ふたり

日の曜日、いつものように大樹の下でアンジェを待っていたアリオスの耳に、遠くから名前を呼ぶ声が聞こえた。それがアンジェのものなら大歓迎するところだが、どう間違っても他の人間であることは確かだったので、アリオスはどこかに隠れようかと反射的に身を引いたところでその声の持ち主の正体ゆえに諦めてその場に留まった。
「アリオス~!」
ブンブンと振り回される手に続いて赤い頭がピョコピョコと見え隠れしたかと思うと、次第に駆け寄って来るメルの姿が明らかになった。
息を弾ませてやって来たメルに、アリオスは不機嫌な顔でまず注意した。
「大声で名前を呼ぶな、と何度言ったらわかるんだ!?」
「ご、ごめんなさい。」
メルは首を竦めて謝ったが、心の中では「そんなに神経質にならなくてもいいのに…」と呟いた。
アリオスが気にするほどメルは彼が見つかることを気にしていない。実際、セイランやクラヴィスなどもアリオスの存在を知っているようだが、だからと言って何ら態度に変化は見られない。多分、どう思っているのか聞いたなら、こう答えるだろう。
「それがどうしたんだい?」
「だから何だと言うのだ?」
もちろん、この2人が特別なのかも知れない。ジュリアスやオスカーやランディに見つかったなら一騒ぎ起こることだろう。しかし、そのくらいはメルも気をつけている。呼び掛ける以前に、ここへ来る姿を見られないように彼等の動きを水晶球で確認してから出掛けているので何ら問題ないはずだ。
「そんなに怒らないでよ~。これからは気をつけるから…。」
いつもなら、一言謝れば呆れたような仕方なさそうな表情へと変わるアリオスがいつまでも睨み付けているのを上目遣いに見て、メルは居心地が悪い思いをしていた。確かにこれまで何度もそう言いながら全く改める様子の見られないことに腹を立てても当然かも知れないが、無言で睨み付けられると怖い。
しかし、アリオスはメルが思っているのとは違う観点で怒っていた。
アリオスの日の曜日は丸一日アンジェのための時間である。今日も彼女を待っていたのだ。改まった約束など交わしていないが、この曜日は2人で過ごすのが習慣となっている。アンジェを待っているこの瞬間も、彼女のことを思い出したりこの後の予定に思いを馳せたりする大切な一時だ。その貴重な時間を何故メルのためになど費やさねばならないのか。
「用が有るならさっさと済ませてとっとと帰れ。」
「えぇっとね、アンジェリークから伝言預かって来たの。今日は来られない、って…。」
「へっ?」
託された伝言にアリオスはキョトンとした。
「このところ霊震が頻発してるでしょ。それでお休み返上で今日も会議とかいろいろあるんだって。」
「……お前はその会議とやらに参加しないのか?」
アンジェが休み返上で頑張ってる時に呑気に弁当なんぞ持ってやって来るメルに、アリオスは不愉快になった。すると、メルは沈んだ顔で答える。
「うん。僕達の中で会議に参加するのはエルンストさんだけなんだ。悔しいよ、こんな時にアンジェリークのために何も出来ないなんて…。」
アンジェのために何かしたいと願うのはメルもアリオスも同じだった。誰に憚ることなくアンジェの前に姿を現わせるのに何も出来ないメルは、己の力不足を嘆く機会も多いことだろう。それを察してアリオスは少しだけメルに対する態度を軟化させた。
「それでメッセンジャーボーイを買って出たのか?」
「ううん。買って出た訳じゃなくて頼られたんだ。」
メルならアリオスに懐いてるし存在は既にバレてるし、とアンジェは会議に向かう道すがら占いの館に寄ってメルに伝言を頼んだのだった。
もしかしたら留守かも知れない、という不安を抱えて立ち寄った先にメルを見つけた時のアンジェの安堵した顔と「メルさんにしか頼めないいんです」という泣き出しそうな顔が、メルの脳裏に焼き付いていた。
「それでね、聞きたいこともあったからお弁当作って来たんだ。」
アリオスがアンジェのために一日空けてることは解り切っている。今日は逃がさないからね、とメルはアリオスの腕にしがみついた。
その様子にアリオスは、恐らくは明日にでもアンジェはメルに今日のアリオスのことを根掘り葉掘り聞くであろうから冷たくあしらう訳にもいくまいと観念した。

