執務代行は大苦行

「姫……お傍を離れるこの柊を、どうかお許しください」
「……私の方こそ、ごめんね」
「いいえ…いいえ、姫がお謝りになられることなど一つもございません」
「柊…」
「姫……」
「柊………」
「姫…………っ…!」
柊は頭を押さえて振り返った。
「痛いじゃないですか、風早! 私と姫の貴重な時間を邪魔するばかりか、殴るなんて酷いですよ」
「貴重な時間など、とっくに過ぎてます。いつまでも未練がましく千尋の手を握ってないで、とっとと仕事に行きなさい。千尋が病み上がりに処理すべきものを最小限まで減らしておくのが、あなたの役目であり腕と愛の見せ所でしょう」
「うぅっ…」
腕はともかく愛の見せ所と言われると、逆らい難い柊だった。
「千尋も、柊を甘やかすんじゃありません。手だったら俺が握っててあげますから、さっさと柊から手を離して、ゆっくり休んで早く良くなってください。そうしたら、また柊とずっと一緒に居られますからね」
「…うん……ゴホゴホ…」

「はぁ~、己の才が恨めしいです」
あの岩長姫をして「大臣が10人居るより幾分マシ」と言わしめたその才を如何なく発揮させるために与えられた王佐の地位。他の誰かに請われたのであればあっさり蹴飛ばすところなのだが、唯一人心に決めた主であり愛しい姫から「あなたが必要なの」と言われて拒むことなど出来ようはずがない。
無論、就任にあたっては女王と高官達との間で一悶着あった。名のある氏族でないばかりか一度は国を裏切った、そんな輩に国で第二の地位与えるなど言語道断と言うのである。ましてや柊は女王と恋仲であるとなれば、公私に渡って一人の人間が厚遇されるという図式が成り立ってしまう。そのようなことは、国にとって百害あって一利なしというのが通例だ。
しかし、千尋は毅然として言った。
「皆の懸念はもっともです。ですから、王佐に足る才と柊に比肩するだけの私への忠心を併せ持つ者が他に居るなら、すぐにも柊を解任すると約束しましょう。自薦他薦は問いません。そのような人材があれば、いつなりと推挙してください」
国を裏切ったと言われる柊も、この女王を裏切ることだけは有り得ない。そのことには、狭井君ですら疑念を差し挟む余地はなかった。才に関しては言うに及ばずである。
感心出来ない、その一点を除けば、誰よりも王佐に相応しいのが柊であることは否定出来なかった。現状を鑑みれば、その才を無下に遊ばせておけるような余裕もない。
そして、未だに代わりの人材の育つ気配はなく、柊の任は解かれぬままなのであった。

「まったく……揃いも揃って友達甲斐のない人達ですよね」
当初こそ柊のずば抜けた才覚に頼らずには居られなかったが、復興の中核は整い、治世は安定の兆しを見せ始めた。千尋自身の執務能力も格段に上がった。その施政が軌道に乗った今なら、柊でなくとも王佐は務まるだろう。例えば、道臣や忍人などは充分にその資格も能力もある。周りは納得しないだろうが、風早だってそのくらいの才はあるのだ。
しかし、彼等に打診してみると全員が首を横に振った。
「私はそのような器ではありませんので…」
「俺は、ほら、君みたいに出自を補って余りある程の才などないし…」
まぁ、この二人の言は仕方なかろう。特に風早などは、出自を偽っているのだから、重職に就くには支障があり過ぎる。本来であれば女王の侍従も難しいところなのだが、そこは続投の形で有耶無耶にされていた。
しかし、忍人の断り文句は棘があった。
「俺は武人相手の方が性に合ってるし、それでなくてもお前を自由の身にしてやる気など毛頭ない。何処ぞへ旅にでも出てくれるならまだしも、ここに留まり続けるというのに暇など与えては、どれだけ被害が頻発するか知れたものではないからな」
そうなのだ。「柊を王佐に…」と千尋が言い出した時、強硬に反対するかと思われた忍人が逆に真っ先に賛成したのは、柊を近くで遊ばせておいたら碌なことをしない、と誰よりも身に沁みて解っていたからなのである。曰く「裏切りの代償に、奴は死ぬまで陛下の御為に働かせましょう」だそうな。
苦情を言った柊に、忍人はしれっとして応えた。
「公私に渡ってずっと愛しい姫のお傍で過ごせるというのに、何の不満があるんだ?」

