遠夜

「神子の望み…教えて…」
「私の望み?」
千尋は口にするかどうかを少し躊躇った後、思い切って言った。
「私の望みは……狭井君が失脚することかな?」
「失脚……?」
不思議そうにする遠夜に、千尋は堰が切れたように言い募った。
「ホント邪魔なんだ、あの狸ババァ!自分の息が掛かった人間を重用して、まとめ上げて、遠夜との結婚にも猛反対してくれちゃってさぁ。何度殺しても飽き足らないところだけど、どう頑張っても殺せるのは1回だし、どうせなら息の掛かった連中もまとめて片付けられるように失脚してくれた方が有り難いんだよね」
そうは言うものの、海千山千の狸ババァが千尋のような俄仕立ての女王にそう簡単に尻尾を掴ませるはずもなく、それどころか千尋は自分が足下を掬われないようにするだけで手一杯だった。余計な敵を増やさないように、狭井君と表立って盛大に対立することのないように我慢を重ねている。
おかげでストレスは溜まりまくりだ。暢気な風早を相手に愚痴をこぼしまくって、これまでどうにか耐えて来た。
「でも、そろそろ我慢も限界っぽくなって来たし、狸ババァだけでも始末しちゃいたいなぁ。ボヤボヤしてたら、遠夜が抹殺されちゃうかも知れないし……」
「……忍人も同じこと言った」
遠夜が漏らした呟きに、千尋は驚いた。
他の人ならともかく、忍人が狭井君に殺意を抱いているとは思わなかったのだ。しかもそれを口外するなど、忍人らしくない。
「本当に忍人さんがそんなこと言ったの!?」
勢い込む千尋に、遠夜はコクリと頷いて淡々と答えた。
「オレを目障りだと思う者は多い…。気をつけないと……いつ抹殺されるかも知れない…」
「あっ、何だ、そっちか」
狭井君のことではなく、忍人が語ったのは遠夜抹殺についての方だったと聞いて、千尋は合点がいった。

戦後、千尋の傍を離れたくなかった遠夜は、土蜘蛛から人に変化したこともあって森ではなく樫原宮で暮らすようになった。
しかし、相応の身分どころか身元すら怪しい身では、千尋の傍に居ることなど到底叶わなかった。
そこをどうにか、忍人の客分ということにしてもらって、外苑に居付くことが許されたのだ。
忍人は千尋の息抜きの護衛と称して遠夜との逢い引きを手伝ってくれたばかりか、今日に至るまで、人の性をよく知らない遠夜に樫原宮での生活で注意すべきことをいろいろと説いて聞かせていた。
「権力を欲する者にとって、女王の想い人である君はかなり目障りな存在だ。君を抹殺しようとする者は数知れない。俺の客ということで直接手を下そうとする者はそう居ないと思うが、罠にはめられるということもある。出歩く時は信用のおける者と同行するようにして、くれぐれも一人歩きはしないでくれ」
それ以来、遠夜は出来るだけ忍人の後を付いて回り、それが出来ない時は狗奴達と一緒に居たり、風早の元に預けられるようになった。千尋と逢引中の今も、離れたところで忍人達が辺りに目を光らせている。
「君の命を狙う者が居ても、決して自分からは手を出すな。相手が先に手を出したところを出来るだけ多くの人間に見せつけてから、返り討ちにするんだ。それも、可能な限り生け捕りにしろ。その方が千尋の為になる」
「神子の為になる…?」
首を傾げる遠夜に、忍人は力強く頷いて見せた。そして、声を潜めて言ったのだった。
「それと……これは、あまり勧められたことではないのだが……どうしても誰かを暗殺しなければならなくなった時は、絶対に他殺と解らないようにしてくれ。変死体が出たら、おそらく君が真っ先に疑われる」

「そうなんだよねぇ。隙あらば、悪いことは全部遠夜の所為にしようって魂胆が見え見えって言うか、もう周り中が敵だらけって感じで……」
遠夜から忍人の話を聞いて、千尋は嘆息した。
「やっぱり、あの狸はさっさと消しといた方がよさそうね」
求婚希望者達に遠夜のことを吹き込んだのは多分のこと、旧体制派をまとめているのは間違いなく狭井君だ。
そもそも狭井君さえ居なければ、殆どの族は女王に対する発言力は格段に弱まるはず。
うら若き乙女の身で軍を率いて千尋が戦っている時、彼らは一体何をしていたのか。兵を出すでもなく、物資を提供するでもなく、私財を抱えて隠れていた者が殆どだ。功があると言えるのは、総領息子が華々しく活躍した葛城と、筑紫で常世の国への叛徒を率いていた道臣を支援し続けた大伴だけである。布都彦も充分すぎるほど頑張ったが、吉備が羽張彦の一件で失墜した名誉を挽回するには至らなかった。
中つ国を取り戻す戦いに貢献した上に元々が大きな族である葛城と大伴、この2つが女王への縁談申し入れについて態度を濁しているおかげで今のところ他の族も大人しくしているが、いつまでもこのままでは済まないだろう。
「神子が望むなら…いつでも毒を作る」
「それって、誰が見ても自然死に見える?」
千尋の問いに、遠夜はコクリと頷く。しかし、その後で困ったような顔をする。
「作るのは簡単…。使うのが難しい…」
「そうだよねぇ。どうやって飲ませたらいいんだろう?」
考え込む千尋に、遠夜は今度は首を横に振る。
「飲ませなくて良い…。針に付けて…使うものだから……」
「毒針かぁ。それは確かに、扱いが難しいね」
千尋が使おうとしたら、十中八九うっかり自分の手を傷つけるに違いない。遠夜も今は神出鬼没の土蜘蛛の技を使えないので、実行は難しいだろう。ここは一つ、柊が戻って来たら相談してみるのが得策か。
そこまで考えて、千尋はふと思った。こういうことに不慣れな千尋や純粋で人の性をあまり知らない遠夜があれこれ考えるよりも、柊に任せた方が良いのではないだろうか?
「よしっ、狸退治は柊に頼んじゃいましょう!だから遠夜、私の望みは変更ね。新しい望みは、遠夜と過ごす時間を楽しむことだよ」
「神子といる時間は…オレも楽しい。神子も楽しんでくれるなら……とても嬉しい…」
こうして面倒ごとは全て柊に丸投げすることを決めた千尋は、以後はすっきりとした顔で遠夜との短い逢瀬を楽しんだのだった。

-了-

《あとがき》

狭井君を抹殺したくなる組み合わせをとりあえず全員書き終えて肩の荷が下りたLUNAです。
アシュヴィンとは政略結婚済みだし、サザキとは駆け落ちしてるので抹殺不要。
忍人さんは狭井君を生かしたままでも結ばれることが可能だと思っています。
それにしても、遠夜は全然動いてくれないので苦労しました。
好きなんだけど……可愛くて純粋で癒されるんだけど……動かしにくかったです~p(>_<)q

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