風のカプリチオ

日の曜日。
ランディはいつものようにオスカーに稽古をつけてもらい、少々夢中になり過ぎて出遅れた所為か、部屋を訪ねていった時にはアンジェはとっくに出掛けていた。一人で出掛けたのか、それとも誰かに誘われたのか、はたまた誰かを誘いに行ったのか、とにかく留守なのでは仕方がない。ランディは、アンジェの部屋の前から立ち去った。

気がつくと、ランディは公園の中をふらふらと歩いていた。
「折角だし、カフェテラスでお茶でも飲んでいこうかな。」
カフェテラスが近いのを見て、ランディはそちらへ歩いて行った。
しかし、足を踏み入れる手前でランディは足を止めた。アンジェがマルセルと一緒にお茶を飲む姿を目にし、話声を漏れ聞いたのだ。
「ねぇ、アンジェリーク。君、もしかして……のこと好きなの?」
「えっ、あの…、はい。」
盗み聞きなんて良くないと思いながらも、ランディはとっさに隠れて様子を見聞きしてしまった。
アンジェは、マルセルの問いに頬を染めて俯きながらも、肯定の返事をしていた。マルセルの顔は見えないが、その後明るい声が聞こえて来た。
「ふふふ、そうじゃないかって思ってたんだ。もしかしたら、両想いかもね。」
「そうなんですか!?」
アンジェは嬉しそうに身を乗り出している。
「さぁね。それはまだ、秘密だよ。」
「マルセル様って、意外と意地悪なんですね。」
「あっ、ひっど~い。」
マルセルとアンジェが楽しそうに笑うのを見て、ランディは居ても立てもいられずに逃げるようにその場を後にした。

一気に私邸まで走って来たランディは、庭で座り込んでいた。
どうして自分があの場を逃げ出したのか、わからなかった。ただ、あれ以上あそこに居ることに耐えられなかったのは事実だ。思い出しても、何だか胸が苦しいような痛いような、考えたくないという気持ちが働く。
更に、重い荷物でも担いでいるように肩が重い。
「はぁ~。どうしたんだろ、俺?」
軽く目を閉じて溜息をつき再び目をあけると、目の前ではふさふさとした毛皮がうごめき、耳もとでは荒い息遣いが聞こえていた。
「あれ?」
振り返ると、見慣れない犬がランディに後ろからのしかかっていて、飼い犬が目の前に座っていた。
目を丸くしていると、飼い犬が軽く前足を上げてランディの肩にポフッと置いた。
ランディは心の中を冷たい風が吹き抜けていったような気がした。

ランディが気が重いまま過ごした平日。次の週末を迎えようとした頃、オスカーがランディの執務室を訪ねて来た。
「お前がデスクワーク苦手だってのは知ってるが、自分の名前もまともに書けない程ではなかったと記憶してるんだがな。」
その言葉と共に机に置かれたのは先日提出した書類の束だった。
「週明けまでに再提出だ。いいな?」
「…はい。」
それで帰って行くかと思いきや、オスカーはそのままランディを観察するようにジッと見ていた。
「あの、オスカー様…?」
「まったく、俺としたことが…。今まで気付かないでいたとはな。」
不機嫌そうなオスカーの様子に、ランディはこの書類の失敗ってそんなに大変な問題だったのだろうかとやや青ざめた。
「一体、何があったんだ。いつも元気すぎる程元気なお前がこうも大人しくなっちまうなんて。」
「えっ?」
オスカーが書類の事でジュリアスの代わりにお小言を言おうとしてるのかと思って身構えていたランディは、オスカーの言葉に力が抜けた。
「ゼフェルの奴が、俺の部屋まで怒鳴り込んで来た。調子が狂うから何とかしろ、とさ。」
ここ数日というもの、いつもならすぐに何かと偉そうに青春ドラマのような台詞を言ってくるランディが何も言って来ないことにゼフェルは戸惑いを感じていた。彼はランディと喧嘩をすることで調子を整えていたのだが、相手が何の反応も示さないのでは面白くないし調子も狂うしで困っていたのだ。このままではストレスが堪る一方だった。
「素直じゃない坊やだぜ。正直に「心配だ」と言えばいいものを。」
にやりと笑いながら言ったオスカーに、ランディからは反応が返って来なかった。
「なるほど。確かにこれは重症だな。」
オスカーは軽く息をつくと、ランディを引きずるようにして自分の私邸へと向った。

