名を呼ぶ声
気晴らしに橿原宮に遊びに来たアシュヴィンは、そこで風早の愚痴を聞かされることになった。
      「最近、栞がどんどん俺に冷たくなって来て…」
      「それは、あなたが構い過ぎるからですよ。せっかく頑張って自分でやろうとしてるのに、すぐに横から手を出してあなたがやってしまうでしょう?それが、ちぃ姫には許せないんです」
      「だって、危ないじゃないですか」
      「だからって、過保護が過ぎます。先日も、そのことで我が君に叱られたばかりでしょう。いつも先回りして手出ししていては、ちぃ姫は何が危ないのかも解らないままになってしまうんですよ」
    風早が何か言う度に、横から柊が反論していると、ずっと黙っていたアシュヴィンがふと口を開いた。
    「柊…お前は、どうして一ノ姫の名前を呼ばないんだ?」
    市井の者ならいざ知らず、身分有る者やそこに仕える者で男性が女性の名を呼ぶのは、相手が家族か恋人の場合くらいだ。別世界で暮らしていた千尋はそんなことは気にしないのだが、アシュヴィンも千尋や栞の名を知っていても呼ぶことはしないようにしている。
    しかし、柊はその例外的に名を呼ばうはずの家族なのだ。
    ところが、千尋の親代わりで兄代わりとは言え実のところは赤の他人で臣下である風早がその名を呼び倒していながら、実の親である柊は先程から全く娘の名前を呼ばない。
    それを不思議に思って問うたアシュヴィンに、柊は言い難そうに答えた。
「私だって、ちぃ姫が生まれた頃はちゃんと名前で呼んでたんです」
    「ならば、何故、今は呼ばない?」
    「……姫が怒るからです」
    何を言われたのかと、その言葉を吟味して、アシュヴィンは問い直した。
    「一ノ姫がか?」
    「違います、我が君がです」
    「龍の姫が…?」
    段々と縮こまるようになりながらも、柊はボソッと告白した。
    「狡いと仰るんです」
「私は未だに”我が君”とか”姫”とかばっかり呼ばれて、全然”千尋”って呼んでもらえないのに、栞ばっかり名前を呼んでもらえるなんて狡いよ!」
「それで、娘の名も呼ぶのをやめたのか?」
      「……はい」
      「お前……そこは、奥方の名を呼ぶ努力をするべきだろう」
      「そのご意見はごもっともなのですが、私にとっては”我が君”とお呼びするのが最も胸膨らむ呼び方なのです。御名をお呼びするよう努力はしておりますが、これがなかなか実らず……ちぃ姫の名を呼ぶ度に我が君のお叱りを受けるので、我が君の御名を呼べるようになるまで、ちぃ姫の名も呼び控えておりますのが現状なのです」
      呼ばなくなった理由については一応の納得はしたものの、それでどうして”栞”を”ちぃ姫”と呼ぶのか、まだ謎が解けぬアシュヴィンだった。
      「名を呼ぶのをやめた当初は”一ノ姫”と呼んでいたのです。すると、今度はちぃ姫が泣いてしまいました」
      クスンと泣きそうな顔で零す柊の横から、風早が口を挟む。
      「そりゃ、泣きますよ。大好きな父親から、ある日突然、他人みたいに扱われたんですから…」
      「そうなんです。それで、小さな姫ということで、ちぃ姫と呼ぶことにしました」
      謎は解けたが、これまた次の疑問が湧き上がる。
      「それは……次の姫が生まれた時に困らないか?」
      「その時には、ちぃ姫がもう小さくはなくなってるでしょうから、何とかなりますよ」
      開き直った柊に、これ以上この話題を続けるのは止そうと思ったアシュヴィンなのだった。
    
-了-
《あとがき》
柊って、いつまで経っても千尋のことを”我が君”と呼びそうと言うか……柊が千尋のことを名前で呼んでいるところが想像出来ません。
    布都彦や道臣さんですら想像出来るのに…((+_+))
多分、LUNAの中で柊の下僕度が強過ぎる所為でしょう。それと、柊の紡ぐ”我が君”の響きに萌えているから…(*^_^ ;)
    おかげで、娘まで名前で呼べない柊なのでありました。
    だって、千尋なら「私は名前で呼んでもらえないのに…」って絶対言うでしょう。例え相手が娘だろうと、妬くに決まってます。

