白鳥の王子

昔々、中つ国というところに、千尋という姫がおりました。
母である女王に疎まれていた千尋は、幼少の頃に国外れの森に追いやられてしまいました。それでも心ある若者達が付いて来てくれて、千尋は親代わり兄代わりのような彼らと共に、湖の近くで慎ましく暮らしていました。
ところが、ある時を境に若者達が一人、また一人と姿を消して行きました。忍人が消え、那岐が消え、遠夜が消え、探しに出た柊と布都彦も戻らず、終には風早の姿までもが見えなくなってしまいました。
「皆……何処へ行ってしまったの?」
千尋が湖で泣き顔を洗っていると、白鳥達が舞い降りました。
「千尋…」
満月の光の下で、白鳥と風早達の姿が重なり、声がしました。
「風早っ!? 皆も……一体、何があったの?」
すると忍人が答えました。
「……魔女の求愛を拒んだら、この姿に変えられてしまった」

皆から話を聞いて、千尋は訊きました。
「何か、元に戻る方法とかないの?」
「それは…」
言い淀む風早に、千尋は重ねて問いました。
「あるんだねっ、だったら教えて! 皆を助ける為なら、私、何だってするよ。よほど人道に反すること以外なら…」
さすがに「罪なき者を生贄に捧げろ」などと言われたらどうすることも出来ないでしょうが、自分が艱難辛苦を負って済むなら千尋は何でもするつもりでした。
「柊、あなたなら知ってるよね?どうすれば元に戻れるのか、教えてちょうだい」
千尋の言葉には逆らえず、柊は重い口を開きました。
「私も、元に戻る方法は存じません。ですが、それを知る方法として……姫は、この森に祠があるのをご存知かと思いますが…」
「うん。昔、探検気分で入り込んで、風早にすごく怒られた…アレのことだよね?」
普段は温厚な風早が珍しく千尋に対して厳しい態度をとったことは、千尋の記憶にしっかりと焼き付いていた。
「はい…。祠の主ならば、この呪いを解く方法を知っているはず。奥の祭壇に祈りを捧げ、神託を得てくださいませ」
「でも、無理はしないでくださいね」
「祈ったからって、必ず神託が受けられるって訳じゃないんだしさ」
「授かるにしても、生半な法ではないでしょう」
「俺達に構わず、君は君の生きる道を探せ」
「神子……離れても…心はずっと傍に居る……」
しかし、千尋は皆のことを見捨てたりなど出来ませんでした。自分の生きる道は、皆と共にあるのです。
千尋は皆と別れるとその足で祠へ向かい、近くの泉で身を清めて奥へと進んで行きました。

奥の祭壇で祈りを捧げると、思ったよりも早くに応えがありました。
――汝、沈黙の誓いを立て、イラクサで帷子を編むべし。変化せし者それを纏わば、すなわち呪いから解き放たれよう
イラクサは、この近くの廃墟の裏に沢山生えていました。作り方は神託と同時に脳裏に刻み込まれていました。千尋は祠を出ると、早速イラクサを集めて帷子を編み始めました。
それは何とも過酷な作業でした。摘む時にイラクサの棘が手を刺すだけではありません。帷子を編む為には、それを千切って中の繊維を取り出さなくてならないのです。それでも千尋は、悲鳴や泣き声の一つも洩らすことなく、黙々と作業を続けました。

ある日のことです。千尋がイラクサを摘んでいると、声を掛ける者がありました。
「巡り合わせとは奇妙なものだ。空には美しい月、鄙にはそぐわぬいい女も現れた。ここが廃れた城跡なのが惜しまれるな」
千尋は軽く会釈して立ち去ろうとしましたが、男はすぐ後ろを付いて来ました。
「待てよ、逃げることはないだろう。俺は常世の皇子アシュヴィン。お前の名は何と言う?」
しかし、千尋は答えることは出来ませんでした。イラクサの帷子を6着編み上げるまで、口をきく訳にはいかないのです。そこで、声が出ない振りをしました。
「名乗らぬなら、そうだな……イラクサの姫とでも呼ぶとしようか」
千尋は了承の意を示すためにコクコクと頷いて見せました。
人の目には奇異にしか映らぬ千尋の所業を見て、アシュヴィンは訊きました。
「随分と変わった真似をしているようだが、それは何かの願掛けか?」
千尋は、少し考えてから頷いて見せました。沈黙の誓いを立ててイラクサの帷子を編む、という行為は、風早達を元に戻すための願掛けに近いかも知れないと思ったからです。
「……願掛けではないが近いものという訳か」
アシュヴィンはなかなか勘が鋭く、千尋が言いたいことを上手く察してくれました。声が出ないのではなく話さないのだと判っても、「それも願掛けの内か」と笑っただけで、無理に話させようとはしませんでした。
それからもアシュヴィンは、時々ふらりとやって来ては何くれと話しかけて、まるで千尋の表情の変化を楽しんでいるようでした。千尋も、沈黙は貫き通しましたが、表情や仕草、時には渾身の身振り手振りでアシュヴィンと会話し、あれ以来ずっと沈みがちだった心はアシュヴィンのおかげで随分と慰められました。
何度か逢っている内に、千尋はアシュヴィンに想いを寄せていきました。そしてそれは、アシュヴィンも同じでした。
「お前……俺の妃にならないか?」
千尋は何とも嬉しい申し出に心が高鳴りました。しかし、今の千尋には、それを受け入れることは出来ませんでした。
千尋は輝かせた目を伏せ、ゆっくりと首を横に振りました。
「俺のことが気に入らないか?」
今度は即座に激しく首を横に振りました。
「ふん…期待させるのが上手いな。だが、悪くない。憂いがあるなら、取り除くまでだ」
アシュヴィンは、とにかくこの願掛けがようなものが少しでも早く終わるようにと、千尋を幽宮へ住まわせて面倒を見ることにしました。

