もしかしてデジャヴ

「ちょっ……ダメだよ、柊。こんなトコで…」
「そう仰らずに……我が君…」
辺りに人気がないとは言え、いつ誰が来るとも限らない場所で口付け以上のことをされるのは、千尋としては歓迎出来ない。柊が常日頃から所構わず千尋にベタベタして恥ずかしい台詞を吐きまくることにはさすがに慣れてもいるものの、それとこれとでは話が違う。柊のことだから、結界の一つも張っているのかも知れないが、だからと言ってこんな場所でコトに及ばれても良いかというと、それはまた別の話だ。
「ダメだってば…。ねぇ、待ってよ」
「……待てません」
決して乱暴にではないが、千尋は徐々に身体の自由を奪われていく。千尋自身、流されそうになっていく自分が居ることに戸惑いを覚えながら、懸命にそれに抗っていた。
「柊……ねっ、やめて…」
「……嫌です」
柊は引かず、千尋は半ば組み敷かれたようになってしまった。このままでは完全に流されてしまう。そう思った千尋は、グッと腹と拳に力を入れた。
「ダメって言ってるのが解らないのっ!!」
「はぅっ!」
千尋の鉄拳を受けて、柊はその場に沈んだ。

「……同じようなことがあった気がするんです」
千尋の膝枕で意識を取り戻した柊は、その場で軽く身を起こすと首を傾げた。
それを受けて、千尋も首を傾げる。
「同じって…?ダメよ、待って、ってヤツ?」
「ええ、まぁ、そうではあるんですけど…」
「でも、そういうのって、よくあるんじゃないの?ダメよ、待って、やめて……って…」
焦らしたり、嫌がる振りをしたりというのは、媚態としては常套手段だ。
「はい。ですが、その後までとなると些か不思議でなりません」
「その後、って言うと……ダメって言ってるでしょ、って怒鳴られたってこと?」
「ええ、組み敷いた状態から怒鳴られたのみならず、殴られたような気がします。おかしいでしょう。我が君以外に、一体、何処の女性にそんなことが出来るでしょうか?」
それは確かに不思議だ、と千尋も思う。しかし、本当に拒むのであればそれも有りなのではないだろうか。もっとも、こちらの世界の女性が相手で、しかも柊がとなると、それは珍しいのかも知れない。
「ん~、柊がいちいち覚えてられないくらい遊び歩いてたとしても、ちょっと考えにくいシチュエーションだよね」
そして、それが珍しいことならば、柊が思い出せないということがまた不思議でならなかった。一体、どんな形でなら柊の記憶に残らなくなったり、あるいは忘れられたりするのだろうか。
真剣に考え込むような姿勢の千尋に、柊は言う。
「遊び歩いてたことは否定しませんけど、そのことはもう時効にしていただけませんか?」
ちょっと情けない顔の柊に、千尋は愉しそうに応えた。
「嫌だよ。一生言ってやるもんね」
「我が君……」
柊は叱られてしょげている犬のような目で、千尋を見遣る。
「はぁ~、それにしても気になりますね。一体、これはどのような…?もしや魂の記憶とか…」
言いかけたところで、柊はスパーンと勢いよく頭を叩かれた。
「何を話しとるんだ、貴様ぁ!」
「あっ、忍人さん」
千尋が見上げると、何処からともなく駆け寄って来て柊の頭を平手打ちした忍人が、振り戻した手を握り締めて小刻みに震わせていた。
「まったく、君達は……こんなところで昼間から何て話を…」
「あっ、今ので全部思い出しました。相手は忍人です」
叩かれたところを摩りながら柊が言うと、忍人は「しまった、良からぬ記憶を呼び起こさせたか」と言わんばかりの顔になった。
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げて千尋が二人を交互に見遣ると、忍人は目を泳がせ、柊は愉しげに笑う。
「ですから、なかなか思い出せずにおりました……待って、やめて、という…」
「組み敷いたところで、ダメよ、待って、やめて、ダメって言ってるでしょ、って怒鳴られて殴られたってヤツ?まぁ、確かに日頃から”待て、やめろ、寄るな、嫌だ、離せ、やめろと言ってるだろ”ってのならよく聞いてるけど……それとは違うんじゃない?」
柊が忍人に隙あらばちょっかい出すのはいつものことだが、それなら忘れるとか思い出すとかの次元ではなく日常茶飯事である。
「忍人さんはそう簡単に押し倒されたりはしないだろうし……もし出来たなら、それこそ柊がそんな愉しいことを忘れるはずなんて…」
「ええ、ですが少々訳がございまして、記憶の奥底に沈み込ませておりました」
「訳って、どんな?」
忍人から懇願されたのです。今日のことは忘れろ、綺麗さっぱり忘れるんだ、どうか忘れてくださいお願いします、と…。ですが、私には忘れるという行為は大変難しく……それでも頑張って、どうにか今日まで記憶の奥底に沈めておいたのですが…。ふふっ…思い出してみれば、僅かな時間とは言え、本当に愉しい一時でした
柊が遠くを見つめていた視線を戻せば、千尋の目が「詳しく聞きたい」と訴えている。
「そうですね。私の口から語るよりは、忍人から聞いた方がいいでしょう。私では、話している内につい面白おかしく脚色してしまいそうですからね」
水を向けられた忍人が、さっさと場を離れておけば良かった、と思っても後の祭りだ。話すのを拒んで立ち去るのは簡単だったが、それでは柊に面白おかしく脚色されてしまう。
「…っ……師君の遣いで行った先で軟禁されて、脱出するための作戦とぬかして柊に押し倒されたんだ」
そうして忍人は、思い出したくもないのにこの二人の会話で思い出してしまった苦々しい過去を語ったのだった。