何が悲しくて野郎と2人でピクニックしなきゃいけねぇんだ、と思いながらメルの作って来たサンドイッチをつまんだアリオスはなかなか上手く出来ていたそれに少しだけホッとした。自分でアクセサリを作れるほど手先が器用なくせに、はしゃぎまくってパンに塗るはずのジャムで手をベタベタにしていたガキの印象が、これによって塗り替えられて行く。
弁当が半分くらいになったところでアリオスは自分の方から話を切り出した。
「それで、何を聞きたいんだって?どうせヒマだし、答えられる範囲でなら何でも聞かせてやるぜ。」
開き直ったとも取れるアリオスの態度に、メルは思いきってあのメモワ-ル事件のことを問いかけた。
「あの時、水晶球は確かにあなた達を映してた。あれは転生したあなただったんでしょ?」
「そうらしいな。」
「でも、すぐに僕の力の届かないところに消えちゃって…。どうなったのか詳しくは教えて貰えなかった。僕が聞いたのは、アンジェリークがあなたの記憶を取り戻して宇宙を救ったってことだけ。ねぇ、一体何があったの?」
「俺も、その辺のことは良く覚えてねぇ。記憶を失ったり取り戻したりで忙しかったからな。」
黒い影に飲まれてアンジェを襲ったかと思ったら光に包まれて記憶を取り戻し、アンジェの元で生き直そうと思ったらまた黒い影に飲まれて見知らぬ土地へと飛ばされてまた記憶を失ったらしい。アンジェのおかげで再び過去を思い出したとは言え、あの事件のことは夢幻のようだった。それでも覚えている範囲のことをアリオスは語った。
「お前らと旅してた時のことやこっちであったことなんかは結構覚えてるんだけどな。」
中空を見つめながらそう答えるアリオスに、メルはがっかりしたような表情を浮かべた。
「それじゃあ、黒い影の正体は見えなかったんだね?」
何をそんなに落胆してるんだろうと不思議に思ったアリオスは、なるほどね、とメルの着眼点に感心した。
今ここに居るアリオスが、この未来の宇宙に改めて転生したのではなくアンジェの宇宙の最初の生命として誕生した存在であることは、アンジェもアリオスも知っている。それなら時を超えて来た時に何か見ていてもおかしくはない。しかし、アンジェにそのことを聞かれたことも自分で考えたこともなかった。だからと言って思い返してみても何も思い当たらない。
「だが、どんな敵が来ようとあいつには指一本触れさせない。」
あの頃ほどの力は持ち合わせていないが、きっとここへ飛ばされたのもこうして再会したのも浅からぬ縁なのだろう。アンジェは「これからは自分のために自由に生きて」と言ったが、そのためにはアンジェが不可欠だった。
「それにしても、まったく、あいつはどうしてこう厄介事に巻き込まれちまうんだか…。」
故郷の宇宙の救出のための戦いに駆り出され、それが終わったかと思ったら黒い影に襲われ、やっと安定の兆しが見えたかと思ったら今度は未来の宇宙の運命を背負わされた。あの旅の間も様々な厄介事に自分から首を突っ込んでいたが、それらは勝手に押し付けられたものの重さには比べ物にならないほど軽いものだった。
「この宇宙を救ったら、今度こそあいつに平穏な日々が巡って来るんだろうか。」
アリオスがアンジェのことに思いを馳せて呟いた独り言に、メルは真剣な顔で応えた。
「そうだと良いね。僕、今度こそアンジェリークに幸せになって欲しいんだ。」
絶対に幸せにしてあげてよ、と訴えるような顔でアリオスを見つめるメルに、アリオスは力強く頷いた。
「当たり前だ。そのためだったら俺は何だってやってやる。」
ハッキリと宣言したアリオスに、メルは満足そうな笑顔を浮かべた。
「そうだよね。うん、アリオスだったらきっとアンジェリークを幸せに出来る。だって、2人は宇宙や時空をも超えるほどの赤い糸で結ばれてるんだもの。」
「赤い糸?」
怪訝なアリオスにメルは恋人同士を繋ぐ赤い糸の伝説を話して聞かせた。
「クッ、そんな糸なんかあるものか。」
「あるよ!絶対2人は赤い糸で結ばれてるんだ。」
メルはムキになって主張したが、アリオスはそれを一笑にふした。
「そんな弱々しい糸なんかであるものか。あいつと俺を結んでるんだぞ。何があろうと断ち切れないような頑丈な鎖かなんかに決まってる。」

-了-

《あとがき》
アリオスとメルのピクニック風景でした。テーマはこの2人であり、また強く結ばれたアリオスとアンジェのことでもあります。
「白い翼のメモワール」を踏まえての、トロワの半ばのお話です。
そしてラストのアリオスの台詞は「エトワール」のミニアルバムから…(*^^*)

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