旅立ち前夜

「また、この時が来てしまったのですね」
柊は風早との最後の酒を酌み交わしながら、沈んだ面持ちで言った。
「逃れられないのでしょうか、この運命から…」
「そうですね、出来るものならば…。でも、俺はまた失敗してしまった。今の俺は、千尋の傍に居ることは出来ない」
呪詛を受けた身がこの国に有っては、中つ国に害を及ぼしてしまう。それでも、千尋の即位だけは見届けたくて、これまで留まり続けた。だが、それも明日で終わりだ。明日、千尋は晴れて名実共にこの中つ国の女王となる。
「我が君には何と…?」
「いつもと同じです。式典の場で別れの挨拶をして、それでお終い」
「あっさりと言ってくれますね」
「俺には毎度のことですから…。それはあなたにも解っているのでしょう?」

柊は全てを知っている。風早の正体も、自分達の運命も、既定伝承の竹簡と星の一族の力で全てを知り、それでも風早と友誼を結び、羽張彦と一ノ姫と共に禍日神に無謀な戦いを挑んだ。
千尋と自分が真に幸せになれる伝承を見つけようと足掻いて、しかしこの時代でもまたその願いは叶わなかった。明日、愛しい姫は最愛の人を永遠に失ってしまう。
それでも、風早を引き止めることは出来ない。例え呪詛を受けていなくても、そう遠くない内に風早は千尋の傍から排除される。熊野での約束通り狭井君は身元詐称の罪は不問としたが、身元が定かではない者をいつまでも女王の侍従としておく訳にはいかないし、千尋がどれほど想いを寄せたところで伴侶となれる可能性は皆無である。
今ならば、千尋の中に芽生えた気持ちはまだ小さなものだが、もっと大きくなってからでは傷が深くなるばかりだ。
風早の失敗は、呪詛を受けたことではなく、千尋の心を自分に向けさせてしまったこと。
これは国の為ではなく、千尋の為の別れだ。今この時に別れてしまえば、きっと千尋は立ち直れる。
それが解っていても、柊は最後まで他の道を模索せずにはいられない。

「あなたには解っているはずです。ただ、俺は毎度のことだからもう慣れてしまいましたが、あなたは違う。なのに、どうしていつも乗り越えられるんでしょうね」
風早にとって、その記憶は自分の体験だった。だが、柊は違う。人格や魂は同じでも、その知識は竹簡と星から得られたものだ。いつの時代でも柊は、この不条理な世界の理を読み解き、人の身でありながら神に抗う道を模索する。それは常にほぼゼロからのスタートで、それでも必ず畏れを乗り越えてしまう。
「それが私だから、なのでしょう」
柊にはそうとしか答えられない。
他の時代の自分に出来たことが、今の自分に出来ないはずはない。そして多分いつの時代でも、自分だけは、自分こそが、と思わずには居られなくなるのだ。
「きっと、いつだって、私は負けず嫌いなんですよ」
「では、その調子で千尋を守ってあげてください。俺はもう二度と、この時代の姫と顔を合わせることはないでしょうから…」
この呪詛が千尋の生きている間に消えることは決してない。生きる者達がこの時代を忘れ去り、再び時の輪が巡って来る頃まで、時空の狭間で休まなくてはならない。
それだけの時間をかけても、きっと風早の千尋への想いは薄れることがない。どれだけの時が過ぎようとも、決して忘れることは出来ない。地上に降りて傷を負って千尋に手当てしてもらう度に、想いはただ降り積もるのみだ。そして、何も知らずに無邪気に名を呼んでくれる千尋の存在を胸に刻んで、風早は永遠とも言うべき時を渡り続ける。
そして柊も、何度生まれ変わろうと千尋に心を奪われる。
「あなたの代わりに、と言うのでしたらお断りします。ですが、我が君の行く末が少しでも幸多きものとなるよう、私の全てを捧げましょう」
「すみません。あなたには損な役ばかりさせてしまいます」
申し訳なさそうにする風早に、柊は柔らかな笑みを返す。
「ふふ…あなたのことだから、いつの時代でもそうやって私に謝りながら、にっこり笑って損な役をさせているのでしょう?」
「…そうかも知れません」
「いいんですよ。私は全てを承知の上であなたの友であり続けているのですから……時の輪の彼方で出会ったら、何度でもまた友誼を結ぶことに致しましょう。そしていつかは、共に手を携えて、この時の輪を断ち切るのです」

-了-

《あとがき》

風早と柊の友情物語です。少々柊寄りですが、風早呪詛EDなので、風早創作に分類してあります。
柊は、進んで損な役回りを引き受けているようなところがあるので、その辺りのことも盛り込んでみました。
互いにすべてを承知で付き合ってるので、風早は何と言われようとちゃんと友達を選んでいます。

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