「……って、おい、いきなり何をする!?」
「力を合わせて脱出しましょう」との誘いに応じ、詳しい説明を受けるべく身と耳を寄せるなり、肩を掴まれて床に押し倒され、上に乗られて鼻先が付きそうなほどに顔を寄せられた忍人は、訳が解らなかった。
「ですから、協力してくださるのでしょう?はい、しっかり声上げましょうね」
「ちょっ……待て。こら、やめろ」
耳元で囁きかけながら服に手を掛けられて、やっと柊の狙いの一端が解り、忍人は必死にもがき始める。
「待ちません」
「やめろと言っているだろう!」
「やめません。ほら、さっさとイイ声で啼きなさい。それで見張りを引き込みますから…」
「ひぃあっ……嫌だ。無理だって、そんなこと…」
変な声が出そうになったが、それを押し止めて、忍人は懸命に抗う。
「大丈夫ですよ、万事この私に任せてくだされば…。あなたは、ただ、感じるままに声を上げるだけで良いのです」
「……っ…………や……やめろと言ってるのが解らんのか、この莫迦っ!!」

「それで、作戦は失敗したんですね?」
話を聞いて千尋は、「それは確かに、先程の自分達と”同じようなこと”よね」と思っていた。
そして、柊にしては随分と杜撰な作戦だとも思う。そんなの上手くいくわけないんだから単にどさくさに紛れて忍人さんに手を出したかっただけなんじゃないの、としか考えられないのだ。
しかし、柊は笑って言って退けた。
「いいえ、想定した以上に上手くいきました」
「………………?」
意外過ぎる展開に、千尋は目が点になる。
すると、柊はそれはそれは愉しそうに続ける。
「飛び込んで来た見張りの者達は、我々が殴り倒すまでもなく、私に着衣を乱され怒りで頬を上気させ目元を潤ませて肩で息をしていた忍人の姿を見るなり、全員が鼻血を吹いて倒れました」
千尋は丸くなった目を忍人に向けた。
「さすが、忍人さん」
「感心しなくて良い」
思い出しても腹立たしいと言わんばかりの忍人の前で、千尋は悩ましげな溜息をつく。
「いいなぁ、羨ましいです」
「羨むようなことか?」
毒気を抜かれた忍人に、千尋はしみじみと零す。
「だって私なんて、素っ裸を見られても、相手は顔色一つ変えずに真顔で説教だけして立ち去って……程なく再会しても、何もなかったかのように平然と…」
「我が君……それは、その男が姫の魅力を解さぬ超鈍感朴念仁だっただけにございます」
だが、意味ありげにチラと向けられた柊の視線に、忍人は気付かない。その素っ裸を見て説教だけして立ち去ったはずの当の本人は、この時空にあっては全く身に覚えがなかった。姫の口から語られるには衝撃的とも言えるその内容に、ただ唖然とするばかりだ。
それを良いことに、柊は再び千尋にちょっかいを出し始める。
「もっとも、おかげで御身がご無事であったことは、不幸中の幸いでございました。もしも相手が敵や不埒な輩であったなら、私が今こうして姫に触れることも適わなくなっていたところです」
「ちょっと、柊、何処触って……って、ダメだってば、こんなところで……忍人さんも居るし……」
「呆けてるから問題ありません」
「そういう問題じゃな…………だから、ダメだって言ってるのがまだ解らないのっ!?」
その声に忍人がハッと現実に立ち戻ると、その目の前では柊が見事な平手打ちを喰らっていた。
そしてこの後、風早も加わった3人掛かりで、柊はこってりと絞られることとなったのだった。

-了-

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