生太刀

女王即位式を終えた千尋の元に、忍人の悲報が届けられた。
狗奴の者が剣戟の音を聞きつけて、本宮警護の兵と供に駆けつけた時には、既に忍人は回廊で倒れており、周りには賊と思しき輩の屍が転がっていたと言う。
その様子から何があったのか大方の察しはついた。葛城将軍が病身を押して戦い、賊を倒して力尽きたのだろうと…。
賊の屍は早急に始末され、微かに息のあった忍人は部屋へと運ばれたが手の施しようがないと言う。

「すぐに遠夜を呼んで!」
千尋はそう叫んで忍人の元へと駆け出した。
しかし、共に忍人の枕元へ駆けつけた風早と柊は、忍人の様子を見て千尋に告げた。
「これは遠夜でもどうにもなりませんね」
「ええ。破魂刀で削られた命は、変若水でも救うことは不可能です」
途端に、千尋の目に涙が溢れ出す。
「千尋、まだ泣くのは早過ぎますよ」
そう言う風早に、千尋は縋るように振り返った。
「何か、助ける方法があるの?だったら、早く言って。忍人さんを助ける為なら、何だってするから」
しかし、風早はゆっくりと首を横に振った。
柊が申し訳なさそうに告げる。
「我々には何も出来ません。忍人を助けられるのは、忍人だけなのです」

以前、忍人は死にかけた時に黄泉比良坂の途中で破魂刀と出会った。
立ちはだかる者全てを切り捨てると言う忍人は荒魂に気に入られて現世に戻り、数多の血を流して来た。
その力を振るう代償は忍人の命。
荒魂は血を求めるもの。それが理だった。
そして今、忍人の命は尽きようとしている。千尋との約束で破魂刀を振るわなくなったと言っても、既に削られていた命は元には戻らない。残った僅かな命数を黒龍との戦いでほぼ使い果たし、辛うじて残っていた分も賊を倒す為に消費された。
「ですが、忍人はあの戦いの中で、一時的にとは言え、破魂刀を生太刀へと変えました」
「もしも再び黄泉比良坂で破魂刀と出会い、それを完全に生太刀へと変えることが出来たなら、忍人の命は救われましょう」
魂を砕く破魂刀に対し、生太刀は生を与える。
欠片程に残された忍人の命は生太刀によって守られ、削られた命は補われる。
そして、生太刀に宿るものは和魂。力の代償は、ただその心の有り様のみ。
「そのこと、忍人さんには…?」
「勿論、教えていません」
柊の返答に千尋がカッとなったが、すかさず風早が止めた。
「柊を責めてはいけませんよ。教えたら、その時点で忍人は生太刀と契約する資格を失ってしまうんですから」
変える事の出来ない伝承。覆す事の出来ない理。その中で人はもがき苦しみながら、僅かに人の力を超えた何かを掴み取って来た事を、風早も柊も知っていた。
「忍人を信じましょう、千尋。きっと、ここに戻ってきます」
そう、他の世界ではなく、この千尋が待っている今の世界に…。
「ですが、残された時間はそう多くはありません。もしも明日の夜明けまでに忍人が目覚めなかった時は……どうか我が君、御覚悟を…」
柊の言葉を受けて、千尋は忍人の枕元でひたすら祈り続けるのだった。

黄泉比良坂を下って行った忍人は、風早達の期待の反することなく破魂刀の荒魂と再会していた。
フードを目深に冠った黒いローブの男女は、その口元に僅かに笑みを浮かべている。
「嬉しいか、破魂刀?」
2人は何も答えない。
「我が命を削って数多の血を流したこと、全てがお前の掌の上で踊らされてのことだったとしても俺は後悔などしない」
そのおかげで千尋と出会い、守る事が出来たのだから。
薄れ行く意識の中で聞こえて来た女王の演説は素晴らしかった。最初に見かけた時からは想像も出来ないくらい成長し、立派な女王となったと感じた。そんな彼女を守れたことを誇りに思う。
後悔するとしたら、別のことだ。
千尋との約束を果たせなかったこと。一緒に桜を見に行くという約束を…。
そのくらいの刻はどうにか保つだろうと思っていたが、賊を討ち果たすだけで精根尽きてしまったらしい。
共に生きるという誓いも守れず、大切な言葉を伝えることすら出来なかった。
自分の訃報に、千尋はきっと泣くだろう。女王が人前で涙を見せれば侮られると注意しようにも、もう声は届かない。自分の所為で千尋が侮られるようなことがあっては死んでも死にきれないと言うのに…。
ぼんやりとそんなことを考えていた忍人の前で、黒ローブの男女がゆっくりと鎌を振り上げた。
「俺にとどめを刺すつもりか?」
忍人はすかさず剣を構えた。
「だが、この命はすべて千尋のもの。もう二度と、一雫たりとも貴様らに啜らせはしない。例え神が相手であろうとも、俺は最後まで抗ってみせる」
   ソノコトバ シカトキイタ
忍人の頭の中に声が響くと、突然目の前の2人がローブを脱ぎ捨てた。眩い光に視界を奪われ、それが戻った時、忍人の手の中で刃の輝きが変わっていた。
   トモニ イキヨ

忍人の傍らで剣が輝くのを見て、千尋達は期待を胸にジッと忍人の顔を覗き込んだ。
程なく、その顔に生気が戻り、微かに瞼が震えると静かに開かれた。
「千尋…?」
目を覚ました忍人の目の前には千尋の泣き顔が広がっていた。その向こうには複数の人影が見える。
「軽率…だな。女王…が…人前…で…涙…を…見せる…など…」
カラカラに乾いた喉で苦し気に発せられた言葉に、柊が呆れたように呟く。
「それが生き返って最初に言うことですか?」
「はは…。まぁ、忍人ですからねぇ」
風早も柊同様に呆れていたが、そこは笑って自分をも誤摩化した。そして少し千尋に場所を譲らせて、忍人に水を飲ませた。
「詳しいことは、もう少し回復してから聞きますから、今はゆっくり休んで下さい」
「ああ」
忍人は大人しく目を閉じた。
「まだ朝まで時間があります。千尋も少し休んで下さい。忍人はもう大丈夫ですから」
しかし、千尋は去り難そうにして、すぐには立ち上がらない。心配そうに、忍人の呼吸と鼓動を確かめるように手を伸ばす。
すると、その手を忍人がそっと捕まえて呟いた。
「千尋、俺は君を愛している」
驚いて千尋が手を引くと、忍人の手はそのままパタッと落ちた。慌てて3人は再び忍人の息を確認したが、忍人は静かに寝息を立てていた。
「今の、寝言…?」
誰にとも無く問う千尋に、柊はきっぱりと言い切った。
「言い逃げですよ。忍人らしくもない」
「はは…。言いそびれたまま死ぬところだったのを、忍人はそれこそ死ぬほど後悔したんでしょうね」
風早は楽しそうに笑って言うと、今度こそ有無を言わさず千尋を立たせて部屋へと送って行ったのだった。

-了-

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