この髪はあなただけに

ある日、いつものように風早の部屋でお茶を飲んでいた千尋は、風早が不思議そうな顔でジッと千尋の頭を見つめている視線に気づいた。
「どうかした、風早?私の頭に何か付いてるの?」
首を傾げる千尋に、風早は曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「ええ、最近になってふと思ったんですが……どうして、千尋の髪は短いんですか?」
「何言ってるの。これは、風早が死んじゃったと思って…あっ、そうか」
確かに千尋はあの旅の中で、風早がもう帰って来ないのではないかと思って、手向けに髪を空に流した。だが、今のこの世界ではあの旅どころか中つ国の滅亡すらなかったことなのだ。ましてや、風早は先日まで存在しなかった。それでは千尋が風早の為に髪を切るはずがない。
「えぇっと、何でだっけ?ちょっと待ってね、思い出すから…」
千尋は眉間に人差し指を当てて、記憶を探った。
しばらくして、千尋はハッと顔を上げた。
「そうだ、最初は小さい時に自棄になって切ったんだった!」
「自棄になって…ですか?」
風早はその答えに驚いた。
「う~ん、自棄とはちょっと違うかな。要するに、この世界でも私は母様に疎まれてたんだ」

龍神の伝説が物語の中のものとなり、女王や姫が『龍神の神子』と呼ばれなくなっても、女王は自分と違う容姿の二ノ姫に辛く当たった。鬼子として疎んじた。そして千尋には、すぐ傍で守ってくれる風早は居なかった。
一ノ姫や、岩長姫とその弟子達は千尋を差別するような態度はとらなかった。むしろ可愛がってくれたと言っていいだろう。だが、彼らはいつでも傍に居る訳にはいかない。千尋は一人で戦うしかなかったのだ。
そんな千尋は、ある日、子供ながらに考えた。母がこの髪を嫌っているなら、短く切ってしまえば嫌いな部分が減って少しは自分を見てくれるのではないか、と。そこで、懐剣を使って慣れぬ手つきでバッサリと髪を切ったのだ。
しかし、結果は惨敗だった。
母からは「みすぼらしい」「みっともない」と反って嫌われてしまった。采女達からも更に陰口を叩かれることとなった。
側付きの采女からは、恨み言を言われた。彼女達は、姫の暴挙を許したとして上から叱責を受けてしまったのだ。もっとも、これで二ノ姫の髪を結う仕事から解放されたと密かに喜んでも居たらしい。
救いは姉達が「可愛い」と言ってくれたことだった。
母から罵倒されて泣きながら岩長姫の元へと走った千尋を見つけた忍人は、最初は賊の仕業かと焦ったそうだ。千尋が事情を話すと、「軽率だな」と呆れながら、柊のところへ連れて行ってくれた。ギザギザになっていた髪を柊に切り揃えてもらうと、忍人以外の全員が「可愛い」と褒めてくれたので、千尋は少しだけ心が軽くなったのだった。

「忍人は褒めてくれなかったんですね?」
まぁ、忍人が女の子に向って「可愛い」などと言うところは想像出来ませんけど、と呟く風早に千尋は嬉しそうに笑って見せた。
「その代り、もっと良いこと言ってくれたんだよ」
「もっと良いこと…ですか?」
一体、あの忍人がどんな気の利いた台詞を吐いたのだろう、と風早は首を捻る。
「その髪ではどれ程下を向こうとも顔を隠すことは出来ないだろう。ならば君は、如何なる時もしっかりと顔を上げているべきだな」
千尋の口から出た言葉に、風早は目を丸くした。
「もしかして、それが忍人の言った、”可愛い”よりももっと良いことですか?」
「そうだよ。おかげで私も開き直って、ちゃんと顔を上げられるようになったんだ。そうしたら、少しずつだけど目を合わせてくれる人が増えていったの」
そうなれば、千尋にも自信が芽生えるし、笑顔も浮かべられるようになる。女王の価値観に倣う日和見な者が多いとは言え、徐々に味方は増えて来る。それがますます千尋の心を豊かにした。姉が女王になってからは日和見な者は掌を返したし、千尋が女王の仕事を手伝えるようになっていることもあって、今では不当に差別する者は居なくなった。

「短くなった理由は解りましたけど…それって随分前の話ですよね。何で、今もその長さなんですか?」
「楽だから」
あっさりとした千尋の答えに、風早は絶句した。
「短いと洗うの簡単だし、乾くの早いし、梳くのも時間かからないもの。その分、誰かの手を煩わせずに済むじゃない?」
「それはそうかも知れませんけど…」
あの頃の千尋ならそんな理由でも納得出来ないことはないが、この世界で過ごしながらそれはないだろうと思う風早だった。
「それに、触られるの嫌だったんだ。采女には昔からやっつけ仕事でやられてたから当然なんだけど、一度だけ柊に結ってもらった時も何か嫌な気がして……それで、いつも手早く切り揃えてもらってたの」

