既定伝承のままに

「私は、また…救えなかった……」
羽張彦と一ノ姫を失い、独り生き残った柊は、ずたずたになった身体と心を引き摺って歩き出した。
予め、近くの洞穴を隠れ場所として用意してある。そこまで行けば、手当てに必要な物も当面の分は備蓄してある。そして風早は、その場所を熟知していた。頃合を見計らって、捜しに来てくれるだろう。
出血は止まっていた。代わりに、全身が焼けるように……いや、文字通り焼けついて痛む。それでも、柊はここで歩みを止める訳にはいかなかった。

「柊…居るのでしょう?」
洞穴の入り口には結界を張ってあるが、風早は柊が残して来た呼び石を使って中に入って来た。柊が何処に隠れているのか、どうすれば中に入れるのか、風早にはとうに解り切ったことなのである。
「柊……?」
「……はぁ…………っ……」
風早が来た時、柊は高熱を発して意識不明の重体だった。元より、生きているのが不思議なくらいの重傷を負っているのだ。
起こる事象はいつの時代でも同じだが、容体は必ずしも同じではない。
「こんな状態で…独りで……」
風早は悲痛な思いで、自分に出来る限りのことをした。
柊の身体を清めると、担いで来た薬を傷に塗り付け、近くで汲んで来た冷水に浸した布を押し当てる。勿論、柊が趣味と実益を兼ねてちまちまと作っていた坐薬も使う。飲ませるのは、滋養に効く丸薬だ。その他に、こまめに水も含ませる。
しかし、ずっと柊の看病をしていられる訳ではない。夜こそ殆ど付きっ切りで居られるものの、昼間は千尋の傍をそう離れる訳にはいかなかった。
それでも風早は、本当に僅かな時間でも暇を見つけては、一夜にして千里を掛けるその脚にものを言わせて柊の元へと通った。

風早の献身的な看護の甲斐あってか、数日後には柊の意識が戻り、多少は話も出来るようになった。
「またしても、既定伝承を変えられませんでした」
苦しい息の下からそれだけ言うと、柊の残された左目からは滝のように涙が流れ落ちる。
それがひとしきり治まると、柊は悲嘆の声を漏らす。
「また私は、一人だけ生き長らえてしまいました」
「そんな風に言わないでください。例え既定伝承が変わったとしても、3人が共に死ぬくらいなら、今まで通り、あなただけでも生きていてくれた方がずっと良いです」
「ずっと良い……本当にそうでしょうか?」
柊は平坦な声音で続ける。
「親友達を救うこともその汚名を晴らすことも出来ず、汚泥を啜って敵地を彷徨い、あるいはあのケダモノらの慰み者やトウの立った御婦人方のオモチャにされて……命からがら愛しき姫の御元へ馳せ参じれば、最愛の人からは裏切り者だ何だと繰り返し面罵され……果てには、姫の御心を射止めれば命を落とし、生き長らえれば目の前で姫を別の男にかっ攫われる。そんな人生の方がずっと良い、などとは到底思えません」
「……それは、熱が言わせたうわ言ですよね。あるいは、痛みによる気の迷い。まさか、本気ではないでしょう?」
「生憎、本気です。気も確かですよ」
「柊っ!!」
風早は、柊の口からだけはこんなことを聞きたくはなかった。
風早はこれまで数え切れない程に、千尋を目の前で他の男にかっ攫われたりその死を看取ったりして来た。あるいは、千尋を守って禍日神の呪詛を受け、傍に居ることが適わなくなり、永遠を生きる神の眷属であってさえ気の遠くなる程に長く苦しみ続ける途を辿ったりもした。
果てしなく繰り返される歴史を辿り見て来ただけに、慣れてしまったとも言えなくはない。それでも、辛いものは辛いのだ。そもそも、時が巡り来る度に千尋への想いを降り積もらせる一方の風早にとっては、千尋の存在しない時代は常に苦行の時でしかない。
柊はそれを知っている。知っていながら自分の前でこんなことを言うなんて、という憤りを、風早はどうしても止められなかった。
すると柊は、そっと目を伏せて告げる。
「誤解しないでください。私は何も、死んだ方がマシだなどと言っている訳ではありません。もしそうなら、此処へ戻ってなど来ませんよ。何処かで行き倒れてそのまま野垂れ死にしてるか、自害して果てています」
既定伝承に縛られて死ぬに死ねないだけなのかも知れない。自害する途を選んだところで、邪魔が入らないとも限らない。
しかし今生においてもボロボロの身体に鞭打って此処まで自発的に戻って来たのは、柊が既定伝承の通りであっても生きることを諦めていない何よりの証だった。
「ただ……あなたと違って達観出来ていない私には、親友達と共に散るより既定伝承の通りの方がずっと良いとは思えないだけです。そう、せいぜい、幾分かマシと言ったところですね」
自嘲と共に多少の弱音を零すと、柊は再び静かに目を閉じた。
この先どうなるのであろうとも、今すべきことは一つしかない。少しでも身体を休めることだけだった。

