きみをつれていく

白き神獣の姿を失い、人間となって風早は人の世に降ろされた。
そこはこれまでにも何度も降りた、あの葦野原。巡る時の輪の中で、風早が白麒麟の姿で幼い千尋と出会った場所だ。そして、泣いている千尋がよく隠れていたのもここだった。
「世界が神の手を離れても、ここはあの頃と変わらない…」
感慨深いものを感じながら、風早は細道へと出た。
「さて…これからどうしようかな?」
これと言って、当てなどない。ただ、何処ででも生きてくことは出来そうだ。伊達に、何度も苦しい旅をしたり、若い身空で子供2人養ったりしていた訳ではないし、その気になれば剣で身を立てることも出来るし、かつて柊が一儲けしたくらいだから自分の土器はかなり高く売れるのだろう。
「でも、まずは千尋が元気でいるかどうか…それを知りたいですね」
今の風早には、千尋の傍に上がることは許されない。それどころか、橿原宮へ足を踏み入れることも出来ないだろう。遠くからでも千尋の顔を見ることすら難しい。
「必要なのは、情報収集ですね。とりあえず、噂好きのおばさん達でも探すとしましょうか」
どの時代でも、おばさん達が寄り集まれば噂話に花を咲かせるものだ。そして、高貴な者達についての話は、いつだって格好の噂の種。特に、このような御膝元にあっては、種は尽きぬほど様々な話が漏れ聞こえて来る。
しかし、風早の思惑に反して、聞こえて来たのは千尋の声だった。

「こんにちは。ここは、良い国ですね」
平静を装って、風早は通りすがりの只人の顔で挨拶を交わして千尋とすれ違った。
そして、互いの姿が見えないくらい離れたところで足を止める。
「千尋…元気そうでしたね。あんなに笑顔で……周りの者達の目付きもあの頃とは違っていた」
千尋は元気に暮らしている。屈託のない笑顔を浮かべることが出来るくらい幸せに、采女達から蔑まれることもなく、姫として胸を張って生きている。生気に満ち溢れたあの姿を見れば、今の千尋は橿原宮で充実した毎日を送っているのだとよく解った。
「幸せなんですね、千尋は…」
風早にとっては、千尋の笑顔が何より大切だった。例え誰と結ばれようとも、そして例え風早のことが記憶になくとも、千尋が幸せであることが一番大切なのだとそう思っていたはずなのに、心にポッカリと穴が開いているような気がしてならなかった。
「おかしいな、俺を覚えていない千尋と会うのはこれが初めてではないのに……何故、こんなに心が寒いのか」
今まで何度だって、風早は侍従として千尋の傍に上がっては初対面の挨拶を繰り返して来た。風早にとっては初めてでなくても、いつだって幼い千尋には風早の記憶はなかった。それでも風早は何とも思わなかったし、平気な顔をして初めて出会った振りをした。
あの頃と大きく違うのは、千尋の年齢と雰囲気、そしてお互いの立場だ。
幼い千尋との出会いは、そこから共に過ごせる日々があることが約束されていた。だが、今はそんなものはない。
風早しか頼る者が近くに居なかったあの頃と違って、今の千尋は風早の支えなど必要としていない。
「千尋に必要とされないことが、こんなに哀しいことだったなんて…」
今まで、千尋が誰と結ばれようとも、主に家族として、時には通訳として、風早の存在は千尋の中に強く根付いていた。千尋が女王となり妻となり母となり、自分で人生を切り開いていく姿を見て、頼って貰えなくなって寂しいなどと嘆いたこともあったけれど、同時にそれは喜ばしいことでもあった。
何度その白き姿を黒く染めて千尋の元を離れなくてはならなくなっても、それは千尋を守ることが出来た証だと誇りに思っていた。それが強がりだろうと、負け惜しみだろうと、風早は心の何処かで幸せを感じていたのだ。
「こんなに哀しいのに、涙も出ないなんて……本当に俺は人間になれたのか。それとも、ただ神獣の姿を失っただけなんですか?」
人間に生まれ変わることを希望したのは風早自身だ。龍神はそれを聞き届けてくれたはずだった。神の眷属として、御使いとして禁忌に触れた罰で神獣の姿を失い人となったのではなかったのか。
「本当の罰は……記憶?」
千尋を始めとする皆の忘却と、風早に残された全ての記憶。それも今までと変わらないはずなのに、どうしてか今はそれが哀し過ぎた。何故、龍神は全ての記憶を残して風早を人の身に変えたのか、その真意が解らない。
悲嘆と当惑と傷心の果ての空虚に、風早は立ち尽くした。

「風早!」
絶望に支配されかけた風早の元に希望の光が差し込んだ。その名を呼ぶ千尋の声がして、風早の胸が満たされていく。
あるはずのない記憶を呼び覚まして駆けて来た千尋を、風早はしっかりと抱き止めた。
千尋によって強引に連れ帰られると、岩長姫の元で世話になることが決まった。
風早は、幼い千尋と会った時のように素知らぬ振りで初対面の挨拶を交わす。だが柊は、立ち去る際にそっと囁いて行った。
「お帰りなさい。随分と遠回りしたものですね」
思いも寄らぬその言葉が風早の胸に沁み込むまで、少しばかり時間が掛かった。周りに誰も居なくなってから、風早はやっとその意味するところを察する。
「……ただいま」
そっと呟いた風早の目に熱いものが満ち溢れ、静かに頬を伝って零れ落ちて行った。

-了-

《あとがき》

「超星神グランセイザー」のED「きみをつれていく」を聞いていて思い浮かんだ話です。
タイトルもオマージュで、そのまま戴きました。何せ、最終的に千尋が風早を連れて行くし……でも、歌詞に沿ってるのはあくまでも風早の方です。風早の場合、白じゃなくなるのは羽ではなく麒麟本体だけど…。
閉ざされた時の輪の中で、風早はいつだって平気なフリして、どんなに辛くても常に笑顔でいたイメージがあります。

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