その手を離さない

「柊…朝だよ、起きて…」
「……もう少しだけ眠らせてください」
柊は、朝が弱い。よって、千尋が何度か声をかけないと、なかなか起き上らないのはいつものことだった。
「だから、少しだけ眠らせてあげたでしょう。そろそろ起きないと、先にご飯食べちゃうよ。それでも良いの?」
「嫌です…我が君の花の顔を拝しながらでなくては、食も進みません」
いつも通りの脅し文句に何とか起きようとした柊だったが、身体を起こしかけてまた倒れ込んだ。
「あれ?」
もう一眠りするつもりかと思って揺り起そうとした千尋は、柊の身体が異様に熱いことに気付く。
「もしかして、物凄い熱があるんじゃないの?」
「そんなことは…」
「あるよ。何でもっと早く言わないの!?」
夕べの柊は遅くまで竹簡を読んでいたからか、自覚症状があって千尋に心配をさせまいとしたのか、とにかく先に休んでいた千尋から少し離れて柊が眠って居た所為で、今朝起きた時には千尋は異変に気付かなかった。言ってくれればもっと早く何か出来たのにと思うと、気怠げなのも起き上れないのもいつものことだと軽く見ていたことが悔やまれる。
千尋は慌てて風早を呼び、その他各方面への手配をてきぱきと行った。
「どうしよう、風早…私が付きっきりで看病したいけど……今日は謁見予定が入っちゃてるし…。夫が熱を出したので謁見はまた今度にしてください、なんて言って延期するのはさすがに無理だよね」
何とかならないものかと真剣に考え込む千尋に、風早は呆れ顔で言った。
「そんなの無理に決まってるじゃありませんか。柊のことは、俺が代わりに看てますから、千尋はちゃんと仕事してください」
「仕方ないな……それじゃあ風早、柊のことよろしくね。必要なら、貴重な薬でも何でも遠慮なく使っていいから……皆にも伝えておくよ」
「姫…」
「なるべく早く切り上げて帰って来るから…待っててね、柊」
苦しそうに見つめる柊に、千尋はそう言い残すと、後ろ髪を引かれるような思いで仕事に向かったのだった。

「ただいま~。お待たせ、柊。謁見はちゃっちゃと終わらせて、机仕事も急ぎの分だけ片っ端から終わらせて来たよ」
戻って来た千尋が上着やら装飾品やらをポイポイと采女に投げながら奥の間に駆け込むと、柊の枕元には先客がいた。
勿論、それが看病しているはずの風早ならば居て当然だし、道臣などが見舞いに訪れていたのであれば何ら驚きはしないのだが、そこに有り得ないだろう人物の影を見て千尋は目を丸くした。
「忍人さん!?何やってんですか、こんなところで…」
「仮病ではないのかと確かめに来たら捕まったんだ」
そう言って忍人が少し掛布をめくると、柊の左手が胸元で忍人の左手をしっかりと掴んでいる。
「ああ、それで、今日の謁見では布都彦が護衛に控えていたんですね?」
大概は忍人が控えているのに布都彦が居て、しかも他でも珍しく姿を見かけなかったので不思議に思っていた千尋だったが、これで謎が解けた。
「これが芝居なら指をへし折ってでも手を放させるのだが、さすがに病人相手にそれは気が引けた」
病人相手じゃなくても指をへし折るのはやめましょうよ、と言いたくなった千尋だったが、普段の柊の態度を考えればそのくらいの気迫が必要だと思えなくもなかった。
それに、口では何と言っていても、忍人が仕事を犠牲にして柊に付いていてくれたことだけは紛うこと無き事実である。仕方なくとは言え、マメに柊の首筋の汗を拭ったり、片手で器用に額のおしぼりを換えたりもしてくれていたらしい。
そこで千尋は、有るべき姿が無いことに気が付く。
「風早はどうしたんですか?」
「ああ、捕まりついでにしばらく看ててください、と言って出て行ったきり戻って来ないんだ。てっきり、薬か何かを貰いに行ったものだとばかり思っていたんだが…」
それが朝議の後から然程経っていない頃のことである。朝議の折に千尋から柊の不調を聞いた忍人は、ここへ確認に来て熱を測ろうと首筋に伸ばした手を掴まれた。今では昼をとっくに過ぎている。しかし風早は一向に戻って来る気配がなく、忍人はずっと捕まりっぱなしで現在に至る。
「もうっ、私の代わりにちゃんと看てるって言ったくせに……無責任だなぁ」
「誰かが看ていれば良いと思ったのだろう」
忍人は一応庇うようなことを言いはしたが、内心では、風早は大切な姫を奪られたことを根に持っているから自分がここに居るのをこれ幸いと役目を放棄したのだと確信していた。
「それより、戻って来たなら代わってくれないか?俺もそろそろ仕事に戻りたい」
「あっ、すみません」
千尋は忍人の手を掴んでいる柊の手を軽く叩いた。
「柊、ただいま。後は、私が付いててあげるから、忍人さんの手を放してあげて…」
「ほら、お前の大好きな姫が戻って来たぞ。いい加減、俺の手など放して……握るなら、姫の手にしろ。その方がお前も幸せだろう?」
しかし、柊は忍人の手を放さなかった。そして、もう一方の手で千尋の手を握る。
「えぇっ、ちょっと、柊……これって、どういうこと!?」
「おい、ふざけるな!」
柊は、右手では千尋の右手を、左手では忍人の左手をしっかりと掴んでいる。
「確かに、握るなら姫の手にしろと言いはしたが……これはおかしいだろう」
「どうしましょうか?」
千尋にそう聞かれても、忍人にも為す術がなかった。
「どうしましょう、と言われても、どうしようもないな。柊の指をへし折ってもよければ、すぐにでも放させるが…」
「ダメです!」
慌てる千尋に、忍人は諦めたように言った。
「ならば、柊が自然に放すか目を覚ますかするまで、このままで居るしかあるまい」
「そうですよね、やっぱり…」
「とりあえず、この椅子は君が使ってくれ」
忍人はそれまで腰かけていた枕元の椅子を、千尋に譲った。しかし、千尋はそれを辞退する。
「あ、いいですよ、そのまま忍人さんが座っててください」
「しかし、疲れるだろう?それに、女王を立たせて俺が座っているという訳には…」
「大丈夫です。私は……ほら、こうして…」
言うなり、千尋は柊の隣に潜り込んだ。そして、反対の手も柊の手に添える。
「ちょっと狭いですけど、こうして一緒に横になっちゃえば疲れませんから……気にしないでください」
椅子がなくても千尋が疲れる心配は無くなったとは言え、別の意味でかなり気になる忍人だった。

