美女と野獣

昔々あるところに、多くの国に隣接する形で広がる大きな森がありました。その森の奥深くに、いつからか美しい黒い毛並みの獣が住みつくようになりました。
獣の姿形は狼に似ていましたが、体高は成人男子程もありました。人間の言葉をも操るその獣を、人々は『魔獣』と呼んで恐れました。
森に隣接する各国は、魔獣討伐の兵を送り込みました。中でも、龍神の神子を自尊する中つ国の女王は、執拗に魔獣の討伐を試みました。
しかし魔獣は強く、その全てが失敗に終わりました。
そんな中、辛うじて生き延びた者達から魔獣の言葉が伝えられました。
「このような無益な戦いは私の本意ではない。だが、手向かうものには容赦しない。命が惜しくば、私に関わるな。いいか、その旨、主に確と伝えよ。臣下の命を無駄に散らす、愚かな女王陛下とやらにな」
確かに魔獣は、戦いを挑んで来ないものには寛容でした。キノコや薬草を採りに森に入っても、その者達が襲われることはありませんでした。それどころか、他の獣に襲われたところを助けられた者までおり、彼らの間では密かに『魔獣』ではなく『森の主』と呼ばれることさえありました。

しばらくして、それなりに平和に暮らしていた魔獣の元に、まだ幼さの残る金の髪の姫と背の高い青い髪の侍従がやって来ました。
姫の名は千尋、侍従の名は風早と言いました。
千尋はこの森に面する国の一つである中つ国の二ノ姫でしたが、神子の末裔とされる王家の姫でありながら龍の声を聞くことが出来ず、その髪の色も異質でした。曰く付の姫では嫁の貰い手もなく、政略結婚の駒にすらなりませんでした。その所為で、姉姫や風早を除く周囲の者達からは出来損ないの鬼子として疎んじられていました。
千尋は、母である女王から建国の女王の大蛇おろち退治に倣って魔獣を退治して王家の姫としての証を立てるよう命じられ、風早と二人で森の奥へと歩を進めていました。
「やっぱり帰りましょう」
「今更、何言ってるのよ」
「だって、どう考えてもおかしいですよ。魔獣を退治して王家の姫としての証を立てろなんて…。さんざん出来損ない呼ばわりしておいて、何だってそんな命令を下すんですか。そんなことが神子の証になるのなら、あんなに兵を失うことなどなかった筈です。とっとと親征すれば済んだんですから……。きっと、この奥には魔獣じゃなくて陛下か狭井君の放った刺客が待ち伏せてるんですよ。こうなったら、いっそのこと木々の間を縫って、二人で何処かに逃げちゃいませんか?」
「もうっ、何度も言わせないで! この髪の色じゃ…………何処へ逃げられるって言うのよ?」
そんな調子でやって来た二人に、魔獣は苛立ったように声をかけました。
「うるさいぞ」
「あっ、ごめんなさい……って、魔獣~~~っ!?」
「下がって、千尋!」
風早は千尋を守るように進み出ると、大剣を構えました。しかし、武器を向けはしてもそれは千尋を守ろうとしているだけと解っていてか、魔獣は襲い掛かろうとはしませんでした。
「軽率だな。主君の悪口や逃げる相談なら、もっと小声でやれ」
「はいっ、すみません!」
思わず揃って謝ってしまった二人に、魔獣は本気の説教を始めました。
「そもそも、刺客が潜んでいると思っていたにしては構えるのが遅い。俺が敵なら、今ごろ君達は死んでいた」
そうした説教を延々と繰り広げた後、魔獣は二人を、更に森の奥にある、今では使われなくなった狩猟小屋へと誘いました。
帰ることは勿論、その特徴的な髪の色から他国へ逃げることも出来ない千尋は、魔獣の勧めに従って、魔獣や風早と共にこの森で暮らすことになりました。

森での暮らしは楽ではありませんでしたが、森の外よりは平穏でした。
千尋のことを巡って風早と魔獣が争うこともありましたが、此処には千尋のことをとやかく言う者はおらず、千尋は出来ないことを気にするよりも出来ることや出来そうなことを精一杯頑張るようになりました。
そうした生活は、千尋に明るさと元気と強さをもたらしました。

