋は甘い期待を胸に抱いた。
些かたどたどしく照れた感じの声音からすると、多分キスの意味は正しく伝わったのだろう。柊の言葉を聞いていたなら、恐らく勘違いはしていないはずだ。 それでもそう言ってくれるということは、もしかして、その気があるということだろうか?
あるいは、到底出来るはずがない、と柊に言われたことで、意地と自棄になっているのかも知れない。
どちらにしても柊のおかげで、次は忍人からキスで起こしてもらえそうだと千尋は胸を高鳴らせる。
しかし、続いて発せられた忍人の言葉に、千尋の胸の高鳴りは一気に別のものへと変わった。
「但し…俺の目の前で惰眠を貪る度胸が、君にあればの話だがな」
忍人の目の前で惰眠を貪る度胸…そんなものは、今ここに居る誰一人として持ち合わせてはいなかった。

-了-

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