And that's all ...?

「離して下さい!」
人込みの中から聞こえて来た少女の声に、アリオスは足を止めて振り返った。
声のした方を見遣ると頭の軽そうな少年達に腕を掴まれている茶色い髪の少女の姿があった。
「そんな大声出すことないだろ。ちょっとお茶しようって言ってるだけだぜ。」
少女が大声を出したことに驚いて一度手を離したものの、辺りの人々が横目でチラリと見咎めるような素振りをする程度で誰も止めようとはせずに通り過ぎて行くのを見て、少年は再び少女の腕を掴んで引っ張る。
「あんた、随分ここで立ちっぱなしじゃん。彼氏にデートすっぽかされたんだろう?俺が代わりに付き合ってやるからさ。」
こんなところでずっと立っていたら、そう思われて当然だろう。少年は単なるナンパのようだが、下手をするともっとたちの悪い輩に問答無用で勾引される恐れさえある。関わりあいになって面倒に巻き込まれるのは御免だと誰もが素通りして行くので、そう言う輩は増える一方だ。
アリオスも面倒は御免だった。決して彼等の反撃は怖くはないが、他人の頭の上の蠅まで払ってやる義理などない。いちいち関わりあってたら堪らない。しかし、この時は何故か身体が勝手に動いていた。
「待たせたな。」
少女に向かってそう声を掛けながらアリオスは両者の間に割って入り、少女を守るように引き寄せながらその腕を掴む手を払い落とした。
「何だ、てめぇ?」
「えっ、あの、人違いじゃ…?」
邪魔をされた少年と、訳が解らないと言った顔の少女の両方から誰何されたアリオスは、少女に向かっておどけ風に応える。
「おい、拗ねるなよ。遅れたのは悪かったって…。そんな知らん顔しないで、機嫌直してくれ、なっ?」
後半は甘く囁くようにされて、少女はドキッとして固まった。そこですかさず、アリオスは少年を睨み付ける。
「チッ。」
彼氏が来たんじゃ仕方ないと思ったのか、アリオスの凄みに気押されたのか、とにかく少年は罰の悪そうな顔で人込みに逃げ込むようにして立ち去った。
あっさり片がついてアリオスは拍子抜けしながら少女を解放して声を掛ける。
「大丈夫か?」
「は、はい、大丈夫ですけど…。」
「けど…、何だ?」
ぽやぽやした声で語尾を濁されて、アリオスが訝し気に問い返すと、少女は真面目な顔で続けた。
「あの、本当に私、あなたのこと知らないんです。どなたかとお間違いじゃないでしょうか?」
少女は申し訳無さそうにしながら、真剣に記憶を辿ってるよ様子だった。その態度にアリオスは咽奥でクッと笑う。
「ああ?別に間違えちゃいないぜ。俺もお前のこと知らねぇからな。」
「はぁ?」
まだ状況が飲み込めない少女に、アリオスは呆れながらも説明してやることにした。
「ああいう輩を追っ払うには、待ち合わせ相手に成り済ますのが手っ取り早いんだ。」
「そういうものなんですか?」
「そういうもんだ。まぁ、中には「そんな奴より俺と付き合え」ってしつこい手合いもいるけどな。」
「えっ、そうしたらどうするんですか?」
アリオスが軽く付け加えた言葉に、少女は真剣に食い付いてくる。
「そりゃ、力づくで追っ払うとか…。」
言いかけて、アリオスは悪戯っ子のような表情を浮かべて問い返した。
「そんな奴より俺と付き合う方が良いと思わねえか?」
少女はキョトンとしてアリオスの顔をマジマジと見た。そして、しばしの間の後、真面目な顔で言った。
「そうですね。」
てっきり相手が笑うと思っていたアリオスは、この反応に目を丸くした。それから、ついっと目を反らす。
「マジで返すなよ。」
アリオスは自身がそんじょそこらの奴など比べ物にならないいい男であることは自負しているが、こうも真顔で肯定されるとさすがに照れる。こういう場合、相手が笑ったり頬を染めたりしてこそポーズを決めていられるというものだ。
しかし、少女の方はアリオスの動揺にも呟きにも気付いていないようだった。
しばらく互いが沈黙したままの時が流れた後、少女は思い出したようにアリオスに礼を述べた。どうやら本人は至って大真面目らしい。
そんな少女に興味を覚えたアリオスは、この面白くて危なっかしい少女をこのままにしては立ち去り難く思えて、人待ち顔の彼女の隣で軽く壁に背を預けたのだった。