幽宮の裏手にはイラクサが沢山生えていました。
千尋は、宮に仕える者達に衣食住の面倒を見てもらいながら、帷子作りに没頭しました。
アシュヴィンは頻繁に顔を出しては、作業の邪魔にならない程度に話をしていきました。時には弟皇子のシャニも来て、こちらは随分とあれこれ話しかけて来ましたが、彼も千尋に無理に返事を求めるようなことはしませんでした。アシュヴィンは「邪魔になるから長居するな」と叱りつけましたが、千尋には良い気晴らしとなりました。
しかし、ここでの生活は、良いことばかりではありませんでした。
アシュヴィンが幽宮に女を住まわせたと知って、レヴァンタが千尋に興味を覚えてしまったのです。そしてある日、アシュヴィンの居ない隙を狙って、イラクサ摘みに出て来た千尋に手を掛けようとしました。
「あの小僧がご執心の娘とは、お前か。何だ、貧相な小娘ではないか。それとも、夜は別の顔となるのか?どれ、俺さまがその薄汚い衣の中身をじっくりと確かめてやろう」
千尋は無我夢中で手にしたイラクサの束を振り回すと、相手が怯んだ隙に逃げ出しました。
レヴァンタ達は後を追おうとしましたが、空から舞い降りてきた白鳥達が突いて蹴って羽で叩いてと次々に攻撃を繰り出して後を追わせず、ついには這う這うの体で帰って行きました。
口のきけぬ千尋は、このことを誰にも言えませんでした。

それから間もなく、シャニが行方知れずとなりました。
レヴァンタは、千尋がシャニを食い殺したのだと主張しました。怪しいと睨んで自分達が踏み込んだ時、千尋の口元に血が付いていたと言うのです。
「そんなもの……これだけ手が血だらけなんだ。汗などを拭った際に、その血が顔に付いたところで何ら不思議はないだろう」
アシュヴィンは庇ってくれましたが、レヴァンタは聞く耳持ちません。それどころか、これまでの千尋の奇行を論い、アシュヴィンは千尋に誑かされているとまで言い出しました。
「娘…弁明があるなら申してみよ」
皇の言葉に、千尋は首を横に振りました。弁明するには、沈黙の誓いを破らなくてはなりません。あと少しで皆を救えるというのに、それは出来ませんでした。
「ならば、罪を認めるか?」
千尋は再び首を横に振りました。
「だが、弁明の一つもないのではそなたの潔白を信じることなど到底出来ぬ」
ただでさえ、怪しい行動を続けていた千尋なのです。しかも、喋れないのではなく喋らないのだとエイカによって看破されてしまいました。この期に及んで何も言わないのは罪を認めるも同然だと聞かされて、それでも口をきこうとはしないのです。
その結果、千尋は魔女として火あぶりにされることになってしまいました。

「姫……イラクサの姫…」
牢に放り込まれた千尋の元に、アシュヴィンがやって来ました。
「俺が無理に連れて来たのに、守ってやれなくて……ごめん」
アシュヴィンはリブと手分けして、千尋がこれまでに作り上げた帷子5着と、作りかけの最後の一枚と、材料のイラクサを差し入れてくれました。
「今の俺には、こんなことくらいしかしてやれん」
ですが、千尋にとってはこれが一番大切なものなのでした。失う訳にも諦める訳にもいきません。それに、作り上げてしまえばいくらでも弁明が出来ます。おまけに、今でもアシュヴィンは千尋の身の潔白を信じてくれているのです。
千尋は言葉には出来ずとも、表情と仕草で精一杯の感謝の意を伝えました。