ある程度動けるようにまで回復した柊は、もう迷いのない目をしていた。
「私は常世へ参ります。すべては既定伝承のままに……」
橿原宮が落ちるのは時間の問題だった。柊が手を貸すまでもなく、内側から瓦解するだろう。それでも柊は、既定伝承の通りに常世に通じ、ほんの少しだけその時期を早める。そうすることで無駄な犠牲者を少しでも減らせるなら、それだけでもやる意味はあるからだ。
それを足懸りに常世の陣に入り込むことが出来たなら、その後は忍人や岩長姫の手勢が致命的な打撃を被らないように暗躍する。
「大丈夫、上手くやりますよ。適度に怪しまれながら、それを逆手にとって……覚られることなく不和の種を蒔いて回り、足並を乱して兵力を分散させ、必ずや忍人達を守って御覧に入れましょう」
「ええ、君ならきっとやり通せるでしょう」
時の輪の中で、柊はただの一度も失敗しなかった。この柊も、成功するに違いない。けれど、その陰でどれだけの艱難辛苦を味わうことになるのかは、風早にも解らない。その間、風早は別の次元に居り、再会した柊は今まで誰一人としてそれについて語ろうとはしなかったからだ。もしかすると、本当にあの夜に語られた通りの運命を辿るのかも知れない。
そんな風早の不安を吹き飛ばすかのように、柊は晴れやかに微笑んで見せる。
あの夜のことがまるで嘘であったかのような柊の様子に、風早は戸惑いを隠せなかった。
それに対して、柊は少し遠い目をして応じる。
「あれは、心身の痛手の影響で悲観的になっていただけです。ですが、こうして回復した今ならば……既定伝承を楽観的に捉えることも出来るというものです」
「楽観的に……ですか?」
「ええ。既定伝承に沿って行動する限り、私は決して、これ以上に身を損ねることも……ましてや、死ぬことなどあり得ません。姫も無事に御帰還され、戦いに勝利して女王となられる。無論、既定伝承に保証された成功であっても、決して手抜きなどするつもりはありませんが……。我が君の輝かしい未来の実現に向けて、私はどのようなことでも致します。いかなる艱難辛苦にも耐えて見せましょう。全身全霊をかけ、知略の限りを尽くし、満を持して姫の御前にまかり越します」
毎世のことながら柊は本当に逞しい、と風早は改めて感じ入る。
すると、まるでそれを裏付けるかのように、柊は身を翻しがてら、少しばかり意地悪な響きを含む声音で言葉を放って行った。
「それでは、また5年後に…。時が来るまで、あなたは姫との束の間のままごと生活を、せいぜい楽しむことですね」

-了-

《あとがき》

ゲーム前のお話。黒龍戦の後から中つ国滅亡直前までの間の柊です。
主に、風早相手に嘆いているだけですが…。

その嘆きの内容については、既定伝承と言うよりは当サイトのデフォルト設定の通りです。
うちの柊は、口と躰で常世での5年間を生き抜き、仲間になった後は忍人さんに繰り返し罵倒されています。あの「知り合いなどではない。すぐに斬れ」だけでは済みません。
そして、千尋と忍人さんを愛おしく想っているのもまた当サイトの基本です。但し、この時点ではまだ忍人さんへの愛情の方が勝っています(*^_^ ;)

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