千早

忍人

「千早~」
「違うっ!この子の名前は”千葛”(ちか)だと何度言えば解るんだ!?」
忍人に怒鳴られても、風早は「千早」と連呼する。
「千早、千早、千早~」
「違うと言ってるだろう!」
「千早、千早、千早、千早、千早、千早~!」
「風早、いい加減にしてよ!」
千尋に一喝されて、風早はやっと黙り込んだ。
しかし、それからしばらくして、采女達が申し訳なさそうに女王達の元へとやって来た。
「陛下……風早殿が……」
「何を申し上げても聞く耳持たず、一日中”千早”と連呼されまして……」
「……定着しちゃった訳ね」
「……奴に任せた俺が莫迦だった。引き下がったと見て油断したな」

遠夜

「第一子は千の夜と書いて、男の子だったら”せんや”で女の子だったら”ちよ”」
そう言っていた千尋が産み落としたのは双子の男女だった。
「考えてた名前は1つですよね?だったら、それは宮の方に付けて、姫の名前は”千早”にしませんか?」
風早はちゃっかり自分に由来する名前を売り込むが、千尋はニッコリ笑って却下する。
「ダ~メ。姫の名前は”千明”(ちあき)にするんだもん」
「え~っ、”明”なんて千尋にも遠夜にも関係ないじゃありませんか。それより、親代わりの俺から1文字取って千早にしましょうよ」
風早の主張に、千尋はチッチッと立てた人差し指を振って言い返す。
「関係なくなんかないよ。夜が遠いのは明るい時間ってことで、ちゃんと遠夜に由来してるもんね。遠夜も賛成してくれてるし……風早が何と言おうと、絶対に譲らないよ」
そして、付きっきりで二人の子供の面倒を見る遠夜の前には、風早の割り込む隙はなかったのだった。

「女の子だから、私の考えたあの名前……で良いんだよね?」
名前は両方用意してあった。二人で沢山の名前を考え、何度も話し合った末、男の子には柊が考えた名前を選び、女の子には千尋が考えた名前を選んでおいた。
「はい、”栞”ですね」
しかし、風早はまだ諦めきれない。
「……やっぱり千早にしませんか?」
「何です、風早?姫がお考えになられた名前に、文句でもあるんですか?」
「そうだよ、一生懸命考えたんだからね。ちょっとズルしたけど、二人の名前だって入ってるし…」
千尋の”千”が二つと柊の偏である”木”で構成されたかのように見える名前。厳密には”千”でなくても、それらしく見えるし、何よりもその意味が二人のお気に入りだった。
読みかけの本に印を付けるように、この子は千尋と柊の新たな伝承の今に刻み込まれる存在なのである。
「栞……私達と一緒に、今という時を大切に生きて行こうね」
「あなたは、私をこの世この時に結び付ける大切な存在、私達が共に在ることを証す何よりの宝物です」

布都彦

「双子……ですか。やはり、私などが陛下の伴侶となるなど、身の程知らずだったのでしょうか」
千尋からすればバカバカしいとしか言えないのだが、双子は”畜生腹”だの”罪の証”だのと言われ、忌み嫌われていた。だが、どれ程バカバカしかろうとも、兄の不祥事に長年心を痛めて来た布都彦からすれば、これはかなりの衝撃だっただろう。
「違うよ、布都彦。この子たちは罪の証なんかじゃない。寧ろ、神々が私達を祝福してくれてるんだって思うよ。だって、一度に二人も生まれて来たんだからね」
千尋が幸せそうに微笑んで、力強く言うと、布都彦にもそのように思えて来た。
「私ね、ずっと考えてたんだ。男の子だったら羽張彦、女の子だったら千歳って名付けたいって…」
「兄上と……一ノ姫様の御名ですか?」
「うん。あの二人が居たから今の私達があるんだし……気休めかも知れないけど、我が子にその名を付けて今度こそ幸せになって欲しいって思ってたんだ。そうしたら、男女の双子でしょう?これって、今度こそ引き離されたくないって思った二人が、こうして一緒に生まれて来たんじゃないのかな。それに、柊が言ってたよ。お兄さんは、自分の所為で布都彦が冷遇されると解っていても運命に抗うことを諦め切れなかったけど、それでも布都彦に幸せになって欲しいって最期まで心から願ってたって……姉様も同じだと思う。だから、きっと二人はこうして私達のところへ幸せを運んで来てくれたんだよ」
「…………っ…!」
「あっ、でも、布都彦は嫌?もしかして、お兄さんを呼び捨てにするみたいで、呼びにくい?」
「それは……確かにそのような問題はございますが…………陛下の深いお考えとお気持ちに応えるべく、必ずや、我が子の名を呼べるようになって御覧に入れます。それまで、しばしお時間をいただけますか……千尋殿」
「うん、期待して待ってるよ。だって布都彦は、こうしてちゃんと私の名前を呼べるようになったんだものね」
そんな良い雰囲気の中では、さしもの風早も「姫の名は千早にしませんか」などと言い出せるものではなかったのだった。

