迷い子

アリオスは違和感を感じて目を覚ました。起き上がってみると、自分の横に茶色い頭の小さな子供が眠っている。
「どういうことだ?」
昨夜は、女王の仕事を終えたアンジェが週末を朝からアリオスと一緒に過ごすために泊まりに来た。その時に親戚の子供を連れてきたなどということもなく一人でだ。
アルカディアの事件後、この聖地へやって来て自由気ままに過ごしているアリオスだが、アンジェ以外を全く信用していない為この家のセキュリティは万全である。第一、そんなものがなくてもアリオスは誰かが侵入すれば気付く。だが、現実にこの子はアリオスに気付かれずにベットにまで潜り込んだのだった。
アリオスが考え込んでいると、布団をはがれた少女は小さくくしゃみをした。改めてアリオスが目をやると、少女は何も着ていなかった。おそらく、布団がかかっている下半身もそうなのだろう。
アリオスは慌てて布団を被せると、何はさておき少女が着られそうなものを探しに起き出した。
シーツで布おむつを作って唯一身に付けていたレースのパンティーと取り替え、残りのシーツを身体に巻き付けるようにして取りあえず少女に身支度をさせると、アリオスはアンジェを起こしに客間へと向かった。
ノックをしても返事はなかった。何度もノックをくり返し声を掛けたが、アンジェは一向に起き出す気配がない。それどころか、中に人の気配が感じられない。余程静かに熟睡しているのかと思いながら鍵を開けようとしたアリオスは、ドアに鍵かかかっていないのが解って驚いた。アンジェは、物理的には効果がないことを知っていて尚必ず、アリオスが入って来られないようにドアに鍵を掛けて寝るのだ。
「アンジェ!?」
アリオスは、大きくドアを押し開いた。すると、ベッドの中にはアンジェの姿はなく、ただ抜け殻のようにパジャマが転がっていた。
「これは、一体…?」
アリオスは、アンジェのパジャマを取り上げて呆然とした。
アリオスがアンジェのパジャマを持って立ち尽くして、どれくらいの時が経った頃だろうか。突然、家中に響き渡る甲高い泣き声が上がった。
「おい、どうした!?」
自分の寝室から聞こえて来た少女の泣き声にアリオスが急いで駆け付けると、少女はアリオスの元に駆け寄って来て縋り付いた。
「びゃ~、あ~、ま~!!」
アリオスがあたふたしながら頭や背中を撫でたり抱き上げたりしていると、泣き止むなり今度は叫び出す。
「まんま~、まんま~。」
「俺はママじゃねぇぞ。アリオスだ。」
アリオスが不機嫌に言うと、少女はまた楽しそうに叫ぶ。
「おしゅ~、おしゅ~。まんま~、ぱん~。」
「もしかして、腹減ってんのか?」
「ぱん~、いちご~、ぐにゅ~、きゅい~。」
どうやら、「まんま」が「ママ」のことではないと解って少しだけホッとしたアリオスは、少女の望みのままにパンに苺ジャムを塗ったパンに牛乳とキウイヨーグルトまで添えて朝食を振る舞ってやった。すると、少女はそれらをそれはそれは幸せそうに平らげていく。
「まったく、顔だけじゃなく食い意地がはってるところまでアンジェそっくりのガキだな。」
「はい~。」
アリオスの呟きに元気よく返事をした少女の様子に、一瞬呆れたアリオスの頭の中を別の可能性がよぎった。
「アンジェ。」
「はい~。」
信じたくないようなことだが、それで話のつじつまは合う。アンジェが突然幼児になってしまったと解ってアリオスは深く溜め息をつくと、レイチェルに相談するべく彼女が寝泊まりしている研究院へとアンジェを連れて行ったのであった。

