風は吹き惑いて

朝の身支度を終えて、前の間に出た千尋と柊は、そこに風早の姿が無いのを見て顔を見合わせた。
「風早ってば、お腹でも壊したのかな?」
「とりあえず、様子を見に行って参ります」
そして程なく戻って来た柊の手には、1枚の竹簡が握られていた。
「何、それ?」
「風早の置手紙です」
受け取って書面に目を走らせた千尋は、目を瞬かせた。
「”思うところあって旅に出ます。捜さないでください”……って、これ、家出の定型文じゃない!?」
「我が君…文面をよくご覧ください」
柊に言われて、千尋は文面を見直した。しかし何度見ても、変わらないような気がする。
「ここです。この部分をよくご覧くださいませ」
「だから”捜さないで”……って、あれ?」
千尋はゴシゴシ目を擦って、柊の指差した部分をもう一度見直した。あまりにも典型的な文章に見えた為に、完全に思い込みが優先されていたが、よく見れば何かが違う。
「これって、見間違い……じゃないよね?”捜してください”って読めるんだけど…」
「はい、私の目にも”捜してください”としか読めません」
――思うところあって旅に出ます。捜してください
風早のそんな置手紙に、千尋は天に向かって「何考えてるのよ~っ!!」と叫んだのだった。

「風早が家出した?」
千尋から話を聞いた忍人も、呆れた顔をした。
「それで君は、軍総出で捜せとでも言うのか?」
「まさか……いくら私でもそんなこと言いませんよ。ただ、意見を聞きたかっただけです。忍人さんは、どう思いますか?」
「どうもこうもないだろう。放っておけば良い。どうせ、一晩と経たぬ内に勝手に戻って来るに決まっている。捜しに行ったりなどして甘やかせば、つけ上がるだけだ」
吐き捨てるように言われて、千尋も吐息を漏らした。
「柊も同じことを言ってました」

「放っておきましょう。姫に捜し出して貰えぬままで居て、そう長いこと我慢出来るはずがありません。明日の朝までに、寂しさのあまり、泣きながら舞い戻って来るのがオチです」

柊も、忍人も、”捜してください”などと言うふざけた置手紙を残しているからには、絶対に近くで千尋が捜しに来てくれるのを今か今かと待ち侘びているに決まっていると主張した。
そう言われると、千尋もそんな気がしてくる。
「やっぱり、そうだよねぇ」
執務室に戻って独り言つと、千尋は風早のことなど忘れたように仕事に励み出したのだった。

「我が君…お茶をお持ちしました」
お茶とお菓子を盆に乗せて、柊が入室した。
「わぁ、さすがは柊、気が利くね」
満面の笑みで迎え入れる千尋に、柊も微笑んで見せる。
「本日は風早がおりませんので、私が代わりに煎れたのですが……如何でしょうか?」
「うん、おいしいよ」
千尋は慎重に一口飲んで、顔を綻ばせた。
「ん~、柊がこれだけ美味しいお茶を煎れられるようになると、風早の使い道がなくなっちゃうね。それが哀しくて、家出なんてしちゃったのかなぁ」
千尋の意図を汲み取って柊は応じる。
「ふふっ…居なくなってみれば姫が寂しさを感じて、自分の手を求めてくれるとでも思ったのでしょうか。愚かなことをするものですね」
これは正解だったようで、千尋は柊に目配せすると嬉しそうに言う。
「昔は風早が居ないとダメだったけど、今は沢山の人達が周りに居てくれるし、柊はこんなに傍に居てくれるから寂しくないよ。着付けも髪結いもとっても上手で、仕事も出来て、気が利いてすっごく頼りになるなんて、柊は最高の旦那様だよね」
「そのようなお褒めの言葉を賜りますること、至極光栄に存じます。我が君にお喜びいただけますよう日夜努力を重ねて参りましたが、今後とも尚一層の精進を致しますことを心掛けましょう。お茶の煎れ方についても、必ずや極意を会得してご覧に入れます。その時になって風早がノコノコ帰って来ても、もはや手遅れ、居場所などございますまい」
「ふふふ……楽しみにしてるね」

ガタンと音がして部屋の端で竹簡の山が崩れた。
「ちひ……千尋は…………俺が居なくても構わな……いんですか?」
見れば、風早が泣いている。
「千尋が……捜してくれるのを……ずっと待ってたのに……全然……捜そうともしてくれないし……俺は…………千尋は俺のことなんかもう……要らなくなっちゃったんですか?」
そこで千尋は不敵な笑みを浮かべた。
「やっぱり、すぐ近くに居たね」
柊も呆れたように続く。
「まさか、ここまで近くに居るとまでは思いませんでしたけどね」
「ひっく……それ……どういう意味ですか?」
「だって、風早が私を置いて旅に出るなんて考えられないじゃない。おまけに、”捜してください”とか書いてるし…。これは絶対近くに居るなって思ったんだよね。勿論、最初は近辺くらいに思ってたんだけど……忍人さんに話を聞いて確信したの」
「忍人……そんなこと……言ってましたっけ?」
「一晩と経たぬ内に勝手に戻って来るに決まっている、って言ってたでしょ。柊だけならともかく、忍人さんにさえ見抜かれてるのに風早が自覚してない訳ないよね?それでも、旅に出るって言ったからには一晩で戻って来るつもりはないだろうなって思って……だったら、どうやって寂しさを紛らわせるかって考えてて、ふと那岐の言葉を思い出したの」

