甘いもの

先触れもなくいきなり黒麒麟に乗って橿原宮に降り立った常世の皇に、辺りは騒然となった。だが、そんなことに構わず、アシュヴィンは風早を見つけて駆け寄る。そして開口一番こう言った。
「"ぷりん"とはどんな食べ物だ?」
それだけで、その場に居合わせた人々は事情の半分が、風早は大半が理解出来たのだった。

事の起こりは、千尋が風邪をひいたことだった。
こちらの世界でも、否、むしろこちらの世界の方が風邪は厄介だった。特効薬は勿論のこと抗生物質もなく、今ではお抱え薬師と化している遠夜による薬湯で症状を和らげるだけで手いっぱい。治すのは本人の抵抗力頼みである。
千尋の風邪はかなり質が悪かったらしく、アシュヴィンにまで感染ってしまったくらいだった。
アシュヴィンでさえ数日寝込むような風邪にやられていた千尋は、彼が治っても未だ起き上れずにいた。
「何だ、また少ししか食べていないのか。少々無理をしてでも食わねば、治るものも治らないだろう」
「だって、喉を通らないんだもん」
そんな会話が幾度か交わされた後、アシュヴィンは千尋に問うた。
「ならば、どんなものなら食べられそうだ?食べたいものがあるなら言ってみろ」
そう言われて、千尋はつい言ってしまったのだ。
「…プリン」
聞いたことのない言葉にアシュヴィンは首を捻ったが、恐らく向こうの世界の食べ物だろうと見当をつけた。そして、風早に聞けば正体が解るだろうとは思ったが、それが必ず入手できる物とは限らないので、更に問いを重ねてみる。
「他には何かあるか?」
そして千尋の答えを聞いて、アシュヴィンは黒麒麟を駆ったのだった。

「他には、"あいすくりいむ"、"めろん"、"ももかん"だそうだ」
千尋の口から出た食べ物は、全てアシュヴィンには聞き覚えのないものだった。
話を聞いた風早は、よくぞそれだけの意味不明な単語を正確に覚えて来られたものだ、とアシュヴィンに感心した。と同時に、そんなものばかり並べ立てた千尋のことを思って、ちょっとだけ己の教育に自信を無くしかけた。恐らく、"プリン"と言った際に箍が外れてしまったのだろうが、それにしても無理難題を口にしてくれたものだ。
些か頭痛を感じながら、風早は全て異世界の食べ物だと言った後、説明しやすいものから順に話し始めた。

「まず"めろん"ですけど…これは果物の一つです。但し、こちらの世界にはありません」
「ないのか…?」
「はい。ですから、忘れてください。元々、千尋もそんなに好きじゃありませんし…」
「好きでもないのに食べたがるのか?」
「ええ、まぁ…」
風早は歯切れ悪く理由を語る。
「向こうの世界では高級品だったので、見舞いか祝いで貰うくらいしか食べられる機会がなかったんです。それで、何か食べたいものは、と聞かれると、とりあえず要望してみる癖がついてしまって…」

「次に、"ももかん"ですけど…これは、桃の切り身の糖蜜漬のことです。食べる前によく冷やしておくことが大切です」
「ふむ、それなら用意出来そうだな」
民には手の届かない糖蜜も、アシュヴィンなら容易に入手出来る。問題は漬け込む時間が掛かることと、どのくらい漬け込めばいいのか解らないことくらいだが、研究させればいつかまた千尋が食べたがった時には用意出来るようになるだろう。
「向こうの世界では、風邪をひいた時に食べる物の定番です。こちらはそんなに高級でもなかったので、買い置きしておいて、風邪をひいた時にはよく食べていました」
「なるほど、正にこんな時の為の食べ物という訳か」
「ええ。但し、これも千尋は、好きか嫌いかと問われれば好きだと答える程度のものです。やはり、本当に食べたがったのはアイスクリームとプリンですね」

風早はアイスクリームについては、あまり詳しくなかった。
牛乳と砂糖と卵を混ぜて、空気を含ませながら冷やし固める、という程度の知識しかなく、材料の配合は解らない。
それでも、とりあえずアシュヴィンは解る範囲での説明を求めた。
「よく解らんが、千尋の好物なら、作れないか検討してみよう。元気になったら、本人に手伝わせるのも良いかも知れん」
「ははは…千尋、喜びますよ、きっと」
多分、味見の役にしか立たないでしょうけど…と風早は苦笑した。だが、この場合、多分それが一番重要な役目だろう。何しろ、正しいアイスクリームの味を知っている者は千尋・風早・那岐の3人だけだ。

「それで、肝心の"ぷりん"ですけど…」
これが最重要課題だった。何しろ千尋の大好物だ。
プリンなら、風早も何度か作ったことがあった。材料の配合や調理時間も解っている。但し、あくまでも向こうの世界での話だ。ここにはオーブンも電子レンジも冷蔵庫もない。
「材料は牛乳と卵、甘みを付けるのは蜂蜜がいいかな、滋養に効くし…」
「確かに、それは滋養がありそうだな」
「ああ、そう言えば、天鳥船で以前カリガネが”はちみつぷりん”を作ったことがありました。彼に聞けば、作り方も解ると思います。向こうの世界で食べていたのとは少し違っていましたが、千尋も気に入ってたから問題ないと思いますよ」
「そうか、それは良いことを聞いた」
アシュヴィンはすぐさま黒麒麟を駆ると、何処かへと飛び去った。

全力で情報を集め、サザキの船を発見したアシュヴィンは、甲板にカリガネの姿を見止めるとその傍らに降り立った。
「しばらく借りるぞ」
そう言ってカリガネを捕まえて常世に戻ろうとするが、さすがにサザキが止めに入る。
「わわわっ、ちょっと待て!」
サザキは慌ててカリガネの腕を掴んだ。
「勝手に借りるな」
「だから、今断っただろう?」
サザキとアシュヴィンの間で、カリガネは黙って腕を引き合われる。 そこで初めてアシュヴィンはカリガネに向って言った。
「千尋の為に“はちみつぷりん”を作ってもらいたい。その他、千尋が好む物も幾つか作って、うちの料理番に作り方を伝授してやってくれ。礼ははずむ」
「…解った」
カリガネは頷いて、サザキの腕を振り払った。すると、サザキが追い縋る。
「待て待て、解ったじゃねぇよ。お前が居なくなったら、オレらの飯はどうなる?」
「…あるものを食っていろ」
サザキをあっさり切り捨てて、カリガネはアシュヴィンと共に常世へ向かった。千尋の為になって謝礼も貰えるとなれば、何日かサザキを飢えさせるくらい大したことではない。何でもかんでも頼りっぱなしのサザキには、たまにはいい薬だと思うカリガネであった。
おかげで千尋は、好きな時にプリンとアイスクリームと桃の糖蜜漬を食べられる生活を手に入れたのだった。

-了-

《あとがき》

千尋の要望に応えるために奔走したアシュヴィンでしたが、本当に苦労したのは風早とリブとサザキでしょう(^_^;)
アシュヴィンに解るように洋菓子の説明をする風早。
また聞きの状態で、アイスクリーマーの開発をさせられるリブ。
カリガネに見捨てられたサザキ。

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