私の王子様

処理の済んだ竹簡を届けて風早が戻って来ると、千尋が気持ち良さそうに居眠りをしていた。
「このところ、千尋は以前にも増して頑張ってましたからね」
千尋が頑張っている理由は、風早にも解っていた。姉と羽張彦に仕事抜きで二人っきりになれる時間を増やして欲しいからだ。
元々姉想いだった千尋だが、あの戦いの記憶を取り戻したことで、繰り返された姉姫と羽張彦の悲しい結末も思い出してしまい、あの二人の幸せを願う気持ちはより強くなった。その上、自分も愛する人を取り戻し、二人で過ごす時間を持つ喜びを知っているとなれば、何とか姉達にもそんな時間を持って欲しいと思うのも無理はなかった。
「でも、頑張り過ぎて身体を壊したら、反って陛下が悲しまれますよ。勿論、俺もです」
起こさないようにそっと竹簡を自分の方へと寄せると、風早はせっせとそれらを捌き始めた。
柊を呼ぼうかとチラッと考えたものの、千尋の寝顔を見せたくない一心で、風早は自分一人で全てを片付けるべく気合いを入れ直したのだった。

「千尋……起きてください、千尋…。大分、日が傾いて来ましたから…そろそろ起きないと風邪ひいちゃいますよ」
「う~ん…」
返事はするものの、千尋は目を覚まさない。
そこで風早は、眠っている千尋の傍らに膝を付くと、その寝顔にそっと唇を寄せていった。
まずは頬に口付けを落とし、次第に唇へと近付いて行き、そこへ辿り着くと徐々に深くしていく。
しばらくして、ハッとしたようにいきなり目をバッチリと見開いた千尋は、驚いて飛び退くように跳ね起きた。
「…っ……かざ……っ!」
「お目覚めになられましたか、お姫様?」
寝込みを襲ったと言われても文句の言えないようなことしておきながら、風早は全く悪びれる様子がない。
「何……で…?」
「お姫様の眠りを覚ますのは、王子様のキスと言うのが古来よりのお約束でしょう?」
サラリと言って退ける風早に、千尋は感心するやら呆れるやらで複雑な表情を浮かべた。
「えぇっと…何か間違ってましたか?そりゃ、確かに、俺は本当は王子じゃなくてしがない侍従の身ですけど…」
先程までの余裕の笑みは何処へやら、おろおろし出した風早を見て、千尋は堪え切れずに笑い転げた。
「あは…ははは……そうだね。眠り姫は王子のキスで目を覚ます……向こうの童話の定番だったっけ。昔、憧れてたなぁ」
今度は風早がキョトンとする番だった。
「うふふ…七夕の短冊に『お姫様になって白馬の王子様に迎えに来てもらえますように』って書いて、サンタさんへの手紙に『白馬の王子様をください』って書いたのを思い出しちゃった」
「そう言えば、そんなこともありましたね」
風早も思い出した。あの葦原家で、サンタさんへの手紙と言って千尋に書かせたクリスマスプレゼントのリクエスト用紙に『白馬の王子様をください』と書かれているのを見て、どうしたら良いのか悩んだ末、白い馬のぬいぐるみを買って来て、フェルトで作った王子様の人形を乗せて千尋の枕元に置いて誤魔化したのだった。
「あの頃は、お姫様がこんなに大変だとは思ってもみなかったけど……叶っちゃったね、あのお願い。私はお姫様になれたし、白馬になった王子様も迎えに来てくれて万々歳」
「は、白馬になった…ですか?」
「うん。厳密に言えば、馬じゃなくて麒麟だったけど…」
そう言われれば、確かに風早は白麒麟の姿で千尋を迎えに行った。向こうの世界からこちらへ戻って来る時はいつも、そして白龍がこの世界を滅ぼそうとしたあの時もまた…。
「でも、白馬の王子様って、白馬になるんじゃなくて乗ってるんですよね?」
「一般的にはそうかも知れないけど、別に乗ってなくても良いんじゃない?一文字しか違わないし……白馬が王子様になっても”白馬の王子様”だもん」
「そういうものですか?でも、俺はもう白麒麟には…」
「なるんじゃなくて、”なった”って過去形なんだから…全然問題ないよ。私にとって風早は、正真正銘、白馬の王子様ってことだね」
満面の笑みを浮かべて千尋は風早に擦り寄った。風早は、その身を優しく受け止めると、恭しく抱え上げて部屋へと運ぶ。
「王子様とお姫様なら、このように抱き上げなくては……もう昔のように抱っこなんて出来ませんね」

-了-

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