人として…

ある日のこと、千尋が風早に言い難そうに問うて来た。
「あの…風早は、完全に人間になったんだよね?」
「ええ、もう白き獣には戻れません」
千尋が何を改まって問うているのか不思議に思いながら、風早はあっさりと答えた。後悔など微塵もないことが千尋に伝わるようにと、それだけを願う。
「あ、うん、そうだよね。ごめんね、今更こんなこと聞いちゃって…」
申し訳なさそうにしながら、千尋は言い難そうに続けた。
「この前、柊に話を聞いてから、気になってて……その、風早はどの程度人間なのかな、って…」
「柊に、何を言われたんですか?」
柊は、千尋の他に唯一人、風早の過去を知っていた。時の輪から外れても、残されていた竹簡と受け継がれた星の一族の血によって、過去も未来も視て来た。あの日、千尋が葦野原に来るように仕向けたのも柊だ。
それだけに、千尋が柊から何を言われ、このように憂いているのか至極気になる。
「あの…その…麒麟は神獣だから、繁殖能力はないって…」
「ええ、まぁ、確かにそうですね。麒麟に限らず、龍も四神もそのようなこととは無縁です」
風早は、何となく奇妙な方向に話が進むのを予感した。
「だから、その…子種はおろか発情期もなくて、千年に一度、分離再生するんだって話だったんだけど…」
予想以上に変なことを言われて、風早は目が点になった。
「風早は、人間の姿になったとは言っても内面は全然変わってないみたいだから……精神的には麒麟のままで……つまり発情しなくて……要は子供が出来ないんじゃないかと心配だって言われたの」
「ななな…何ですって~っ!!」
取り乱す風早の前で、千尋は恥ずかしそうに付け加える。
「私は、風早がこの世界に生きた証を残したいんだけど……ちゃんと風早の子供産めるのかなぁ。ねぇ、どうなの、風早?」

お茶を飲んでいた忍人の目の前で、柊が突如不自然に椅子から転げ落ちたかと思うと、その傍に風早が出現した。
「よくも千尋に変なことを吹き込んでくれましたね!」
「はて、何のことでしょう?」
とぼける柊の腰を膝で押さえ付けて、風早は悪戯をした子供にするようにその尻を叩き始める。
「誰が、子種も発情期もなくて千年に一度分離再生するんですって!?」
突然現れての風早の行動とその言葉に、忍人は仰天する。
「分離再生なんてものはね、500年に一度、朱雀の尾羽根にでも任せておけば良いんですよ!」
「落ち着いてください、風早。ここには忍人も居るんですよ」
柊は既定伝承や白麒麟のことを知らない忍人の手前、不用意な発言は避けた方が良いと暗に訴えたのだが、そんな言い逃れは通じなかった。
「俺のことは気にせず続けてくれ。風早が何故そんなに怒っているのかは解らないが、柊が悪さしたことだけ解れば充分だ」
忍人は、普段自分のことをやたらと子ども扱いする柊が、風早から子供のようにお仕置きされているのを見ているのは楽しかった。風早の言葉が意味不明だろうと、そんな事はどうでも良くなるくらい面白い。
そこで風早は遠慮なく続ける。
「世の中には言って良いことと悪いことがあるんですよ。あなたの作り話の所為で、千尋がどれだけ心を痛めたと思ってるんですか!」
「す、すみません。軽い冗談だったんです。まさか、姫がそこまで信じてしまわれるなんて思いもしませんでした」
柊は慌てて言い訳したが、風早は容赦しなかった。
「千尋はとっても素直で良い子なんですよ。周りがどんなに胡散臭がってもあっさりあなたを信じてしまうくらいのお人好しだってことは、あなたも良く知っているはずでしょう」
姫のことを”お人好し”って言う侍従が居て良いのだろうか、と忍人はふと思ったが、あの真っ直ぐ過ぎる心根にはその表現が適切だと思って細やかな不敬には目を瞑った。
「ですけど、あんな荒唐無稽な話をそこまで信じるなんて思わないじゃありませんか?」
「何が荒唐無稽ですか。微妙に真実が入っていたでしょうがっ!!」
虚言を信じさせる為の基本は、僅かに真実を織り交ぜること。疑いようのない真実が一部含まれていることで、人は全てを真実だと錯覚する。
神や神獣に繁殖能力はない。自然に満ちる気の塊であり、神によって作り出された存在であり、同種異性が存在しない以上、そのようなものがあるはずがない。身も心も神や神獣である限り、それは確かだ。
だからと言って、千尋も全部が全部を信じなくても良いだろうとは思わなくもないが、風早が手塩にかけて育てた真っ直ぐで強い心根を持った自慢の姫は正に純真無垢だった。
「千尋にあんな嘘を吹き込むなんて……断じて許せません!」
蹄を持っていた頃と違ってさすがに少々手が痛くなってきた風早は、柊の尻を叩くの止めてプロレス技に切り替える。
目の前で繰り広げられる二人のやり取りを見聞きして、忍人は納得したように呟く。
「つまり、柊は二ノ姫に虚言を呈した訳か。成程、そう言うことなら、そのような仕打ちも已むを得ないだろう。寧ろ、手緩いくらいだ」
「ちょっ……忍人!何を勝手に納得してるんですか!?いつまでも見ていないで、そろそろ風早を止めてください」
柊は忍人に助けを求めたが、勿論、止めてなど貰えなかった。
「王族を虚言で惑わせるのは重罪だぞ。表沙汰にするには憚られる内容のようだから俺は聞かなかったことにしても良いが、お前を助ける気にはなれない」
「忍人の薄情者!この恩知らず!」
「薄情で結構だし、恩知らず呼ばわりされる程の恩義を受けた覚えはない」
そう宣言すると、忍人は柊の悲鳴をBGMにして茶を啜った。

-了-

《あとがき》

神獣には繁殖能力なんてないよね?(^_^;)
人間になったとは言っても、どんな形でどの程度人間になったのかはよく解っていない千尋。
風早の内面は全く変わってないので、千尋は柊の軽い冗談に全力で踊らされてしまいました。

そして、たまには柊と忍人さんの立場を逆転させてあげたりして…(^_^;)

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