風早

視察先から男を拾って帰って来た二ノ姫に、皆は一様に良い顔はしなかった。
それでも姉と羽張彦が味方してくれたので、どうにか風早を城に入れる事は出来たが、2人の前途には暗雲が立ちこめていた。
「ここでも最大の障壁は狭井君ですか」
「ホント、あのババァ、ムカつくったらありゃしない」
今日も狭井君からネチネチと説教を喰らった千尋は、風早の部屋でお茶を飲みながら愚痴をこぼしていた。
「あの頃も、俺は殺されかけましたしね。今なら、もっと簡単なんじゃないかな」
当時は正式に二ノ姫付きの侍従だった。しかし、今は岩長姫の新弟子だと言うだけの出自の知れぬ単なる剣士に過ぎない。
「もうっ、人ごとみたいに言って…」
「でも、気に食わない相手を暗殺するなんて、あの人に取ってはお手の物でしょう?」
俺もそう簡単に殺されるつもりはありませんし、龍神の温情だったのか人間の使う毒や呪詛は効かない身体になってるみたいですけど、と風早は笑っている。
「笑い事じゃないんだったら!」
千尋は風早の緊張感のなさに呆れたが、こういうところも含めて大好きなのだと思い直す。

「あ~あ、人の恋路を邪魔するババァは馬に蹴られて死んじゃえば良いのに…」
「はは…、二ノ姫が望むなら喜んで蹴飛ばしに行きたいところですけど、俺はもう麒麟の姿には戻れませんからね。今度、柊に暗器の使い方でも教えてもらいましょうか」
その言葉に、千尋は不満そうな顔をした。
「あれ、もしかして二ノ姫は俺に麒麟でいて欲しかったんですか?」
「違うよ、風早は人間で良いの。そりゃ、白麒麟も好きだったけど、私が愛してるのは風早なんだから」
風早の勘違いに、千尋はむくれた。
「そうじゃなくて…。二ノ姫なんて呼ばないで、千尋って呼んで」
「でも、その名前は向こうの世界で暮らす為に付けた便宜上のもので、今は存在しない名前でしょう?」
「ちゃんと存在してるの!」
千尋は卓子をダンッと叩いて抗議した。
「芦原千尋って、風早がくれた特別な名前なんだよ。今では、風早と私だけの大切な名前だよ。だから、二人きりの時はその名前で呼んでよ。再会した時にはちゃんと呼んでくれてたでしょう!」
千尋にそう言われて、風早は天にも昇る心地だった。麒麟の姿で天を駈けた時よりも、はるかに高みへと昇る思いだ。

この世界の千尋と会ったあの時、遠くからでも千尋の笑う姿を見られればそれだけで幸せだ、などと考えていたはずが、いざ顔を見れば気持ちが揺らいだ。
ところが何と、千尋は神に消されたはずの記憶を思い出し、風早を追いかけて連れ帰ってくれたのだ。それだけでも、風早は神に逆らってまで想いを貫いた苦労が報われた気がしていた。
その上、千尋はこうして「愛してる」と言ってくれる。想像以上の幸せに、もういつ死んでも悔いはないが千尋を不幸にするような死に方だけはするまい、と思っていた。
それなのに千尋は、更なる幸福をもたらしてくれようと言うのか。風早が付けた名前を特別だと、大切だと、だからその名で呼べと…。

「千尋、あなたは一体、どれだけ俺を幸せにしたら気が済むんですか?」
泣きそうになりながら名前を呼ぶ風早に、千尋はあっさりと言い放つ。
「多分、どれだけ幸せにしても気は済まないと思うよ」
そして、ニッコリ笑いながら自慢げに続ける。
「だって、私、欲張りだもん。それこそ、世界も風早も守りたくて、神様相手に矢の雨を降らせるくらいにね」
「はは…、確かにそうですね」
狸ババァもそれで片付けられれば楽なのに、と千尋が思っているであろうことは想像に難くなかったが、風早は笑ってそれを受け流した。大切なのは、今のこの世界だ。
あの時、千尋が諦めなかったからこそ、今がある。
例え龍神が相手でも、弓を引く事を躊躇わぬ強さ。その背景にあったのは、守りたい者達を何としても守り抜くという覚悟と想い。それが、龍神に人間を認めさせたのだ。
「こんな欲張りな私は嫌い?」
悪戯っぽく微笑んで問う千尋を、風早はそっと抱きしめて耳元に囁いた。
「いいえ、それでこそ俺の千尋です」
その腕の中に居るのは、ずっと風早が守り続けた少女に他ならない。
歴史が何度繰り返されても、いつも怪我をした白麒麟を助け、他人の為に涙を流し、傷つきながらも前へ進む。龍神さえ認める魂の輝きを放つ。
龍神の力で時が巻き戻され、例え歴史が塗り替えられても、千尋は風早が育て上げた唯一人の大切な姫だ。
「俺がお育てした姫に間違いはありません」

-了-

《あとがき》

初回プレイの途中で風早の正体に薄々気づいて、黒龍の呪詛を受ける姿ではっきり解ってから、狭井君を蹴飛ばしに行って来て欲しいと思い続けていたLUNAです。
残念ながら風早の書EDでは風早が人間になってしまったので、創作の中でも蹴飛ばしに行ってもらえませんでした。
他の人との恋愛道中でも風早は千尋を溺愛してるので、そこで蹴飛ばしに行って来てもらえたらと思ってます。

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