柊が目を覚ますと、隣に千尋の寝顔があり、驚いて辺りを見回すと不機嫌そうな忍人と目が合った。
「やっと起きたか…」
「どうして忍人が居るんですか?」
見るからに不機嫌そうだったのが、どこか安堵した様子に変わった忍人に、柊は戸惑いが隠せなかった。常ならば、ここで事態を察知して意図的に忍人を怒らせるような物言いをするのだが、今は頭が回らない。
あまりにも率直に問いかける柊にこちらも驚きながら、忍人は静かに左手を持ち上げた。
「ああ…」
その手をしっかり握りしめている柊の手も一緒に持ち上がり、やっと柊は忍人が居る理由の一端を理解した。
「おかげで、良い夢を見た気がします」
「それは俺ではなく陛下のおかげだろう」
忍人は、柊の隣でぐっすり眠っている千尋とその右手を指し示した。
「我が君…」
柊は感無量といった様子で、千尋の手を押し頂く。
「私は幸せ者ですね。こうして、世界で一番大切な姫と世界で二番目に好きな忍人に手を握って居て貰えたのですから…」
「俺は迷惑だ。第一、お前の手を握った覚えはない。お前が勝手に掴んで放さなかっただけだ」
「ですが、こうしてずっと私に掴まれていてくれたのでしょう?姫には無理でも、あなたなら簡単に解けたはずですのに…」
「そ、それは……病人の指をへし折るのは気が引けたからだ」
「照れなくてもいいんですよ。そんなことしなくても引き抜くことくらい出来るのは解ってます」
図星を付かれた忍人は、ボソッと告白する。
「昔、俺も熱を出して寝込んだ時、誰かの手を握ったら安心して良く眠れた覚えがあるから…」
苦しくて、心細くて、荒く熱い息を吐き出しながら臥せっていた時、枕元にやって来た誰かが忍人の首に手を伸ばした。首を絞められる恐怖に襲われながらも満足に動けず僅かに身を縮めることしか出来なかったが、その手は忍人の首に掌ではなく甲を向けて伸ばされ、指先で首筋に触れて来た。ヒンヤリとして気持ち良くて、それが離れて行く時、思わず忍人はその手を掴んでしまった。自分でも驚くくらい素早く動いた手は、そのままその手を握り締め、それからぐっすりと眠った忍人は回復に向かった。
「多分、道臣か風早が熱を測ろうとしたのだと思う」
「…それは私です、とか言ったらどうします?」
途端に忍人は顔色を変えた。
「今すぐ、悪夢として記憶を葬らせてもらう!」
「違いますから、良い思い出としてしまっておいてください」
あからさまにホッとした顔の忍人に、柊は心の中で「本当は私だったんですけどね」と呟いた。柊にとっても、普段は全く懐かない忍人が珍しく自分から手を伸ばしてくれた貴重な記憶だ。葬られたくはない。勘違いでも良いから覚えていて欲しい。そのおかげで今日の幸せがあったのなら、尚更だ。
「また私が熱を出したら、こうして手を握ってくれますか?」
「それは陛下に言え」
忍人は先程の柊の言葉通りあっさりと左手を引き抜くと、出て行ってしまった。
その足音を聞きながら、柊は隣で眠る千尋の顔を覗き込む。
「ふふふ…私は本当に幸せ者です。あなたはこうして隣に居て下さるし、忍人はあんな風に言いながらも私に構ってくれる。どちらの手も離さずに居られるなんて……これは熱が見せる幻覚などではありませんよね?」
その問いに応えるように、千尋の手に力が篭る。そんな風に無意識に答えをくれた千尋の行為を現実の証として、柊は再び安心して眠りに落ちていった。

-了-

《あとがき》

熱を出した柊は、ここぞとばかりに千尋と忍人さんに甘えています。
病人相手なので、忍人さんもあんまり強くは出られません。また、何だかんだ言って、柊を見捨てられません。
千尋相手より忍人さん相手の方が饒舌な柊の所為で、柊千小話でありながら柊忍ムードがかなり漂ってしまいました(-_-;)

それにしても、逃亡した風早は何処へ…?それは、ご想像にお任せします(^_^;)

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