パンドラ

アルカディアの事件から戻って来たアンジェ達は、その後始末が一段落ついたとおもった矢先に今度は目まぐるしく発展する宇宙の変化に対応するべく忙しい日々を送ることとなった。
未だ守護聖どころか充分な人手もないこの聖地で、アンジェは文字どおり目の回るような程の仕事に追われ、そして倒れた。
成長しようとする宇宙は大量のサクリアを求め、刻一刻と変化する状況はアンジェに休む暇を与えない。レイチェルとエルンストが力の限りサポートしても、どうしても権限の問題でアンジェへの負荷は重かった。ましてやサクリアを与えるのはアンジェにしか出来ないとなると、彼女は身を削るようにして宇宙を育てようと頑張り過ぎて、とうとう疲れ果てて寝込んでしまったのだ。
「大体、こいつは頑張り過ぎなんだよな。」
"そこそこ"とか"ほどほど"と言う言葉に縁がないアンジェに、アリオスは溜め息を付いた。その呟きに、見舞いに来ていたセイランも同感だと言わんばかりの顔で頷いた後、更に続ける。
「そこが彼女の魅力でもあるけどね。」
「まぁな。」
それにしても、もう少し肩の力を抜いても良いだろうに、と呟きながらアリオスはセイランをアンジェの寝室から連れ出した。いつまでも彼女の寝顔を拝ませておいてやる程、アリオスの心は広くない。

「女王試験とやらの時も、こんな調子だったのか?」
セイランに茶を振る舞いながら、アリオスは問いかけた。アンジェ達から簡単に聞かされた話によると、試験の時もこの宇宙を育てていたはずだ。その時もこんな風に頑張り過ぎて倒れたりするようなことがあったのか、と問うアリオスに、セイランは当時を思い返して答えた。
「確かに一生懸命だったけど、あの頃はまだ余裕があったな。ティムカや年若い守護聖様方とガーデンパーティーに興じたり、レイチェルと一緒に露店で買い物を楽しんだりしてたしね。」
僕の詩の朗読を子守唄代わりにして昼寝ってこともあったっけ、とその時の様子を思い出してセイランはクスッと笑った。
「あの頃は今みたいに一刻を争うような雰囲気はなかったからね。」
「今だって、状況はそんなに切羽詰まったものじゃない。実際、こいつがサクリアを碌に送れなくなっても宇宙の成長は止まっちゃ居ない。ただ成長速度が緩やかになっただけだ。」
むしろ急成長をしなくなった分、その弊害が減って安定の兆しを見せているくらいだった。振り返ってみれば、このところあっちでもこっちでも起こる変化に対応するのに夢中になって、長期的な視野が欠けていたのではないかと思えてならない。
「宇宙にもこいつにも少し休息が必要だってことなんだろうな。」
「そうだね。」
セイランはアリオスの意見に同意しながら優美な手付きで紅茶のカップを口へと運んだ。
「まったく、こいつは何かと厄介事を背負い込み過ぎるんだよな。」
そして背負わされた荷物を降ろしたり分け合ったりすることは考えない。我武者らになって、与えられた以上の責任を果たそうとする。
「それは言えてるけどね。」
セイランはカップから口を離してそう言うと、間を置いて続けた。
「それって、厄介事第一号の口からは聞きたくない台詞だね。」
「第一号って…。」
「君があの戦いの記憶を持っていることは解ってるんだ。今さら忘れたとは言わせないよ。」
「ぅぐっ…。」
「君が転生してこうしてここに居ることもまた、彼女に必要以上に女王の責任を果たさせようとしているんじゃないかな。」
女王の近くに仕える者達はアリオスがこの宇宙に転生したいきさつを知っている。彼に肩身の狭い思いをさせないように、アンジェは立派な女王として振る舞おうと頑張り過ぎたに違いない。
セイランにそう言われて、アリオスは反論出来なかった。