ある日のことです。薬草を摘みに来て森の奥に迷い込んだ者達がおりました。
間の悪いことに魔獣は狩りに出かけており、彼らの侵入に気付くのが遅れました。
帰る道を見失った彼らは、千尋達の居る狩猟小屋の近くまでやって来ました。そこで彼らは、楽しそうに立ち働く千尋の姿を目撃してしまいました。
魔物の贄となったはずの二ノ姫が生きている、との報は瞬く間に辺りに広まり、それを耳にした宰相の狭井君によって、すぐさま斥候が放たれました。
「あれは、確かに二の姫!」
「何ということだ? 魔獣の傍で微笑んでおられるとは…」
「鬼子め!魔物の仲間と成り果てたか」

攻め込んで来た中つ国の兵達を、魔獣は蹴散らして回りましたが、何しろ数が多過ぎました。奮闘の甲斐もなく、森の奥まで進軍を許すこととなりました。
魔獣が始末し切れなかった兵達は、千尋の姿を見止めていきり立ちました。立て籠もる狩猟小屋に向けて歩兵が突き進み、矢の雨が浴びせかけられました。
「風早っ、君は中で姫を守っていてくれ!」
駆け戻った魔獣は、千尋と風早を狩猟小屋に籠らせたまま、再び降り注ぐ矢の雨の中へと身を躍らせました。
相手が自分に向かってくるのなら、魔獣にとっては大した敵ではありませんでした。身を潜め、回り込んで各個撃破すれば済む話です。
しかし、敵が千尋を狙っているとなると、そうはいきませんでした。 魔獣が姿を消せば、敵は千尋の方へ行ってしまいます。
魔獣は千尋を守るために、敵前に身を曝して戦い続けました。

辺りが静まり返り、千尋と風早と血まみれの魔獣だけが残されました。
「フゥ~ッ……フッ…………」
荒い呼吸をしていた魔獣は、千尋の無事を確認すると、その場に崩れ落ちました。
「魔獣さん!」
千尋は泣きながら魔獣に取りすがりました。
「嫌だっ、死なないで!」
清らかな涙が魔獣に降りかかります。
「お願い、神様、龍神様。今だけでいい、一度だけでいいから、私に力を下さい。お願い、私に魔獣さんを助けるだけの力をっ!!」
千尋は魔獣の頭を正面から抱きかかえるように腕を回しました。更には、気を吹き込むようにその口元へと口付けます。
すると、腕の中で魔獣が一度大きく上に跳ね上がり、それから弾かれたように後方へと跳ね飛びました。
「魔獣さん!」
驚愕する千尋と風早が見つめる中、魔獣の周りで黒い影と金の光が揺らめき、魔獣は苦痛にもがき苦しみ出しました。
千尋達は訳も分からず、ただ見ていることしか出来ませんでした。
すると、次第に魔獣を取り巻くものが金の光だけとなり、それが消え失せた後には魔獣の姿が消え、代わりに黒を基調に隠し刺繍をふんだんに施した立派な上着を纏った美丈夫の姿が現れました。
「ん…………っ……」
身を起こした青年に、千尋は恐る恐る声をかけました。
「あの……魔獣さん?」
「…………………………ああ」
「もしかして…………本当は人間だった……んでしょうか?」
千尋の問いかけに、青年はせわしなく視線を動かし、それからジッと手を見たりペタペタと自分の顔や服を触ったりすると、驚きと嬉しさの綯交ぜになったような顔で千尋を見ました。
「そうだが…………呪いが……解けた? これは君の力なのか?」
「えっと……何だか解りませんけど…………何にしても、呪いが解けて良かったですね」