「あの…。」
しばらくして、少女が意を決したように口を開いた。
「ん?」
アリオスが僅かに少女の方へと顔を向けると、少女は小さな声で問いかける。
「待ち合わせ、ですか?」
その場を離れないアリオスに少女が疑問を感じるのは当然だろう。こういう場所に突っ立っている理由として真っ先に思いつくのは待ち合わせだろうが、アリオスにこういう場所でのそれは似合わない。ただ居合わせただけの他人なら頭の中で想像を巡らせるだけで済ませるのだろうが、助けてもらって幾らか言葉を交わした相手となれば、思い切って聞いてみようという気になってもふしぎではない。
そんな少女の心情をいろいろ推察しながら、アリオスは返答した。
「否。お前は待ち合わせか?」
簡単に否定してから、聞くまでもないだろうと思いつつ問い返すと、意外な答えが返って来た。
「えぇ、まぁ、そんなようなものと言うか、ちょっと違うんですけど…。」
その奇妙な答えに、アリオスの好奇心が刺激される。
「どう違うんだ?何か、えらく長いこと立ってたみてぇだが…。」
こんな危なっかしい奴をこんな場所で長々と待たせておくのはどんな莫迦者なんだろう、と思っていたアリオスは、少女の説明に目を丸くした。
見た目からは想像出来ないほど要領よく為された話によると、少女自身が誰かと待ち合わせをしていたのではなく、誰かと待ち合わせをしていたはずの相手を待っていたのだということだった。
事の起こりは、数日前に入っていた間違い電話の留守電だった。
「ああ、もしもし、俺だけど…。今度の休み、3時に"パルタ"正面な。」
メッセージはこれだけだったらしい。
「それで、ここでその留守電の関係者らしき奴を待ってたのか?」
アリオスの反応に少女はコクリと頷いて見せた。
そんなもの無視すりゃいいじゃねぇか。間違う奴が悪いんだし、確認取れなきゃ連絡し直してるだろう。しかも、時間は既に16時を回っている。もし本当に留守電の主がここで待ちぼうけを喰らっていたとしてもとっくに何らかの手を打っているだろう。そもそも、その3時が15時のこととは限らない。早朝からどこかへ繰り出すために朝の3時に待ち合わせていたという可能性だってある。問題の"パルタ"だってこの店舗じゃないかも知れない。そもそも、今度の休みが直近の日曜日でないということもあり得る。
そう言ってやりたかったが、アリオスは呆れながらも少女を責めるような物言いは慎んだ。
「これだけ待ってやったんだから、もう充分過ぎるほど義理は果たしたんじゃねぇか?」
「そうでしょうか…?」
沈んだ顔で問い返す少女に、アリオスはしっかりと頷いて見せた。
「ああ。きっと、そいつらはちゃんと会えたさ。」
「会えたでしょうか…?」
「ああ、絶対会えた!」
力強く言い放つアリオスに、少女は笑顔で頷いた。
安心したように帰って行く少女に、アリオスは急いで名刺を取り出して少女の手に握らせた。
「俺の連絡先だ。」
「えっ?」
「こういうことするとナンパみてぇだが、放っておくとまた今日みたいなことに巻き込まれそうだからな。何か困ったことがあったら遠慮なく電話しろ。」
慣れない行為にアリオスはばつの悪さを覚え、少女は一瞬キョトンとした。それからにっこりと微笑んで礼を言って去って行く少女の後ろ姿をしばらく見送って、アリオスは安堵と微かな不安を覚えながら、その場を後にしたのだった。