最初に切ってから、時間が経てば当然髪は伸びて来る。
結えるくらいの長さになったと思われた頃、柊は試しに千尋の髪を結いあげた。器用に髪を分けて掬い上げ、何処からか飾り紐を取り出してせっせと括った結果は、一ノ姫からも絶賛された。
しかし、千尋はすぐにそれを解いてしまったのだ。
「お気に召しませんでしたか?」
心配そうに問う柊に、千尋は理由をうまく説明できずに「ごめんね」とだけ言って、最初の頃の長さに切り揃えてもらったのだ。

「今思うと、多分、風早以外の人に髪を梳いたり結われたりするのが嫌だったんだと思うんだ」
「そうなんですか?」
風早は驚きながらも、ちょっと嬉しかった。
「うん。姉様も羽張彦さん以外の男の人に髪触られるのを凄く嫌がるし…」
以前、簪が緩んで来ているのに気付いた柊が、直そうとして一ノ姫の髪に手を伸ばしたら、目にも止まらぬ速さでその手を払い除けられた現場を千尋は目の当たりにした。驚く千尋達の前で、姉姫は柊に手を叩いたことを謝るどころか「殿方で、私の髪に触れて良いのは羽張彦だけよ」と笑みを浮かべて言ったのだ。その時忍人は、一ノ姫も柊を全面的に信頼しているわけではないのだろうとほくそ笑んでいたが、あれは柊だからではなく男性だからなのだということを後に身をもって知ることとなった。何しろ、千尋を探していてうっかり木の枝に引っかかってしまった髪を、たまたま見つけた忍人がその場で解こうとしたら、一ノ姫から血相変えて拒絶されたのだから…。
「結局、忍人さんは羽張彦さんを呼んで来て外してもらったって言ってたなぁ」
「それはショックだったでしょうね」
恐らく忍人は自分は一ノ姫にとって柊と同列かそれ以下だと思ったことだろう、と風早は少しばかり憐れみを覚えた。
「そうそう、最初に柊が拒絶された時ね、羽張彦さんが姉様の簪を直そうとしたんだけど……失敗して、直すどころか抜けちゃったの。それでまた柊が結い直そうとしてあっさり断られたんだ」
しかし、あの羽張彦が他人のしかも女性の髪を結い直せるはずもなく、一ノ姫も自分で結ったことなど一度もなかったので結局自室へ戻るまでそのまま下ろし髪で過ごしていたのだった。
羽張彦はそれをかなり気に病んでいたのだろう。それからしばらくして、一ノ姫に簪を贈った時にはその場で見事に差し替えて一ノ姫から満面の笑みで礼を言われた。その時、柊が二人には聞こえないように「姫があれほどお喜びになられるのならば、練習台になった私の苦労も少しは報われるというものですね」と呟いていたのを、千尋は良く覚えている。

「私は少しの間だけ触られるくらいは我慢出来るんだけど、男女を問わず、長々と触られるのはダメみたい」
そう言って、千尋は苦笑する。
何しろ、あの後また伸びて来た髪を、今度は好意的な采女が結ってくれようとした時も、何だか嫌な気がして拒んでしまったのだ。
「一ノ姫の反応も極端な気がしますが、千尋みたいなのはちょっと変わってますね」
「そうかなぁ。でも、風早じゃないとダメみたいなんだよね」
今は短いこの髪を、それでも風早が丁寧に梳いて少しだけ掬って結い、仕上げに青い小花の飾りを付けてくれた時は、千尋は嫌な気がするどころかとても嬉しかった。
「だから、これからは伸ばすつもりだよ。だって、風早が面倒見てくれるんでしょう?」
甘えるように問いかける千尋に、風早は満面の笑みをもって応える。
「ええ、勿論です。千尋の髪を梳くのも結うのも俺の役目であり…俺だけの特権です。他の誰かになんて譲りたくありません」

-了-

《あとがき》

風早EDの千尋はなぜ髪が短いのか。
柊ルートでは時空を超えた際に髪が元に戻った挙句に、柊EDの千尋はちゃんと序盤の髪型なのに……ちゃんとお姫様扱いされてた千尋の髪が、どうしてあの長さなのか。
ふと疑問に思って、いろいろ理由を考えてみました。行きついた先が、この話です。
風早がゲーム中で「千尋の髪をすくのは俺の役目だった」とか「あなたの髪に触れるのも、あなたの涙をぬぐう役目も、他の誰かになんて譲りたくありません」とか言ってるので、記憶がなくても千尋も同じように感じていたということにしてみました。

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