雨足が少し鈍って来たのを見て、ふと酒のつまみでも買いに行こうかと思い立って外に出たアリオスは、ガレージの前を通りかかって足を止めた。
「おい、そこのお前。」
「えっ?」
ガレージの屋根の下に居た少女が、驚いたように顔を上げた。
「そう、お前だよ。うちのガレージで何してんだ?」
少女は、万引きでも見つかったかのような顔をして、慌てて答えた。
「あああ、あの、その、えぇっと…。雨宿りさせていただいてました。ごめんなさい!」
少女はそう言うなり、脱兎のごとく逃げ出そうとした。しかし、その腕をアリオスが掴んで引き止める。
「きゃっ! あの、勝手に入り込んだことはお詫びします。ごめんなさい! すぐに出ていきますから!!」
少女はアリオスの手を振り払おうとしてジタバタと暴れたが、そんなことで逃れられはしなかった。
「おいおい、ちっと落ち着けって。別に、俺は怒っちゃいねぇよ。大体、出てけなんて一言も言ってねぇだろが。」
呆れたようなアリオスの物言いに、少女は暴れるのを止めて彼の顔を見上げた。
「それより、雨宿りなら中でしろ。服くらい乾かせる。」
「で、でも…。」
来た方向からしてこれから出かけるように見えたし、ガレージで勝手に雨宿りさせてもらってただけでも申し訳なく思ってるのにそこまで面倒かけるのは気が引けるし、何よりも知らない男の人に家へ連れ込まれるのはあまり歓迎出来る事態ではないし、などと小声でボソボソ漏らした少女に、アリオスは苦笑しながら言った。
「妙な心配するな。急ぎの用じゃねぇし、その気もねぇ奴に悪さする程悪趣味でも飢えてもいねぇよ。とにかく、そんな状態で放り出してどっかで行き倒れられでもした日にゃ、こっちの寝覚めが悪すぎる。」
「はぁ…。」
そして結局、少女は脱力したように素直にアリオスに腕を引かれて、彼の自宅へと上がり込んだのだった。

バスルームへと通された少女は、完全にアリオスのペースに飲まれていた。
アリオスは、乾燥機の使い方から何からあれこれ指示してバスルームを後にすると、リビングでお茶を飲みながら、少女が現われるのを待った。
その内、トランプを取り出して手慰みのように操り始める。手元やテーブルの上で広げたり閉じたり、腕に這わせたり手に落としてまとめたり、シャッフルしたりしながら時を過ごしていると、静かに少女が入室して来た。そして、不思議なものでも見たかのように立ち尽くしている。
「おぅ、来たか。」
「あ、はい。ありがとうございました。」
ハっとしたように礼を言って、少女はそのまま出て行こうとした。
しかしアリオスは素早くトランプを仕舞って、優し気なトーンで問いかける。
「Tea or coffee?」
少女はその声に立ち止まると、ちょっと考えてから答える。
「Coffee please.」
これが学生の悲しい性なのだろうか。日本語で問われたならば遠慮してそのまま立ち去ったであろうに、英語で問われたが故に模範回答を模索して答えてしまった少女は、ソファを指すアリオスの手に気付いた時はもう後戻りは利かなかった。
小さくなりながらソファへ腰を下ろした少女の前にコーヒーと砂糖やミルクを置くと、アリオスは自分のお茶を注ぎ直して少女の正面へと座り直した。そして、少女がコーヒーを半分くらい飲み終えたところで、徐に話を切り出す。
「名前、何てんだ?」
「アンジェリーク・コレットです。」
「アンジェ…?」
面白そうに言われて、アンジェはムッとした。
「何か、変ですか?」
例え相手が親切にしてくれた人でも、名前を笑われるのは我慢がならない。そんな怒りを含んだアンジェの声に、アリオスは慌てて言い訳をした。
「いや、お前の名前を笑った訳じゃねぇよ。でも、アンジェリークって確か天使って意味だよな?」
「似合わないとでも言いたいんですか?」
アンジェの怒りはまだ解けなかった。
「だから、お前を笑ったんじゃねぇって。ただ、ずぶ濡れの天使様がうちのガレージで雨宿りってのは、なかなか面白みがあると思ってな。」
「……。」
アンジェは恥ずかしそうに押し黙ってしまった。そして、気持ちを落ち着けるようにコーヒーカップを口へと運んだのだった。