レイチェルは、アリオスの説明に頭を抱えながらも少女がアンジェであることを認めた。彼女達の中に宿っている女王のサクリアが、疑い様のない形で現実を受け入れさせたのだ。
レイチェルの進言に従って、アリオスは金の髪の女王に相談するべく次元回廊を抜けた。他人の言いなりになるのは好きではないが、ここはアリオスには想像も出来ないような不思議なことが起こる聖地で、しかも事はアンジェの身に関わってるとなればなりふり構ってなどいられない。誰の協力だろうと仰いでみせる。
アンジェリークはすぐに守護聖達を召集し、メルやエルンストやチャーリーの元へと走らせたり、聖地の文献をあたらせたりした。
「さぁ、しばらくは待つだけね。とりあえず、お茶にしましょう。」
アンジェの上を行く程のぽやぽやした声で言われて、アリオスは脱力しかけながら女王や補佐官と共に大人しくオープンテラスでお茶を飲んでいた。勿論、チャーリーのところから買って来てもらった新品の服を着たアンジェを膝の上に乗せて世話をやきながらのことだ。
「くき~。」
「おぉ。」
アリオスは空を切るアンジェの手に、クッキーを握らせてやる。
「ちゃ!」
「ほら、零すんじゃねぇぞ。」
その様子をアンジェリーク達が微笑ましく眺めている。
「アリオスは、いいお父さんになりそうね。」
「まったくですわね。」
そんな評を聞きながら、アリオスは内心「これがアンジェでなきゃ、誰がこんなに世話やくかよ!」と思っていた。
「おわり~。」
自分が満足すると、アンジェはアリオスの膝から飛び下り、空になった皿を持って返却口の方へと歩いて行った。
「おい、待てよ。転んで割るんじゃねぇぞ。」
「大丈夫よ。そう簡単には割れないわ。」
「ええ。ですが、カップはあの子が運ぶ前に私達が持って行ってしまった方が良さそうですわね。」
ロザリアの進言に、アリオス達はアンジェの後を追うようにして自分のカップを持って席を離れた。
アンジェが先に席へと戻ってくると、そこに綺麗な人が通りかかった。アンジェはトタトタとその人に駆け寄ってすり寄るようにして叫ぶ。
「ねね~。ねね~。」
「誰がお姉さんだって? 僕はセイラン。君は、アンジェリークの隠し子かい?」
「しぇいりゃん!」
アンジェは嬉しそうに叫ぶと、皿の上に1個だけ残っていたクッキーを掴んでセイランの方へと差し出した。
「しえりゃん! あい~。」
「何? 僕に貰って欲しいのかい? 困ったな、子供って大嫌いなんだけど…。」
セイランが渋々と手を出すと、アンジェは引っ込める。ムッとしてセイランが立ち去ろうとすると、今度は服を掴んで止める。
「僕にどうしろって言うのさ?」
「口開けて欲しいんじゃねぇのか?」
戻って来たアリオスがそう言うと、アンジェはまたセイランに向かってクッキーを差し出す。その姿に、セイランは女王候補アンジェがプレゼントを差し出した時の姿が重なって見えた気がした。
「仕方ないね。わかった、食べてあげるよ。」
セイランが身を屈めるようにして口を開けると、アンジェは喜んでその口へとクッキーを放り込み、空になった皿を持って返却口へと走って行った。
「サンキュ。」
「…どういたしまして。面白いそうなことが起きてるみたいだから来てみたんだけど、どういうことなのかな? アンジェリークはどうしたんだい?」
セイランはアンジェに手づかみされて湿ったクッキーを無理に飲み込んで、不機嫌そうにアリオスに尋ねた。アリオスは、げんなりした顔で答える。
「どうしたもこうしたも……あれが、アンジェなんだ。」
これには、セイランも目を丸くした。
「今の子が? 一体、何があったんだい?」
「解らないから、こうしてこっちの宇宙まで助けを求めに来る羽目になってる。」
「ふ~ん。さすがの君も、聖地の不思議の前には無力って訳だね。」
自分も決して有力ではないくせに人をバカにしたような態度をとるセイランにアリオスはカチンと来たが、相手の方が聖地での生活暦は長いし自分が無力なのは確かなので黙って堪えた。
セイランは、そんなアリオスから更に詳しく話を聞き出すと、ぼそっと呟いた。
「聖地で現役の女王にこんなこと出来るなんて、女王か同等以上の力を持つ者くらいだと思うけどね。」
「あら、それもそうね。」
アンジェリークがセイランの意見に賛同した。過去の事例や事件的なことにばかり気をとられていたが、考えてみれば聖地における女王の霊的な防御力は異常に高くそして怪現象を起こす能力は万能に近い。
「つまり、こいつと同等以上の力をもった輩の仕業ってことか?」
「どちらかと言うと彼女自身の仕業と考えた方が妥当じゃないかな。意図的かどうかは別としてさ。」
何か、彼女が現実から目を背けたくなるとか子供の頃に戻りたくなるとか、そんなことを強く願うような徴候が見られなかったか問われて、アリオスはいろいろと記憶を手繰ったが思い当たる節はなかった。
「とにかく、ルヴァ様達も交えてもう1度状況を整理した方が良くないかい?」
セイランの言うことももっともなので、アリオス達は執務に戻らねばならない女王や補佐官と別れて研究院に取ってもらった部屋へと戻ると、そこでルヴァ達が来るのを待ったのだった。

