転寝の果て

ツバクラメの様子を見に堅庭を訪れた柊は、視線の先に黒い物体を発見した。
もしやと思って、気配を殺してそっと近づくと、想像に違うことなく忍人が横たわっている姿が確認出来た。
「おや?こんなところで昼寝とは、珍しいですね」
いつ跳ね起きて剣を抜かれてもいいように用心しながら更に近づいて行った柊だったが、歩を進めるごとに不安が募った。
そろそろ手も届こうかという距離まで歩み寄っても、忍人が目覚める様子が見られない。
そして、ついには傍らに膝をついても微動だにしない。
「忍人…。起きて下さい、忍人。朝ですよ、おチビさん。忍人……敵襲ですよ!」
声を掛け、揺り動かし、頬を叩いてみても忍人は全く目覚める様子がない。
「やれやれ、こんなになるまで無理をして…仕方のない子ですね」
柊は深く溜め息をつくと、忍人を抱えて堅庭を後にしたのだった。

褥を整え、腰から剣を外し、服を緩めるなど柊が甲斐甲斐しく忍人の世話をしていると、遠夜の手を引いた千尋が部屋へ飛び込んで来た。
「忍人さん、大丈夫ですか!?」
そして千尋は、その場に柊の姿を見て問うた。
「あれ、柊?もしかして責任感じて、介抱してくれてるの?」
しかし、問われた柊の方は、軽く首を傾げる。
「確かに、あの様な姿を見つけておきながら放っておいては、無責任との誹りを免れないでしょうが…。我が君におかれましては、何やら別に思うところがお有りのご様子。よろしければ、私が負うべき責任とはどのようなことなのか、お聞かせ願えますでしょうか?」
問い返されて、今度は千尋が首を傾げる。
「だって…忍人さんは柊の作った落とし穴に嵌まって頭打って気絶したんでしょう?」
しばし二人の間に沈黙が流れる。
先に呪縛から解き放たれたのは柊であった。
「落とし穴とは……落ちるだけならともかく、忍人がそんな無様な嵌まり方をすると、本気でお思いですか?」
「ん~、普通なら嵌まらないだろうけど、柊なら忍人さんでさえそんな嵌り方をするような落とし穴も作れるんじゃないかと思って…」
真面目に返す千尋に柊は複雑な笑みを浮かべた。
「我が君のご期待に背くのは大変心苦しいのですが…残念ながら、私にも出来ないことが多ございます。ましてや、今は悠長に穴など掘っている余裕は持ち合わせておりません。ですが、忍人が落とし穴に嵌まって気絶している姿を見るのは面白そうですね。いずれ研究することに致しましょう」
ぃや、そんな熱心に研究してくれなくてもいいから…。そう千尋は思ったが、今はそれよりももっと気になることがあった。
「それじゃあ、忍人さんはどうしたの?」
「神子…忍人は…深い眠りに捕われている。悪しき夢に…引き込まれている」
千尋が柊と話している間に、遠夜は忍人の様子を確かめた。
顔面蒼白になった千尋に、遠夜は言葉を続ける。
「心配しないで…神子。現に呼び戻す薬…オレが作る」
そう告げてお湯をもらいに部屋を出ていく遠夜を見送ると、千尋は改めて柊に向き直った。その顔を見て、柊は苦笑する。
「どうやら誤解は解けたようですが…」
それから柊は、やや真剣な面持ちになって問う。
「それで、遠夜は何と…?」
問われて千尋は遠夜の言ったことを繰り返した。
そして柊も、ここに至った事情を語る。
「昔から、どんなに良く眠っているように見えても私が近づくと跳ね起きる子だったのに…おかしいでしょう?触れても声を掛けても抱き上げても微動だにしないなど、異常としか思えません。まったく…こんなになるまで無理を重ねて…意地っ張りにも程がありますよ」
呆れたようにそう零した柊に、千尋は昔の忍人についていろいろと話をねだったのだった。