めでたし、めでたし、となりかけましたが、風早はそれでは納得しませんでした。
「千尋は良くても、俺はちっとも良くありません。どういうことなのか、ちゃんと説明してください」
「そう言われても、何をどう話したものか……」
青年が困ったように考え込むと、千尋が言いました。
「あの、まずはあなたのお名前を教えてください」
「忍人……葛城忍人だ」
「葛城というと、森の向こうの、あの葛城国の……?」
風早の問いに、忍人は頷きました。
「ああ。その葛城の……第一王子だ、俺は…」
「はぁ、成程。では、呪われたのは、やはり跡目争いでですか?」
すると忍人は、今度は首を横に振りました。
「いや……直接あんな呪いをかけられた訳ではないし、俺を狙ったのは父君なんだ」
忍人曰く、命を狙われた結果として、あのようなことになったとのことでした。
跡目争いで親戚連中から狙われることに対しては、忍人も充分に警戒しておりました。しかし、父親からそこまで疎まれているとまでは思っていませんでした。
忍人は、少しでも国や父の助けとなれるよう、文武に励み、自己を律して努めて来ました。それらの努力は実り、国の誇れる王子となり、父にとっても自慢の息子となっていた筈でした。
しかし、それが仇となりました。いつの頃からか、葛城王は出来の良い息子に自分の地位を脅かされるとの思いに取りつかれてしまったのです。
そのことを忍人は、エイカに率いられた近侍達の裏切りによって初めて知ったのでした。
「太刀が使い物にならなくなり窮地に陥った時、目の前に二振りの太刀が出現して……このまま死ぬのは御免だと思って、とっさにそれを手にした」
そうして裏切者を全て葬り去った忍人でしたが、気付いた時には姿が変わっており、人の言葉は話せるのに事情を明かそうとすると声を縛られ、森の奥に籠ることとなったのでした。

「その太刀って……あれですか?」
千尋の視線の先には、金色に光る二振りの太刀が転がっていました。
「ああ。だが、刀身の色が違う。俺がこの手に掴んだ時は、間違いなく黒光りしていて……」
忍人が困惑していると、風早が思い出したように言いました。
「そう言えば、以前、呪われた刀について、友人から聞いたことがあります。『破魂刀』って言う一対の真っ黒な太刀なんですけど……何でも、真の姿は『生太刀』って言う名前の光輝く太刀だとか…。『破魂刀』は使い手を呪い、『生太刀』は使い手を護る。どちらの刀も使い手を選び、特に『生太刀』は滅多なことでは姿を現さないと言う話でしたね。」
「じゃあ、忍人さんは『生太刀』に使い手として認められたんですね」
嬉しそうな千尋に促されるまま、忍人は再び刀をその手に掴みました。

それから、忍人達は揃って森を出ると、諸国を回って味方を増やして行きました。
森の外では、最初こそ千尋の髪を不気味に思う者は後を絶ちませんでしたが、森で花開いた天性の魅力と培われた明るさや強さによってすぐにそれらは払拭されました。
一方、今や猜疑心どころか地位への妄執ばかりを露わにする葛城王からは、完全に人心が離反しておりました。
そうして葛城国に帰還した忍人は、民から熱狂的に歓迎され、臣からも厚く迎えられることとなりました。
その頃には中つ国でも千尋の姉姫の御世となっており、彼女は葛城の新王から妹姫への求婚をいたく喜びました。
こうして二人は結ばれ、末永く幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。

-了-

《あとがき》

キャラあて込みの御伽噺もどきです。
風千で野獣=白麒麟という案も頭を過ったのですが、やっぱり「ちょー美女と野獣」のCDの威力は大きかったです。

ポスト野獣を忍人さんに決めたら、内容はどんどん本来の「美女と野獣」から懸け離れるばかりでした。
そもそもが”醜い野獣”じゃなくて”美しい魔獣”だし……。
合致しているのは、人語を話す大きな獣がヒロインの愛の力で元の姿に戻ってハッピーエンドを迎えることくらい?

無理に書く必要など全くなかったのですが、ふと「書こうかな?」と思い、忍人さん・千尋・風早のキャラ配置が決まった時点で、もはや引き返すことは適いませんでした。
人語を話す獣にガッツリ説教を食らう二人の図が浮かんだからには、もうお蔵入りになんて出来ません(*^_^ ;)

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