お詫び大作戦
「ああ、私は何ということをしてしまったのでしょう…」
    ハッと我に返った柊は、その場に崩れ落ちた。    
    「このことが我が君に知れたら……しかし、黙っていることなど出来ようはずがありません。そもそも、露見するのは時間の問題。ああ、どのようにお詫びすれば良いものか…。正直に申し上げれば我が君にはお許しいただけるやも知れませんが……風早の耳に入れば間違いなく血の雨が降りますね。ここは一つ、先んじて姫の憐憫の情に訴えるのが得策でしょうか。ああ、ですが姫にさえ許していただけなかったら、私はどうすれば…」
    柊が打ちひしがれていると、外で足音や風早の声がして、千尋が部屋に戻って来た。
    途端に、柊はここぞとばかりに血相を変えて千尋に駆け寄った。
    「申し訳ございません!」
    柊は千尋の足元に跪き、その足に縋りついた。
    「どどど…どうしたの、柊!?」
    突然の柊の恐慌に、千尋は狼狽えた。
    「私はとんでもないことをしてしまいました。我が君にはお詫びのしようがございません」
    それだけ言って、柊は泣き伏す。
    「えぇっと……一体、何があったの?」
    千尋が心配そうに問うが、柊は答えない。ただその場で泣き伏している。
    「ねぇ、怒らないから、何があったのか話してみてよ」
    その言葉に柊の肩がピクリと震え、恐々と少しだけ顔が上げられる。
    「本当に怒りませんか?」
    「うん」
    「本当の本当に…?」
    「本当に怒らないよ。だから、正直に言ってご覧よ」
    千尋に優しく促され、柊は事情を話し始めた。
「実は…実家から戻った道臣が、お土産を持って来てくれたんです」
      「へぇ~、道臣さんが…」
      さすがは道臣さんだ、と千尋は思った。
      「庭に杏子が生っていたので、持てるだけ収穫して……日持ちするように、干しながら帰って来たそうです」
      「干し杏子かぁ…食べたことないけど、美味しそうだね」
      千尋は辺りを見回したが、それらしきものは見当たらなかった。
      「それで、そのお土産は何処にあるの?」
      きょろきょろしながら問う千尋の足元で、再び柊が泣き伏した。
      「食べてしまったんです!」
      「えぇっ!?」
      「道臣が持って来た物だから心配ないと思いながらも、我が君のお口に入る物ならば毒見しておかねばと先に一欠片……つい止まらなくなってしまって、気付いたら全部……姫や風早の分もあったはずなのに、本当に何とお詫び申し上げれば良いのやら…」
      このご時世、甘い物は貴重品だ。千尋が望めば手には入るが、それなりの体裁が整えられて供されるので、干し杏子のような素朴な物は反って口に出来ない。だからこその道臣の土産だったのだが、それを柊が全部食べてしまったと言う。元より大した量はなかったのだろうが、これはかなり罪深い行為だった。
      柊が何か言う度に、風早の周りの空気が冷えていく。おかげで、千尋を護衛して来た忍人は、柊を怒鳴りつけるよりも風早の暴走を警戒することを優先せざるを得なかった。
      「もうっ、ダメじゃない、柊ったら…」
      千尋は怒らず、優しく柊の頭を指で弾いた。
      「お怒りにはなられないのですか?」
      「うん。だって怒らないって約束したでしょう」
      僅かに頭を上げて上目遣いに千尋の顔色を窺った柊は、そのにこやかな表情を見て安堵した。そこへ、千尋は笑顔のままで続ける。
      「だからね、柊……縛り首か打ち首か、好きな方を選ばせてあげる。ねぇ、どっちが良い?」
      途端に、柊は周りでブリザードが吹き荒れた気がした。自分は死刑に値する程のことをしたのだろうか。確かに、姫の為でもあった土産を全部勝手に食べてしまったのはとんでもなく罪深いことだが、幾ら何でもそこまでは……否、女王の分まで食べてしまったなら死刑も已む無しか。作戦は失敗したのかと、柊の背を冷たいものが流れ落ちる。
    代わって、風早の周りの空気は辺りと同様の温度にまで回復した。忍人共々、千尋の言葉に目を丸くする。
しばらく様々な沈黙が流れた後、千尋は軽い口調で言った。
 
      「…な~んて、冗談だよ」
      「えっ?」
      「柊がつい全部食べちゃうなんて、よっぽど疲れて甘いものを欲してたんだね。ごめんね、気付いてあげられなくて…」
      「我が君…」
      笑って許して貰えて、優しく頭を撫でられて、柊は千尋の心の広さに感謝の念を捧げた。しかも、今のドッキリで風早の怒りはかなり薄れている。これなら血の雨は降らずに済みそうだ。
      「千尋は柊を甘やかし過ぎですよ」
      「だって、食べちゃたものは仕方ないじゃない?今更、返せとは言えないし…」
      「だったら、代わりを持ってくるまで部屋に入れない、くらいのことを言って叩き出すべきです」
      そうは言っても、そう簡単に代わりが手に入るようなものではなかった。干し杏子を手に入れるにはもう時期が悪いし、同等かそれ以上のものとなれば候補を探すのも難しい。高価なら良いというものでもないのだ。
      すると、呆れたように見ていた忍人が口を挟んだ。
      「代わりがあれば、風早は柊を許してやるのか?」
      「ええ、まぁ……代わりを持って来でもすれば、今回のことは水に流してあげても良いです」
    それを聞いて、忍人は懐から包みを取り出すと、柊に差し出した。
    開けてみると、それは道臣の土産の干し杏子だった。当たり前のことだが、道臣は忍人にも土産を渡していたのだ。千尋や風早の分は柊にまとめて渡しても、忍人や布都彦の分はそれぞれに小分けして配られていた。
    「苦手でも少しはこういうものも食べなさい、と言われて仕方なく目の前で1つだけ食べたが……残りはお前にやる。但し、お前はもう食うんじゃないぞ」
    「助けてくれるんですか?」
    「柊を庇うつもりですか?」
    柊と風早からほぼ同時に発せられた問いに、忍人はまとめて答える。
    「柊が風早に叩き出されようがどうなろうが、俺は一向に構わないどころか寧ろ歓迎したいくらいだ。だが、それでは姫が気落ちするだろう?姫の憂い顔は見たくないからな。これで丸く収まるなら、それで良いことにしよう。この貸しは、機会があったら頭脳か労働で返してもらうことにする」
    代わりがあれば許す、との言質を取られた形となった風早は、それ以上何も言えなかった。柊も、千尋の前で貸しを作られては踏み倒せそうにない。
    「良かったね、柊。忍人さんに感謝して、これからは悪戯ばっかりしてあんまり困らせたりしないように、ちょっとは態度を改めるんだよ」
    絶対に悪戯禁止とか、完全に態度を改めろとか言わない辺りは、千尋は柊をよく理解していると言えよう。だから、柊も素直にその言葉を受け入れることが出来る。
    「はい…我が君。忍人も、ありがとうございます」
    どうやら思った以上に憐憫の情を誘うことが出来たらしく、何とか丸く収まって、柊は心の底から安堵したのだった。    
    
-了-

