疑念と信頼

柊が仲間になってから、千尋は暇さえあれば柊の傍に居るようになった。
それは柊にとっては喜ばしいことであると同時に、不安が募る行為でもあった。そこで、ある日、意を決して訊いてみる。
「姫は私を見張っておられるのでしょうか?」
「そうかも知れないね」
千尋の答えに、柊は胸の痛みを覚える。
「つまり私は、我が君に信じていただけてはいないと言うことなのでしょうか?」
「うん、そうかも知れない」
またしても千尋にそう言われ、柊は心の中で滂沱の涙を流した。
そして頭の中が真っ白になり、気がつけばいつの間にか千尋の姿は消えていた。

「ひっく、ひっく……えぐ、えぐ……あんまりです、我が君に疑われるなんて……私はこれから何を支えに生きて行けばいいのでしょう」
幽鬼のような風体でやって来た柊に、いきなり目の前で泣き出された風早は、驚きながらも幼子をあやすようによしよしと宥める。
「転生する度に竹簡と星の一族の力で既定伝承を手繰り、時には時空を超えて、些末なことから少しずつでも時の巡りを変えようと、これまで私は足掻き続けて来ました。その代償がこれなのでしょうか?我が君の信頼を失くしてまで、得たいものなど何もありません。私の命さえも無用のものです」
打ちひしがれて泣き崩れる柊を見ながら、風早は首を捻った。
「変ですね。柊は絶対に自分に仇成すことはない、どうしても信じられないなら自分ごと斬ってくれ、と千尋は忍人に言い切ったんですよ」
「我が君がそのようなことを…?」
顔を上げた柊は、疑うような眼差しで風早を見た。
「ええ。未だあなたが仲間になって間もない頃のことですけど…。その後も事ある毎に、私は柊を信じるよ、って言ってました。それを今更疑うような言動を取るとは思えませんけど…」
それを聞いて、柊は感動に打ち震えた。
「ああ、何と勿体無いお言葉でしょう。そこまで信じていただけていたとは……この喜びをどのようにお伝えしたら良いものか。否、とても言葉で言い表すことなど出来そうにありません」
「でも、千尋が思ってもいないことを口にするとも思えませんし……一体、何があったんでしょうねぇ」
風早が不思議そうに呟いた途端に、また柊が泣き崩れる。
「あっ、すみません。あなたを非難したわけじゃないんですよ。とにかく、千尋にちゃんと確かめることをお勧めします。何故見張るような真似をして、何を信じられずにいるのかって…」

「姫は私を見張っておられるのですよね?」
「そうかも知れない」
「私を信じてはいただけていないのですよね?」
「そうかも知れない」
前回はここで挫けてしまったが、柊は胸の痛みを必死に堪えて、風早に言われた通り更に問いを重ねた。
「理由をお聞かせ願えますでしょうか?」
すると、千尋は柊の服を掴んで俯いて、震える声で答えた。
「目を離したら、消えてしまいそうで怖いの。こうして触れて、話して、確かに柊はここに居るんだって……幻じゃないんだって確かめないと不安で堪らないの」
その答えに柊は瞠目した。
「あなたは、私の何を御存知なのでしょうか?」
「何も……柊が何を望み、何を成そうとしているのか、本当の意味では何も知らないと思う。何をしていても、まるでそれは通過点みたいな目をしていて、その先に何を見ているのか私には解らない」
千尋は顔を上げると、柊のただ一つの瞳を見つめて問うた。
「あなたはずっと私の傍に居てくれるって、信じてもいいの?」
「勿論です、我が君。私は決してあなたのお傍を離れません。この命ある限り、ずっとお傍に居りますことをお約束致します」
柊は即答したが、千尋はその瞳に宿った翳りを見逃さなかった。
「柊は約束を破らないって信じてる。でも、その命はいつまであるの?」
核心を突かれた柊は、目を逸らしてしまう。
「柊が死んでしまったら……すぐにでも、その約束は永遠に守られてしまうのでしょう?」
「それは…」
さすがの柊も言葉に詰まった。
「消えて欲しくないの。この戦いが終わっても、私が女王になっても、ずっと傍に居て欲しいの。我が儘だってことは解ってる。私の自分勝手な想いであなたを縛り付けようなんて、そんなのいけないことだって…。それでも、消えないように見張って居たい。だから、いつまでも一緒に居られるとは信じられない」
柊に心を寄せたが故に、魂に刻まれた記憶から浮かび上がる、千尋の得も言われぬ不安。
甘い雰囲気など微塵もない、悲痛な声で成された愛の告白。
今の柊には、そのどちらにも正面から向き合うことは出来なかった。
「私も消えたくはありません。ですが、人の身は儚きもの。決してあなたを置いて消えたりしない、とお約束することは出来ません」
柊の服を掴む千尋の手に力が篭る。
「ですから、どうか今はこの約束だけでお許しください」
柊は自分の服を掴む千尋の手を上から包み込むように、そっと手を重ねた。
「私はどんな過酷な運命が待ち受けていようとも、最後の最後まで生きて生きて生き抜くことを誓います」

-了-

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