火刑場へと向かう籠馬車の中で、千尋は必死に最後の仕上げを急ぎました。何とか仕上がったかと思った時には、馬車は刑場へと入って行くところでした。
すると、馬車の前を6羽の白鳥が連なって低空飛行で横切りました。驚いた馬は暴れて、千尋は外に投げ出されました。それでも千尋は声一つ上げず、果敢に跳ね起きるとイラクサの帷子を白鳥達に向かって投げました。
白鳥達は、次々にそれを被ると、人の姿へと戻って行きました。
「風早! 皆っ!!」
千尋は歓喜の涙を流しながら、風早の胸に飛び込みました。それから急ぎ涙を拭うと、皇に向って叫びました。
「私は無実です!シャニ皇子を害してなどいません。これまでの奇行と見えていたものは全て、風早達を悪い魔女の呪いから解き放つためのもの、神託に従ってのことだったのです」
元に戻った柊達も口々に言いました。
「シャニ皇子でしたら、今朝方、そこなるレヴァンタ殿のお邸でお見かけしましたよ。怪しげな薬にでも浸されていたのか、焦点の定まらぬご様子でお庭を眺めておいででした。大方、姫が息絶えた後に、その身柄を幽宮の近くにでも放り出して、魔女の死で目晦ましが解けたとでも言い抜けるおつもりだったのでしょう。曲りなりにも中つ国の姫君を、言うに事欠いて人食い魔女呼ばわりするとは……何たる無礼ですか」
「ホント、随分と卑劣な真似をしてくれてさ。これって、手籠めにし損ねた腹いせって訳?抱き人形にならないなら火あぶりになんて、ツバメにならないなら白鳥にっていうあの魔女のババァよりよっぽど性質悪いじゃん」
「まったくです。侮辱するにも程がありますよ。このような暴挙は、例え龍神が見過ごしたとしても、この俺が絶対に許しません。ああ、千尋……こんな酷い目に遭いながら、よくここまで頑張りましたね。さすがは、俺のお育てした姫さまです」
「君のことだから、最後まで諦めないだろうと思ってはいたが……間に合わせるとは大したものだ。本当に、よくやったな」
「姫のその不屈のお心、この布都彦、感服いたしました」
「神子……ありがとう…………よかった……」
周りの者達が事態についていけない中で、アシュヴィンが千尋の元に歩み寄りました。
「イラクサの姫……いや、千尋と言うのだな。中つ国の姫だったとは…」
アシュヴィンは手を差し出して、改まった口調で言いました。
「常世の皇子アシュヴィン、中つ国の千尋姫に妻問い申し上げる」
辺りがざわつく中、千尋が答えに窮していると、アシュヴィンは破顔して言い直しました。
「否やがなければ、この手を取ってもらいたい。今度こそ…俺の妃になってくれないか?」
「はい、なります。私で良ければ、よろこんで…」
風早達の呪いを解くという大望が叶った今、千尋に否やはありませんでした。
千尋は抱きしめる風早の腕を解き払い、差し出されたその手を取りました。そして、アシュヴィンにニッコリと微笑みかけると全ての緊張の糸が切れたように崩れ落ち、そのままその胸へと倒れ込みました。

アシュヴィンは、結婚しても千尋が風早達を傍に置くことを許してくれました。
帷子の最後の一着は急いで仕上げた為か首の編み止めが弱かったらしく、それを纏った遠夜は歌声以外はその声が千尋にしか届かなくなってしまっていましたが、互いの努力によって意思の疎通を図り、また昔のように皆で仲良く暮らしました。
めでたし、めでたし。

-了-

《あとがき》

キャラあて込みの御伽噺もどきです。
元の話はもっと沢山のお兄様達がいたと思いましたが、そこは絞り込んで6人に…。

最初はお兄様もどきの中にサザキも入ってて、オチでは背中がほつれて翼が残った形にしようとしてたのですが、途中で路線変更。
だって、魔女がアシュヴィンには食指を伸ばして来なかった理由が必要かと思って……魔女は赤毛がお嫌いだったという裏設定を作ったので、サザキは仲間外れになりました。
その結果、遠夜の声が戻らなかったという流れに落ち着きました。

ゲームとは違って、アシュ千でも小姑が付いて来ます。しかも6人。
アシュヴィンは本心では千尋を独り占めしたいのでしょうが、そこは千尋の気持ちを優先して忍耐の日々。
このアシュヴィンは遠夜と昔馴染ではないものの、言葉を封印していた千尋と意思疎通していた勘の良さで、声の戻らなかった遠夜とも上手くやっていけると思います。

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