笑顔が欲しい

「忍人にお願いがあるんですけど…」
兵の訓練中にいきなりやって来てそんなことを言いだす柊に、忍人は即答した。
「断る!」
その反応を予測していた柊は、忍人に断られたのにも構わず、一言だけ頼み事を口にした。
「笑ってくれませんか?」
何の脈絡もなく、突然そんなことを言われて、忍人は面食らった。
「実は、我が君が忍人の笑顔をご所望なのです」
「何故、そんなものを…・」
困惑する忍人に、柊はここに至るまでの経緯を簡単に説明した。

千尋が時折憂い顔で溜息を付くのが気になって理由を尋ねた柊に対し、意外な答えが返って来た。
「忍人さんって、前は笑顔で褒めてくれたりしたのに、私が女王になってからは全然笑ってくれないんだよね。ちょっと寂しいな。この前も、皆でお茶してる時、一人だけずっと不機嫌そうにしてたし…」
女王になってから笑いかけることをしなくなったのも、立場を思えば仕方のないことだった。女王の仕事ぶりに対して「よくやったな」と褒める臣下など居ない。
そして、お茶会の時に忍人が不機嫌だったのも無理はない。風早と柊によって拉致されて、千尋達の部屋へと連行されて、強引に参加させられたのだから…。
しかし、それを言われて納得出来る千尋ではなかった。
「でも、この部屋では昔の仲間に戻って笑って欲しいな。それって私の我儘なのかなぁ。ねぇ、柊……どうしたら忍人さんは笑ってくれるんだろうね?」

忍人を笑わせること。それは、昔の柊がやろうとして失敗を重ね、万策尽きた至難の業だった。しかし、愛しき姫の望みとあらば、叶えぬ訳にはいかない。こうなれば、笑わせるのではなく笑ってもらうしかない、と柊はこうして直談判に踏み切ったのだった。
「私を試す為に仰っているのであれば、如何様にも受け流して見せます。ですが、我が君は本心から忍人の笑顔を求めておられるご様子。そのお望みを叶えることが出来ないとあっては、私は無能の烙印を押されてしまいます」
「俺の知ったことか。無能の烙印だろうが不能の烙印だろうが幾らでも勝手に押されるがいい」
忍人はあっさり切って捨てた。
「今、さらりと酷いことを言いましたね。前者はともかく、私が後者の烙印を押されるようなことがあれば、国の一大事ですよ」
「ああ、それもそうだな。では、そちらの烙印は世継ぎが生まれてから押されろ。俺が思いっ切り蹴り上げてやってもいいぞ」
顔色一つ変えずにそんな会話を交わしている二人から少し離れたところで、カラ~ンと音が鳴った。見ると、布都彦が真っ赤になって固まっている。
「どうした、布都彦?」
「ふふふ…、布都彦は初心なんですね。この手の話題には付いていけないと見えます」
「こんなもの…前線では頻繁に交わされる話題だぞ。他の奴らは平然と訓練を続けているのに、君がそんな為体でどうする?」
「ももも…申し訳ありません!」
布都彦は慌てて槍を拾い上げた。
「道臣に大切に守られて来たのでしょう。免疫がないんですよ」
呆れ顔で布都彦を見遣った忍人はというと、悪い兄弟子達の所為で免疫が出来ていたし、軍に入ってからはもっとあからさまな言葉でからかわれることも日常茶飯事だったので、このくらいでは動じなかった。

「忍人……もしかして、話を逸らそうとしてます?」
「何のことだ?」
忍人は白を切ったが、柊はまた本題へと戻る。
「笑ってくれませんか?」
「だから俺は、お前が無能の烙印を押されようが…」
「それはもう良いです」
堂々巡りになりそうな雰囲気に、柊は忍人の言葉を遮った。
「私がどうこうと言うのではなく、我が君の願いであっても聞き入れてもらえませんか?」
縋るような目で、柊は忍人を見つめた。
「我が君の願いを叶える為なら、私は何だって致します。あなたがどんな交換条件を出しても、我が君の不幸に繋がらない限り、何でも言う通りにしますよ。今すぐここで土下座して地べたに額を擦りつけて懇願しろって言われればちゃんとそうしますし、再起不能にならない程度になら何をしてくれても良いですし…」
「では、二度と俺で遊ぶな、と言えばそうするのか?」
忍人が試しに聞いてみると、柊は言葉に詰まった。
「うぅっ…えぇっと…それは……死ね、と言われるに等しいので無理です。この命を失うことは我が君の不幸に繋がりますので……期間限定ではダメですか?3日間とか…」
「話にならないな」
そこで柊が頷いたら、忍人は千尋の前で改めて誓わせる気だったが、これでは問題外だ。話は済んだとばかりに訓練に戻ろうとする。
「お願いします。笑ってください!」
柊はその身長差故に膝を付き、忍人の腰に抱き付いて、今度は泣き落としにかかった。
「鬱陶しい!とっとと失せろ!」
「そんな事言わずに、お願いします~」
「こら、そこっ、気を抜くな!やる気のない奴は失せろ。布都彦、君も、何をぼんやりしている?槍を持って立っているだけなら案山子でも出来るぞ」
縋り付く柊をそのままに忍人は兵達の指導に戻った。そして、千尋の為とあらば形振り構わずここまでやる柊と、それすらも無視を決め込みこんなものを腰に付けたまま平然と兵達に訓練を付ける忍人を見て、布都彦は目を丸くして立ち尽くし、やがて己の未熟さを恥じたように何処かへと駆けて行ったのだった。

-了-

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