2つの小鉢を抱えて、遠夜が戻って来た。
「これ…飲ませる」
遠夜はそう宣言すると、「眠ってる人に飲み薬?」と首を傾げる千尋を後目に、片方の小鉢の中身を口に含んだ。そして忍人の頭を抱き起こすと、何の躊躇いもなく唇を押しあてる。
「ちょ、ちょっと…遠夜!?」
真っ赤になって慌てふためく千尋に、忍人に薬を飲ませ終えた遠夜は不安そうに顔を上げる。
「…神子?オレ…何か、悪いことした?」
「えっと…その…悪いとかじゃなくて…」
「ふふ…心配することはありませんよ、遠夜。姫は少々驚かれたのと…些か残念に思われているだけです」
柊にからかうように言われて、千尋は更に真っ赤になって狼狽える。
「ですが、我が君…。その甘き唇は、然るべき時の為に大切になされませ。特に此度は、遠夜に任せて正解ですよ」
「えっ、それって、どういう…?」
柊の言った意味が解らず、千尋がきょとんとしていると、忍人のうめき声が聞こえた。
「…ま…ず…い」
途端に千尋は忍人の枕元に寄る。
すると、目を開けた忍人は跳ね起きて、千尋の背後から様子を窺う柊の胸ぐらへと手を伸ばした。
「ひとの口に変な物を突っ込んだのはお前か、柊っ!?」
「違いますよ」
忍人の反応は半ば予想の範疇だったため、柊はあっさり撥ね除けた上に平然と答えた。
「あなたに薬を飲ませたのは遠夜です。良くない眠りに陥っていたので、気付けの薬を作ってくれたんですよ」
指先で肩を突かれて忍人が振り返ると、遠夜が先程とは別の小鉢を差し出していた。
「これも…飲んで…」
言葉は解らなくても、何を言っているのか今までの付き合いから何となく解る。そうでなくても、この状況で「飲め」以外のことを言っているとは思えない。
忍人は小鉢を受取ると、中身を一気に飲み干した。飲み終えるとすぐに、忍人はまた柊を問いただす。
「何故、お前がここ居る?」
「ああ…そんなに怖い顔をしないでください。堅庭に転がっていたあなたを、私が親切にもここまで運んで差し上げたんですから…」
「堅庭に転がっていた?」
「ええ。それはもう見事に…私が何をしようとも身じろぎ一つしない…死体と見まごう程に無防備な転がりぶりで…」
「何をしようとも、って…。一体、何をした!?」
「ふふ…。別に、大したことはしていませんよ。悪戯するには絶好の機会でしたが、踏んだり蹴飛ばしたり落書きしたりなどはしていませんし…。おや、どうしました、忍人?」
楽しそうに語る柊の前で、忍人の身体が傾いだ。支えようと柊が手を伸ばすと、忍人は精一杯の抵抗として柊を突き飛ばして後ろへと倒れ込み、遠夜に受け止められる。
「お、忍人さん!?」
慌てて千尋は忍人の身体に手を伸ばしたが、遠夜がやんわりとそれを阻んで忍人を褥に戻した。
「大丈夫…。穏やかな眠りを誘う薬……飲んだから眠った」
「えぇっと、それって、つまり…遠夜が忍人さんに一服盛ったってこと?」
遠夜はコクリと頷いて、忍人が自分であおった方の小鉢を指し示す。
「栄養補給と眠り薬…。ゆっくり眠れば…元気になる」
「忍人に一服盛るとは……大したものですね」
「でも、無理に眠らせちゃって大丈夫なのかなぁ?」
千尋が心配そうに忍人の顔を覗き込むと、気配を感じたのか忍人が微かにまぶたを震わせる。起こしてしまいそうになった千尋は、慌てて身を起こした。
そんな様子を見て柊は、千尋に暖かい眼差しを向けた。
「どうやら大丈夫のようです。先程も、眠りに落ちながらも私に触れられるのを拒絶したくらいですから…」
柊に拒絶反応を示し、間近に人の気配を感じて何らかの反応をするなら、いつもの忍人だ。後はゆっくり眠らせてやるのが得策だろう。その為には退散あるのみと、柊は忍人の部屋を後にしたのだった。

「千尋から改めて話を聞いた。お前には迷惑をかけたようで……すまなかった」
「おや…これは珍しい。あなたが私に頭を下げるとは…」
「相手が誰であろうと、迷惑をかけたなら詫びるのが礼儀というものだ。例えそれが、柊、お前あっても礼を欠く訳にはいくまい」
しかし、勿論それだけでは話は終わらなかった。
「だが、あれは一体どういうことなんだ?」
あれ、と言うのは船のあちこちで真しやかに囁かれた数々の噂のことである。
「聞いたか?あの葛城将軍が柊殿の罠に嵌まって気絶したんだとよ」
「違うって…。柊殿と手合わせしてて、結界で跳ね飛ばされたんだよ」
「えっ?俺は、手合わせ中に痺れ薬を浴びせられたって聞いたぜ」
「否、『遁甲』使った柊殿に殴り倒されたんだって…」
その他もろもろ、とにかく様々な噂が軍内部を席巻した。全ては、柊が忍人を抱えて歩く姿を見た者達の憶測が次々と広まった結果だ。
「あのような手に引っかかるなど…不名誉極まりないっ!!」
そうは言うが、噂はどれもこれも柊が卑怯な手を使ったことになっているのである。卑怯な手を使われたのでもなければ倒されるなどあり得ないと思われているのだから、不名誉どころではないだろう。
皆は様々な想像を巡らせ、しかもどれも柊ならやりかねないと思われているらしい。実際にその幾つかはやったことがあるのだし、柊は声高に否定して回る気はなかったが、今は忍人を黙らせる必要を感じていた。
「私に不覚をとったくらい、何程のものですか。無様に堅庭の端で倒れていたと知れる方がよっぽど不名誉で…兵達の士気にも関わります。あの程度の噂は甘受なさい」
決戦間近の今、兵達の士気が下がっては元も子もない。
そうして忍人は反論の余地を失い、同じ理由で千尋も口を封じられた結果、真相は闇へと葬られたのであった。

-了-

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