「はぁ~、仕事もプライベートも姫のお傍近くに居られるのは有り難かったですけど、一番傍に居て差し上げたい時に居られないのでは、王佐の地位なんて煩わしいばかりですね。風早のように名ばかり侍従の暇人だったら、いくらでも姫の枕元に居られたものを…」
溜息と不平不満ばかりを繰り返していると、傍らから声がした。
「俺から役目をことごとく奪って暇人にしてくれた張本人からだけは、名ばかり侍従と言われたくありませんね」
「か、風早!?」
顔を上げて声の主を確認した柊は、驚きの後、眉を吊り上げる。
「私の看病ならまだしも、我が君の看病を放り出すなど言語道断です!」
すると、風早も不機嫌な顔で応えた。
「その千尋に追い出されたんですよ。私の方は遠夜がいてくれるから大丈夫、風早は柊を手伝ってあげて、って……千尋にそう言われて、嫌です、俺はここに居ます、なんて居座ってなんていられる訳ないじゃないですか? 仕方がないから、手伝ってあげます。こうなったら、とっとと仕事を終わらせて、一刻も早く千尋の元に帰りますよ」
言うなり、風早はガシッと傍らの竹簡に手をやったのだった。

手伝うと言っても、何の権限もない風早に出来ることは限られている。ガンガン仕分けを進めていると、それを処理すべき柊の手が止まりがちな分、竹簡の小山がどんどん数を増やしていった。
「柊、手が止まってますよ。さっき、お昼休みを取ったばかりでしょう。休んでないで、ちゃんと仕事しなさい」
「そう言われても、潤いが足りな過ぎてやる気が出ません」
「何言ってんですか。千尋の為ですよ。千尋への愛はどうしたんですか」
それは柊も解っているのだ。だが、心がついて行かない。
「我が君のためにも働かなくてはならない気持ちと、お傍に居たい気持ちとで、この身が引き裂かれそうです。それに、常ならばこうしてふと顔を上げた際にこの目に飛び込む姫の花の顔、それがどれほど私の心を慰めていることか……ああ、せめて代わりに忍人でも居てくれたなら、少しは心が潤うものを……そうです、王佐命令で、忍人に今日はここで仕事するように…」
泣きそうな顔の柊に対し、風早は呆れ顔になる。
「職権乱用すると、後で千尋に怒られますよ。我儘言うんじゃありません。第一、そんなこと、忍人が承服する筈が…」
「承服はせんが容認してやるから、キリキリ働け」
「はぃ!?」
風早と柊が同時に素っ頓狂な声を上げ、戸口を見遣ると、竹簡の小山を抱えた数人の部下を引き連れて、忍人が入室して来た。
「今日はここで軍務を執らせてもらう。この卓子、借りるぞ」
「えっと、あの…?」
不思議そうな顔の兄弟子達に、忍人は渋面で応えた。
「陛下のたっての願いだ。今日は、出来るだけお前の目の届くところに居るようにしてやる」
すると、喜色ばむ柊とは逆に、風早がムッとした顔になった。
「君…俺達の居ない隙に、千尋のお見舞いに行ったんですか?」
「足往が、な」
サラリと返されて風早がキョトンとすると、忍人は続けて言った。
「見舞いに行った足往が、呼出しの伝令となって戻って来て……それに応じたら、陛下に切願されたんだ」

「今日は出来るだけ柊の目の届くところに居てあげてください。きっと柊は意気消沈してると思うんです。柊の気分を向上させられるのは、私の他には忍人さんしか居ないんです。優しくしてあげてとか、笑いかけてあげてなんて無理は言いません。どんなに不機嫌な顔をしていても、一言毎に怒鳴りつけても引っ叩いても構いませんから……なるべく柊から見えるところに居てくれるだけで良いんです。お願いします、忍人さん」