那岐

「生まれたって!?」
珍しく少し慌ただしい感じで部屋に飛び込んで来た那岐に、千尋は会心の笑みを浮かべて応える。
「とっても元気な女の子だよ。それでね、この子の名前なんだけど…」
「名前、ね……千尋のことだから、どうせ二人の名前を組み合わせて”千那”とか言うんじゃないの?」
「うぅっ……よく解ったね」
あっさり当てられて千尋は跋が悪そうだった。
「そのくらい、解るさ。何年一緒に暮らして来たと思ってるんだよ」
「……8年ちょいかな」
異世界で5年。それから戦いの旅をして、女王になって、周りの反対を押し切って結婚してと、こちらに戻ってからかれこれ3年は経っているだろう。
律儀に答える千尋に、那岐は気を取り直して告げる。
「いいよ、千那で。僕達の子供だってことが解り易いし、悪い名前じゃないし…………そういうのも、ちょっと嬉しいし…」
「えっ、今、最後に何て言った?」
最後にボソッと呟いた言葉が聞き取れなかった千尋に、那岐はもう一度言ってやるほど素直ではなかった。
「保護者気取りの何処かの誰かさんに、千早なんて名前を付けられるよりは遙かにマシだって言ったんだよ」
那岐は乗り気じゃないようだから親代わりの俺の名から一文字取って”千早”にしましょう、と今まさに言おうとしていた風早は、先手を打たれて言葉に詰まった。
「……俺の考えてる事が、よく解りましたね」
「ふん、当然だろ。あんたもさ、何年一緒に居たと思ってる訳?」
「8年ちょい…………ですね」

サザキ

「二人の名を取って、”千紗”でどうかな?」
「いいねぇ、姫さんが考えてくれた名前、最高だぜ」
「いえいえ、そこはやはり親代わりの俺から一文字取って、”千早”にしませんか?」
「風早!?どうして、ここに…?」
「千尋のことが心配で、必死に後を追って来たんです。見つけ出してやっと辿り着いたら、ちょうど千尋に子供が生まれたところだなんて、これは何か意味があるんですよ」
勿論、嘘である。千尋レーダー搭載の風早には、千尋の居場所など端から解っていた。しかし、顔を出すなら不自然でないくらいの時間を置かなくてはならず、ずっとその機会を窺っていたのだ。
「どうやって、海を渡ったの?」
「白麒麟に運んでもらいました。実は俺、白麒麟とはマブダチなんです」
千尋とサザキは声を揃えて「……マジ?」と驚愕する。
「ただ、彼も何かと忙しい身ですから、そう簡単に力を借りる訳にもいかなくて……手空きの時に送ってもらったんです。後は、徒歩でここまで来ました」
勿論、これも嘘である。白麒麟のままで日向の民が飛べぬ程の上空からずっと見守り続け、そろそろ良いかという時間が過ぎたのとここぞというタイミングを見計らって近くに密かに降り立って、ひょっこりと顔を出したのだ。
「この瞬間に再会出来たのは、きっと天の采配だと思います。ですから、その子の名前は”千早”にしましょう」
「…………却下」
「そうだ、そうだ。姫さんが考えてくれた”千紗”で決まりだぜ」