「アンジェリークはパンドラの箱を開けてしまったのかも知れないね。」
「えっ?」
「君の記憶を取り戻させたのはアンジェリークだろう?」
前世の記憶を取り戻さなければ、アリオスは過去の自分に苦しむことなく新たな気持ちでアンジェを愛することが出来ただろう。また事情を知っている者達もあのレヴィアスとは別人と割り切ることも出来ただろう。
2度に渡ってアリオスの記憶を呼び覚ましたのはアンジェだった。それは果たしてアリオスの為に良いことだったのだろうか。エリスを失った悲しみや憎しみ、リモージュの宇宙を征服しようとして行った数々の卑劣な行為、アンジェを裏切った悔恨、それらを思い出させることにどれだけの意味があったのか。
「箱の中には数多の厄災。箱が開いてそれらが世界に放たれた。」
セイランは歌うような口調で呟いた。
「箱の中には数多の幸せ。箱が開いてそれらが世界から逃げ出した。」
「何だ、それは…?」
アリオスはセイランの口から紡がれた矛盾した言葉に不思議そうな顔をした。どこかで来たような気もするが、よくは覚えていない。
「どちらもパンドラの箱の伝説だよ。箱の中身は違うけど、ラストは同じさ。そして最後に希望が残された、ってね。」
「希望、か…。」
「アリオスという名のパンドラの箱の蓋が開かれた時には、一体何が出て来たんだろうね。」
前世にまつわる様々なしがらみによる厄災が飛び出して広まったのか、新たな恋模様が逃げ去ったのか。
「ねぇ、君は前世の記憶を取り戻して良かったと思うかい?」
「……思う。」
少し躊躇った後、アリオスはそう答えた。
「あいつが辛そうな顔で俺を見ているその理由が解らないより、過去の自分のことで苦しみに責め苛まれる方が遥かにマシだ。」
アリオスの脳裏に、アンジェの約束の地で出会った当初の顔とあの旅の中で見せた脳天気な笑顔が甦る。アリオスが記憶を取り戻してから何度もくり返されたデートの中で、やっとアンジェはあの頃のような笑顔を取り戻していったのだ。
「この世界が俺にとってどれだけ苦悩に満ちたものになったとしても、あいつの笑顔があればそれでいい。他の幸せがどれだけ逃げたのだとしても、あいつさえ残れば他に何を望む必要がある?」
「どちらにしても、アンジェリークこそが君に残された唯一つの希望と言うことだね。」
遠くを見つめながら真剣な顔で説くアリオスを、セイランは面白そうに見つめてそいう言った後、しばらくしてフッと呟いた。
「パンドラの箱ってさ、神からパンドラへの贈り物だったんだよね。」
神がどんな意図で開けてはいけない箱なんて贈ったのかは解らないけど、君は宇宙からアンジェリークへの贈り物だったのかも知れないね。
そんなセイランの笑い声を鼻先で交わすと、アリオスは遠い目をして言った。
「他人の思惑なんざ知ったことか。、俺は自分の意志であいつを選んだんだ。」
そう、あの時アンジェがアリオスだけを選んだように…。何度生まれ変わっても、きっと魂がアンジェを求めることだろう。

-了-

《あとがき》
まず始めにパンドラの箱の話ですが……有名なのは厄災が閉じ込めていた方ですね。ただ、厄災の中に希望が一緒に入ってたりするのは変だし、「そんな危ないもの渡すな」と思います。いつも幸せが手元にあるようにと箱を渡して、でも開けると逃げてしまうって方がまだ理解出来ます。でも、神話に出て来る神様達って人間に試練を課すのが好きだからなぁ(-_-;)
とにかくアリオスの記憶を取り戻させることを、パンドラの箱を開ける行為にこじつけてみました。
そもそもアリオスに前世を思い出させる意味がどのくらいあったのでしょうか。アンジェとの思い出とかエリスに対する心の整理とかいろいろあるでしょうが、思い出した分気まずい思いもあったんじゃないかと思います。それらの障害を乗り越えてアンジェと幸せになると考えるとますます萌える訳ですが…。
暗い過去の記憶の中に共にあったアンジェの存在、前世の記憶を取り戻したアリオスにとっての希望はアンジェです。
とにかく、うちのアリオスの世界はアンジェを中心に回っています。アンジェだけを選んでいます。その辺りのことをこの題材で書いてみました。

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