「最初は断ったんだ。そうしたら、遠夜の手を借りて寝台の上で三つ指つきそうになって……それでは、わかったから大人しく寝ていてくれ、と言うしかないではないか」
しかし「わかった」と言ってしまったからにはそれを違える訳にはいかない。それで忍人は、部下の手も借りて仕事の場をこの執務室に移したのである。
「まぁ、陛下の目が光っていないと、お前は怠けかねないからな。それを防ぐ為にはこれも悪くは無かろう、と考えることにした」
要するに開き直りである。そんな忍人に、柊は不満げに言う。
「失礼ですね、怠けたりなんてしませんよ。病床の我が君が憂えぬよう確と代行を務め、病み上がりの我が君への負担を減らしておくことが私の使命です」
「そう言う割には、大して捗っていないようだが…?」
柊にしては随分と処理数が少ないことは、忍人の目にも明らかだった。
「うっ…それは……頭では解っていても、心までは完全には制御出来ないものなのです。ですが、こうして忍人が来てくれたからには、少しはやる気も湧くと言うもの。姫の願いに”わかった”と答え、先の私の発言に”容認してやる”と言ったからには、その言葉通り、私が顔を上げたらその目線の先に居るようにしてくださいね」
期待に満ちたような顔の柊に、忍人は仕方なさそうに頷いた。そうして、居座る準備を整えると、徐に傍らの布包みを探る。
「陛下からは、もう一つ頼まれ事をしたんだ。これをお前に渡して欲しい、と…」
そう言って忍人が差し出したのは、更にもこもこになるほど幾重にも巻かれた布包みだった。開けてみると、まるでマトリョーシカのような代物から最後に出て来たのは、慣れ親しんだ香りがする手巾だった。
「陛下が朝から胸元に抱いていた手巾だそうだ。これで柊も”えんじん”掛かって仕事が捗るだろうとか何とか、よく解らないことを言っていたが……どうだ、捗りそうか?」
「はい!」
柊は、俄然やる気が湧いて来た。
顔を上げれば忍人が居る。傍らからは姫の匂いがする。視覚と嗅覚で感じ取るこれらの悦びに、テンションが上がらない訳がない。
「風早、何をボ~っと見てるんですか。姫の香りが薄れぬ内に、これ全部片付けますよ」
先程までのだらけた様子は何処へやら、柊は別人のように次々と案件を処理していく。
柊が顔を上げた際にちょうど忍人も顔を上げて目が合うと睨まれるが、柊はそれすらも嬉しかった。にやけて、またそこから頑張れる。
「愛されてますねぇ、柊も千尋も…」
千尋は柊のことを風早が思った以上によく解っているようだった。
忍人には多大な迷惑をかけることになるが、そんなものはいつものことだし、忍人も風早達程ではないにしても千尋のことは随分と気に入っている様子なので構わないだろう。何より、それで千尋の病み上がりの負担が減るのなら、風早は忍人のストレスなど意に介さないのだった。

こうして、柊の頑張りと風早の千尋に対する献身と忍人の自己犠牲によって、病み上がりの千尋の仕事は大幅に減少した。
それでも柊は、復帰した千尋に改めて請い願う。
「此度のことで思ったのですが、やはり王佐の任を解いてはいただけませんか? 肝心な時に姫のお傍に居られないのでは、どうにも辛くて堪りませんでした」
しかし、千尋はそれを許さなかった。
「使える人材が乏しいのに、柊を遊ばせておくなんて出来る訳ないでしょう。代わりが居ない以上、柊にはこれからもしっかりと働いてもらいます」
仁王立ちで片手は腰に、千尋はビシッと人差し指を突きつけて言い放った。
「……死ぬまでこき使うおつもりですか?」
柊が半ば冗談のつもりで言うと、千尋はふんぞり返って言う。
「勿論! 私が死ぬまで、柊は私にこき使われる運命だと思ってちょうだい」
「それは……我が君の方が先に逝かれる前提なのですね」
また柊が茶化すように言うと、千尋は悲し気に零した。
「……まさか、あなたも私を置いて逝くつもりなの?」
それを言われては、柊も反論など出来ない。
「いいえ、最期までお傍に居ります。姫を置いて逝くようなことだけは、決して…」
そう誓う一方で、千尋を看取る日がいつまでも訪れぬことを、柊は心の底から願うのだった。

-了-

《あとがき》

基本的には、柊は実質遊び人の設定で小話を書いているのですが、ちょっと王佐に納まってもらってみました。
そうすると、平常は仕事でもプライベートでも誰の憚ることなく千尋の傍にベッタリくっついていられるようになりますが、その代わり、一番傍に居たい時にはそれを許されなくなります。
でも、日頃何かと特権を有してる分、いざと言う時は辛い役目も担ってもらわなくては、ね(-_-;)
第一、こんなのは、他の人からすれば「何、寝ぼけたこと言ってんの?」って話になる訳で…。それでも、風早は柊と同じ心境になってるし、忍人さんも同情はしないけどこの2人の兄弟子がそういう生き物であることは嫌と言うほど解っています(^o^;)
おそらく、3人が3人共、自分が一番の苦行を強いられたと思っていることでしょう。尤も客観的には、誰が一番の被害者なのかは明らかと思われますが…。

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