セイランの指摘に、ルヴァはハッとなったような顔をした後、納得したように何度も頷いた。
「確かに、あなたの仰る通りですね~。女王のサクリアがもたらした怪異。事象は違いますが、過去にも何度かありました。」
「彼女自身が原因なら、何度占ってみても彼女の周りに悪しき気配が感じられないのも不思議じゃないよね。」
「なるほど。類似の事象を対象に調査を進めて参りましたが、その線で調べ直してみましょう。」
ルヴァは言うが早いか再び自分の館へと足早に戻り、エルンストも仕事場に戻って調査を開始した。
そして、メルは昨夜のアンジェの気持ちを占おうと水晶球に手をかざした。じきに、昨夜客間に入った頃のアンジェの姿がぼんやりと映し出されてくる。
「おい、メル。お前まさか、そうやって何度もアンジェの寝室を覗き見してんじゃねぇだろうな?」
「酷いよ、アリオス! 僕、そんなことしてない!! こんな風に使うのは初めてなんだから。」
途端にメルの集中力が切れて、水晶球の中の映像が消えた。
「あっ…。」
「アリオス。君、本当に彼女を元に戻したいと思ってる? 邪魔するんなら、小さいままの彼女を連れてさっさと新宇宙へお帰りよ。」
セイランは奥で眠っているアンジェを指差して、苛立ったようにアリオスの方を向き直った。これには、アリオスも素直に反省させられた。
「……悪かった、メル。もう1度やってみてくれ。」
「うん。」
本来ならメルの力は新宇宙までは届かないはずだが、聖地という特別な場所で新宇宙と深い絆で結ばれているアンジェをすぐ近くに置いてるため、不安定ながらも水晶球は昨夜のアンジェの姿を再び映し出した。
「何か言ってるな。」
アリオスは、メルの肩越しに水晶球の中を覗き込んで唇を読もうとしたが、うまく読み取れなかった。
「メル、もう少し彼女の顔をアップに出来ないかな?」
「ごめん、なさい、セイラン、さん。僕、そんな器、用なこと、出来ない。」
未来を占ったり遠くを見たりするのとは勝手の違う慣れない力の使い方をしている所為なのか、メルはかなり苦しそうだった。だが、答えながらも今度は水晶球から意識を反らさないように懸命になっている。
「わかった。いいよ、無理しなくて。その代わり、しっかり像を結んでくれ。」
「うん。」
メルは再び完全に水晶球に意識を集中させた。その内、何かに取り付かれたように呟く。
「ちいさなこどもならありおすといっしょにねられるのに…。ためらうことなどないのに…。」
その言葉に、アリオスとセイランは顔を見合わせた。その目の端に、ベッドの中で光の繭に包まれて子供へと変わって行くアンジェの姿が映り、そして消えた。
「メルっ!!」
アリオスは、メルの頭がテーブルにぶつかる前に慌てて支えた。
「ごめんなさい、ちょっと休ませて。」
「ああ、お疲れさん。」
そのままゆっくりとテーブルに突っ伏して眠ってしまったメルは覚えてないようだが、アリオス達は先ほどのメルの言葉でアンジェが小さな子供に戻ってしまった原因が分かったような気がしたのだった。