アシュヴィン

「アーシェン!」
「千早!」
アシュヴィンと風早の言い争いは双方一歩も引く気配がない。
「ふざけるな!お前の名を一字取る必要が何処にある!?」
「俺は千尋の親代わりですから……何ら不自然なことはありません。それに、この子は中つ国の世継ぎの姫です。中つ国風の名を付けるのが筋でしょう」
「それでも、お前の名に由来するのは気に喰わん!」
「悔しかったら、自分と千尋の名を組み合わせて、中つ国の次期女王に相応しい名を考え出したら良いじゃありませんか」
「そんなことをせずとも、俺は千尋から男女それぞれ常世風の名前を考えるように言われてるんだ。お前の出る幕などない」
「それはあなたの妄想ではありませんか?だって、俺は千尋から男女それぞれ中つ国風の名を考えるよう言われてましたよ」
「それこそお前の妄想だろう。とにかく、この子の名はアーシェンだ!」
「千早です!」
この言い争いに千尋が深く何度目かの溜息をついたところで、那岐が動いた。
ピコピコっと音がして、風早とアシュヴィンが軽く頭を押さえて振り返る。
「今のは…?」
「何だ、それは?」
すると、千尋が呆れ顔で応えた。
「リブに頼んで作ってもらったピコピコハンマーだよ。以前、冗談半分で作ってもらったんだけど……ここで役立つなんてね」
こんなことになるのではないかとの確信はなかったものの予感はあったので、動けないであろう自分に代わってその使い方を知る那岐に予め預けておいた千尋だった。
「まったく、揃いも揃って不毛な言い争いしてんじゃないわよ!元より私は、中つ国風と常世風の両方の名を付けるから、それぞれ名前を考えて欲しいって言ったはずだよ。とにかく、そう言うことだから……姫だから中つ国風が先ね。中つ国の次期女王であると同時に常世の第一皇女の”千早・アーシェン”。これでいいでしょう?…って言うか、文句は言わせないよ」

風早

「この子の名前、”千早”にしたいんだけど…」
千尋がそう言うなり、風早は感激の涙を溢れさせた。
「ああ、やっと、俺の千早が……本当の俺の千早をこの手に抱くことが出来るんですね」
「何、その、”俺の”とか”本当の”とかって…?」
「俺はいつだって千尋に姫が生まれる度に”千早”って付けてもらおうとしたのに、父親が忍人の時以外、一度も成功しなかったんです。アシュヴィンの時は余計なおまけを付けられちゃったし、他の人では一切採用されなくて…。誰が父親だろうと俺は千尋の親代わりなんだから、俺に由来する名前を付けたって良いじゃないですか。なのに、皆して――千尋でさえ例外ではなく――寄って集って猛反対してくれて……」
勿論、時には言い出すことすら出来ない雰囲気だったこともあるのだが、それならば二ノ姫に、更には懲りずに三ノ姫にと期待をかけては実らずに終わったり猛反対されたりした。
「……忍人さん相手の時には成功したんだ」
千尋にとっては、そっちの方が驚きだった。
「ええ、まぁ、猛反対されたのは同じなんですが……両親共に忙しかったので、子守を任されたのをこれ幸いと押し切りました」
風早は何故か得意げに胸を張った。
「もうっ、風早ったら…。でも、今度こそ誰にも反対なんてさせないから安心してね。だって、この子は正真正銘、私と風早の子供だもん。ここで”千早”って付けずにおいてどうするの」
「ですよね、ですよね~」
風早は笑み崩れて千尋と千早を交互に見つめるのだった。

-了-

《あとがき》

千尋の産んだ姫の名を巡る風早の戦いの記録(^_^;)

オムニバスで風早以外の人と千尋とのカップリングが続いてますが、全てはラストの風千へと続くものということで、これは風千小話です。
それぞれの名前については、既出のものや登場予定のもの、そしてここだけのものとなるかも知れないものが含まれています。

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