それから1ヶ月近くが過ぎた。
アリオスは、時々あのお人好しの少女のことを思い出しては溜息をついていた。
連絡がないのは困っていない証拠、と思いたい。しかし、あんな形で渡した名刺など捨てられてしまったかも知れない。否、間違い電話にあそこまでする律儀な性格からして大切に保管はしてるかも知れないが、ただ保管してるに過ぎないのではないか。困ったことがあっても、遠慮して掛けて来ないような気がする。
こんなことなら彼女の連絡先も聞いておくべきだったか、と思い返しても後のまつりである。それこそナンパみたいだし、反って警戒させてしまうだけのような気がして、もしも過去をやり直せたとしてもやっぱりアリオスは同じ行動を取るだろう。
せめて無事な顔が見られれば良いのだが、あれから彼女の姿は見られなかった。アリオスは外を出歩く度に彼女の姿を探してみるが、あの辺りはアリオスにとっては近所でも彼女の普段の行動圏内ではないらしい。
あまりにも気になるので、女性の情報なら隣接都市まで網羅している知人に尋ねてみようかとも考えたが、借りは作りたくなかったし万一にも彼女が奴の毒牙に掛かったら大変だと思って踏みとどまった。あの少女はオスカーから見ればまだ幼いとは思うが、アリオスの興味を惹いてることで悪戯心でも起こされては始末に負えない。
そんな悶々とした日々を過ごしていたある日、電話が鳴った。
「はい、スタジオA…。」
アリオスが電話の向こうの雰囲気がいつもとは違うことを訝しんでいると、受話器から消え入りそうなあの少女の声が聞こえて来た。
「あの…。」
アリオスは受話器を握りしめて叫ぶように言った。
「今、何処にいるっ!?」
「は、はいっ、"パルタ"前です!」
「すぐ行く!」
弾かれたように応えた彼女に有無を言わさず電話を切ると、アリオスは外へと飛び出した。そのまま道行く人々を蹴散らすような全力疾走で"パルタ"の正面まで走る。すると、そこには携帯電話を呆然と眺めながら立ち尽くしている少女の姿があった。
駆けつけるなり少女を抱きしめてしまったアリオスは、しばらくして遠慮がちに声をかけられてハッとして身を離した。
「あっ、悪ぃ、つい…。」
「いえ…。」
両者の間にしばしの沈黙の時が流れる。
先に気を取り直したのはアリオスだった。
「それで、その、何か困ってんのか?」
これまで電話して来なかった少女が、今になって連絡して来たということは、それなりに相当困ったことがあるのだろう、とアリオスは考えた。その推察通り、少女はかなり思い詰めたような顔で頷いた。
「どうしても、堪えられなくて…。」
少女はそう言うと、腹の辺りで組み合わせた手に力を込めてグッと顔を上げた。
「あれからずっと貴方のことばかり考えてしまって、会いたくて会いたくて…。迷惑だとは思ったけど、でもやっぱり我慢出来なくて…。」
1ヶ月間溜め込まれたと思しき言葉を連ねて行く少女に、アリオスは再び手を伸ばした。
「お前、名前は?」
「…アンジェリーク・コレット。」
「それじゃ、アンジェ。これからは我慢なんかしないで会いに来い。困ってなくても電話しろ。俺はいつでも待ってるから。」
「いいの?」
「ああ。やっと捕まえた天使を手放すような真似なんざ出来やしねぇよ。」
往来であることを忘れて、暖かな包容はしばらく続いた。
それから2人はゆっくりと落ち着ける場所へと姿の消したのだった。

-了-

《あとがき》
「that's all」を辞書で調べると「それで終わり」「それだけのこと」と載っていました。
締めくくりのお題なのでコンプリート時にアップしたいなぁと思ってましたが、そうは行きませんでした。でも、最終的にコンプリート出来た時にはアップ順なんて関係ないですよね?(^^;)
内容は「それだけのこと」の方の意味を重視しています。と言うより、関係なく書き始めて、タイトル考える時にこのお題に合いそうなので、これを選びました。
恋に落ちるきっかけは傍から見れば「それだけのこと」かも知れません。
留守電の一件も「それだけのこと」でどうしてそんなに頑張るのかと呆れられるようなことを、アンジェは真剣にやってます。
そして、ただ会いたいという気持ちを我慢して我慢してついに電話を掛けたアンジェと、電話があっただけですっ飛んで行くアリオス。やっぱり傍目には「それだけのこと」かも知れないけど、当人達には文字通り「それがすべて」なんですね☆

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