「あの『遁甲』って特技……敵の目から身を隠すとか言う触れ込みだけど、元々は誰にも気付かれずに千尋の後を付け回す為に編み出されたんじゃないの。何しろ、あの風早と柊だよ」

「那岐がそんなことを…」
見透かされてる、と柊は思った。風早も同様だ。
「だからね、きっと私の姿が見えたり声が聞こえる範囲内に隠れてるんだろうって思って、試しにあんな事言ってみたんだけど……まさか本当に、こんなに近くに遁甲して潜んでたなんて驚きだよ」
「間違うこと無きストーカーですね。私でもそこまでは致しません」
千尋は、柊がかなりのストーカー振りを発揮していたことをよく知っていたので、本当にやらないかどうかは少々疑問に思ったが、今の柊がそこまでやらないであろうことは信じられると思った。何しろ、そんなことをしなくてもいつだって堂々と近くに居られるのだ。
「それで、風早…何か言うことはないの?」
「……千尋は、本当は俺のことを必要だと思ってくれてるんですか?」
やっと泣き止んでボソッと問うた風早に、しかし千尋は答えを返さない。代わりに、こう言う。
「その問いに答えるのは、風早が言うべきことをちゃんと言ってからだよ」
「えぇっと……ただいま?」
探るようにして風早がそう言うと、柊が別の言葉を言うように促した。
「その前に、言うべきことがあるでしょう。あなたは、自分がどれだけ愚かなことをしたのか解ってないんですか?構って欲しいから家出するなんて、子供のやることですよ。まったく、いい歳して、何をやっているのやら……それでよくも恥ずかし気もなく、我が君の教育係だなどと言えたものです」
しばらく考えてから、風早は弱々しい声で言った。
「…………ごめんなさい」
「はい、よろしい。それじゃあ特別に、今回だけは許してあげる」
千尋は項垂れている風早に歩み寄ると、背伸びして手を伸ばして優しく頭を撫でた。
「おかえり、風早。必要ないなんて思ってないからね。風早はいつだって、私の大切な家族だよ」

「ところで、我が君…あれは、どこからがお芝居だったのですか?」
柊は例え嘘でも千尋から褒められれば嬉しいものの、あれが風早を焦らせるためだけの言葉だったのなら些か哀しく思うのだった。
「ん?柊への褒め言葉は掛け値なしの本気だよ」
「それを伺って安堵致しました」
「ふふふ…すかさず調子を合わせてくれるなんて、さすがは柊だね。やっぱり、最高だよ」
「では、そんな私が家出をしましたら、如何なさいますか?」
捜してくれますか?それとも、放っておきますか?
そう問われた千尋は、笑って切り返す。
「その答え……本当に聞きたいの?」
そう言ってただ笑う千尋を見ている内に、柊の心に不安が沸き起こった。
「まさか……我が君…………黄泉比良坂を駆け抜ける…なんて仰いませんよね?」
「うふふふ……」
柊に勝ち目はなかった。
「大変愚かな問いを発しましたことを心よりお詫び申し上げます。そのような莫迦な真似は決して致しませんので、それだけはご容赦ください。どうか、この柊をお傍に置いてくださいませ」
「解ればよろしい」
寛容に許しを与えては見せたが、千尋はこの柊を捨てて別の次元へ行くことなど考えていなかった。
そこで、柊の耳に正解をそっと囁く。
「あのね、もしも柊の姿が見当たらなくなったら……大声で名前を呼ぶよ。だから、必ずすぐに戻って来てね」

-了-

《あとがき》

風早に対しても柊に対しても、力関係は千尋の方が遙かに上です。
二人とも、千尋に捨てられるのが怖くて仕方がありません。

ちなみに、遁甲に対する那岐の見解は、まんまLUNAの見解です。
柊は性格からもポジション(地の白虎)からも、使えて何ら不思議じゃないんですが……他に使えるのが土蜘蛛の遠夜でも静かなところが好きな那岐でも隠密行動に慣れた忍人さんでもなく風早ってのは、そういうことなんじゃないかと思えてなりません。
もしかしたら製作サイドでは神の眷属だから(あるいは声が井上さんだから)ってことで風早に遁甲を割り当てたのかも知れませんが……風早&柊と言えば、千尋の追っかけでしょう(^_^;)q

そもそも、風早のキャラソンって爽やかに優しい声音で歌ってるからジーンとくるんだけど、聞きようによっては超ストーカーソングのような……『慈愛しさは光の砂時計』も『回想の草原は金色』も、要するに風早は、風になっていつも千尋の傍に居て見守り続けたいんですよね?(*^_^ ;)

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