メルの言葉を伝えようとアリオスがドアを開けかけたところへ、エルンストとルヴァがなだれ込むようにやって来た。
「わかりました。雪合戦です!」
突然のルヴァの叫びに、皆は目が点になった。
「以前、今の陛下が宮殿の周りに雪を降らせてしまった時、子供達と雪合戦をしたら消えたんですよ~。」
「こちらの調査でも、陛下の強い願いで起きた怪現象は、願いが叶えられてその結果に陛下が満足することで解決した可能性が大きいとの見解が有力視されています。」
エルンストがルヴァの叫びに言葉を添えた。そこで、セイランが聞こえよがしに呟く。
「ふ~ん。つまりは、彼女がアリオスと同じベッドで一晩休めば元に戻れるんじゃないか、ってことだね。」
まだメルの言葉を聞いていなかったルヴァ達は絶句した。そこで、アリオスが2人に先ほどのことを伝える。
「そうですね~。試してみる価値はあります。」
「万全を期すためにも、アリオス、あなたの家のあなたのベッドで試すのが一番でしょう。」
「あ? ああ。」
アリオスは3人に押し切られるような形で、アンジェを抱えて帰り支度を始めた。
「メルには、このままこの部屋で休んで行ってもらいましょう。目を覚ましたら、私から今のことを伝えておきますから御安心下さい。」
「陛下や他の守護聖達には私から伝えておきますよ。彼女が元に戻らなかった時は急いで次の手を考えますから、また遠慮なくいらして下さいね~。」
「気を付けてお帰り。」
追い立てられるようにして家路への帰途へついたアリオスは、腕の中で安心し切って眠っているアンジェの寝顔を見て溜め息をついた。
「ガキの頃から、寝顔は変わらねぇのかよ。」
すやすやと居眠りしてるいつものアンジェの寝顔を思い出して、アリオスは呆れた。あれだけ頻繁にアリオスの前で無防備に眠り込むくせに、どうして夜になるとあんなに意識してしまうのか。まったく意識されないよりはマシとは言え、こんな事態になる程に思いつめる前に言って欲しかったとも思う。
そしてその晩、アリオスは小さなアンジェに腕まくらしてやりながら眠りに落ちたのだった。

「ん?」
再び違和感を覚えてアリオスが目を覚ますと、元通りのアンジェがアリオスの胸に頭を乗せてすやすやと気持ち良さそうな寝息を立てていた。
「クッ、本当に元に戻りやがった。」
アリオスは呆れたようにそれでいて嬉しそうに呟いて、アンジェの髪を軽く撫でた。
「こんなんじゃ、当分は大人の付き合いは出来そうにねぇな。」
それでも今あるこの状態は既成事実として、これからはもうアンジェはあんな風に思い悩むこともなくなるだろう。とりあえずは一歩前進、と思いながらアリオスは再び眠りに落ちた。
そして翌朝目覚めたアンジェは、一糸纏わぬ姿でアリオスに抱きつくようにして眠っていた自分に気付いて大騒ぎした。メチャクチャに振り回されるその手を躱し防ぎながらアリオスが事情を説明すると、今度は真っ赤になって硬直する。
「あの…、えぇっと…、その…。ご、ごめん…。」
「まぁ、済んだことはいいとしてだ。今日の予定は挨拶まわりに決定だな。」
「……うん。」
この週末、遊びに行き損ねたことを残念に思うのはアリオスも同じと言うか、自業自得のアンジェよりも寧ろ巻き込まれたアリオスの方が不満であろうと恐縮しながらアンジェは頷いた。
かくして、レイチェルを始め向こうの宇宙の女王や守護聖や協力者達まで巻き込んだ事件は幕を閉じた。この後アンジェはレイチェルとジュリアスからたっぷりとお説教を喰らい、以後迂闊な願いごとはするまいと心に誓ったのであった。

-了-

《あとがき》
ここまで読んで下さいましてありがとうございます。
なかなかアンジェが元に戻ってくれずに、1ページに収めるには随分と長くなってしまいました(汗;) これがお題創作でなかったら、多分LUNAはページ分けしていることでしょう。
ふとした思いつきでアンジェを幼児化してみたら、アリオスはなかなかいい保父さんになってしまいました(笑) でも、彼がこんなに面倒を見るのは、相手がアンジェの場合に限られそうです。だって、作者が子供嫌いなんですもの(-_-;)q
そんな訳で、アンジェ<小>に対するセイラン様の態度は、LUNA自身がモデルです。そしてアンジェ<小>は姉の息子がモデル。この作品を書く寸前まで泊まりに来ていた、甥っ子との一幕を元にしています。勿論、お茶を要求する時に「ちゃ!」と偉そうに言うのもノンフィクション(^^;)
ふっふっふっ、LUNAを神経性胃炎の世界へと落とし込んでくれた責任は本人に取ってもらおうじゃねぇか、という次第でございます。おぉっと、その所為で長くなったんだろ、と言う天の声が…(汗;)
まぁ、でも、これでアンジェもこれからはアリオスの隣で眠れることでしょう。アリオスがいつまで紳士でいられるかは解りませんけどね(^_-)☆

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