アンジェの様子をしばらく楽し気に眺めた後、アリオスは本題へと話を戻した。
「家は何処だ? この近くじゃねぇんだろ?」
近くなら、滝のように雨が降っていても他人の家のガレージに入り込んだりせず家まで走って帰りそうなタイプであることは、アンジェのこれまでの様子を見ていれば簡単に解る。
「あの…、その…。」
何やら言いにくそうにしているアンジェを、アリオスは不思議そうな顔でジッと見つめた。すると、観念したようアンジェは住所を告げる。
やっとアンジェが口にした住所を頭の中で地図に照らし合わせて、アリオスは驚いた。
「何で、こんなトコうろついてたんだ?」
アンジェが着ている服がスモルニィ学園の制服であることくらいアリオスだって知っていた。もちろん、学園の場所もよく知っている。アンジェの家からは30分くらい掛けてバス通学というのが妥当なところだろう。
もちろんバスはかなり遠回りをしているし1時間に1~2本しかないので、少々辛くはあるが徒歩という通学路も考えられなくはない。これだと、最短コースで1時間弱といったところだろうか。
とにかく、どちらにしてもアリオスの家の辺りは通学路に入らないはずなのだ。しかも、発見した時間的にまだ授業は終わっていなかったはず。しかし、学校をサボってどこかへ遊びに行くなんてことが出来るようにも見えない。
「まさか、極度の方向音痴?」
「ち、違います! バスの中で気分悪くなって…。」
アンジェは懸命に事情を説明し始めた。
要は、途中で気分が悪くなってバスを降りてしまい、次のバスが当分来ないことを知って仕方なく歩いて帰ることにしたと言うのだった。時間が半端だったのは、今日が試験最終日だったからだ。
ひとまず降りたところのバス停のベンチでひと休みしてから、近くにあった町内地図を頼りに家の方のバス通りまでほぼ真直ぐに抜けられそうな道を選んで、アンジェはゆっくりと歩き始めた。その途中で雨に降られ、雨宿りを兼ねてひと休み出来そうな店を探しながら急ぎ足で進んだものの、閑静な住宅街であるこの辺りではそのような店どころか軒先を借りられそうな建物すらなく、困っていたところでアリオスの家の屋根付きガレージを見つけて飛び込んだのだった。
「ふ~ん、なるほどね。で、身体の方はどうなんだ?」
「ちょっと熱っぽいですけど、ひと休みさせていただいたおかげでだいぶ良いです。」
アンジェは、ちょっと微笑んで答えた。気を使っているのであろうが、まぁ、アリオスの目にもそんなに気分悪そうには見えないので本当に楽にはなっているのだろう。身体が暖まって少し打ち解けて来た分、最初に見つけた時に比べると遥かに顔色が良いことだけは確かだった。
「そうか。だったら、車で送ってく。」
突然のアリオスの申し出に、アンジェは慌てて首を横に振った。
これ以上迷惑をかけるのも気が引けるし、帰りが遅くなった挙げ句に知らない男の人の車で帰ったりなんかしたら親や学校に何て言い訳すればいいのか解らない。
「じゃぁ、ここまで迎えに来てもらうか?」
「それも困ります~!」
アンジェはか細い悲鳴を上げた。
「わかった、歩いて送ってく。それならいいだろ?」
「はい?」
アンジェは首を傾げた。別に、道が分りにくい訳でもないので歩いて送ってもらうべき理由はない。
「最初に言ったように、どこかで行き倒れられでもした日にゃ、こっちの寝覚めが悪すぎるんだ。精神衛生のためにも、俺はお前が家に到着するのを見届けずにはいられねぇ。」
「はぁ…。」
アリオスの妙な言い分に、アンジェは勢いに押されたようになった。
「わかったら、送らせろ。」
「…はい。」
結局、ここで思わずそう答えてしまったアンジェはアリオスと相合い傘で自宅までの長い道程を歩くこととなり、案の定途中でへばってアリオスにおんぶされる羽目となった。
そして、ヘロヘロの状態で家へ送り届けられたアンジェは母親にあれこれ問いただされてもうまく説明することが出来ず、アリオスがのらりくらりとアンジェの母をけむに巻くに任せて、ただただそれを肯定するように頷いて誤魔化した。
そして、大したことじゃないような顔をして、まるで近隣に住んでいるかのような素振りで帰って行く姿をアンジェの目に焼きつけて、アリオスはまた長い道程を歩いて行ったのであった。

-了-

《あとがき》
ここまで読んで下さいましてありがとうございます。
「雨」をテーマにした割には、あまり雨の中のシーンはありませんでしたが、出会いのきっかけやら相合い傘やら前々から温めていた作品のキーが雨だったので、このお題を機に書き上げてみました。
家庭の事情により、梅雨明け前にアップ出来なかったことが悔やまれますが、1度公開してしまえばもう季節なんて関係ありません。読もうと思えば盆・暮・正月のいつだって読めるし…(^^;)
ここだけの話(?)、アリオスの職業には頭を悩ませました。
真っ昼間からうろうろしていながら、屋根付きガレージのある一戸建てに1人で住んでる男。一体、彼の職業は何!?
結局は謎のままになりましたが、ネタを煮込んでる間に候補に挙がった「マジシャン」の影響で出て来たアンジェを待ってる間にトランプを操るシーンは、そのまま残しました。この時のアリオスの動きと表情がお気に入りなので…(^_^;)

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