「さて、と。ここなら他の誰かに聞かれる心配もない。さぁ、何があったのか洗いざらい話してもらうぞ。」
私邸までランディを強引に連れて来たオスカーは、人払いをするとなるべく部屋の奥に椅子を置き、そこにランディを座らせた。
「確か、日の曜日の朝にはいつも通り元気だったはずだな。一体、その後に何があったんだ?」
「何があった? と聞かれても…。」
ランディは自分でもどうしてこんなに気が重いのか良く解らなかった。
オスカーは、ランディが落ち込む原因になりそうなネタをいろいろ考え始めた。ゼフェルやマルセルと大げんかしたとしてもここまではならないだろうし、そもそもゼフェルが自分のところに来た時点で、この可能性は皆無だろう。後は、ジュリアス様にメチャクチャ怒られたという可能性が考えられるが、それなら自分の耳にも入ってくるだろう。となると、後は…。
「お嬢ちゃんと何があった?」
「別に、何もありませんよ。だって、アンジェリークは…。」
オスカーは、ランディの答えに自分の読みが当たったことを確信した。茶髪とも金髪とも言ってないのに、すかさず「お嬢ちゃん」を「アンジェリーク」と限定してしまうところが何か気にしている証拠だ。オスカーはそのまま更にランディを誘導して、日の曜日のことを全て聞き出していった。
「ほぉ、お嬢ちゃんは年下好みだったのか。道理でこの俺に靡かないはずだな。」
「オスカー様っ!!」
「冗談だ。」
しかしオスカーは、これでやっとランディが気落ちしている理由が解った。
「…オスカー様。俺、マルセルとアンジェリークにお祝いを言ってあげようと思ったのに、どうしても言えなくて。顔を見るのも辛いんです。」
「そりゃ、当然だろうな。」
「えっ? 何でですか?」
この期に及んでまだランディには自覚がなかった。
「鈍いやつだな。お前がお嬢ちゃんを好きだからに決まってるだろ!!」
「えぇ~っ、俺がアンジェリークを!?」
言われてみればそうかも知れないと思ってしまうランディだった。振り返れば思い当たる節が山ほどある。そうか、これが恋だったのか、と。
「あ、でも、今更気付いても手遅れなんですね。彼女はマルセルと両思いなんだし。」
「そこだ。」
「えっ、どこですか?」
あまりにお約束な反応にランディらしさを感じながら、オスカーはランディの向いに腰をおろした。
「お嬢ちゃんがあの坊やを好きだったとは思えないんだ。」
「だって、アンジェリークはマルセルに言ったんですよ。」
確かに、あの時マルセルに「好き?」と聞かれて肯定していたし、マルセルも嬉しそうにしていた。
「本当にお嬢ちゃんは言ったのか? マルセルが好きだと。」
「アンジェリークじゃなくて、マルセルが…。」
ランディは、どうしてオスカーがこうもしつこく聞くのかが解らなかった。
「妙だな。俺は、その日の夕方にあの坊やがルヴァのところに泣きつきに来たのを見てるんだが…。」
「マルセルが?」
「ああ。お嬢ちゃんに振られたってな。」
それが本当なら、一体あの時の会話は何だったのだろうか。あの時マルセルは嬉しそうに「両想いかも知れない」と言って笑っていた。それに、「振られた」と泣いていたと言うが、ランディがお祝いを言おうと思って目にしたマルセルは、別段変わった様子はないように思われた。
「どうやら、お嬢ちゃんが好きなのは別の誰かだったようだな。」
「それじゃ、どうしてマルセルがあんなに嬉しそうに…。」
「お嬢ちゃんのことも相手のことも大好きだったからじゃないのか?」
オスカーはランディの聞きそびれた名前が誰のものだったのか確信し、彼の鈍さに頭を抱えたくなった。そうでなくても以前からアンジェの様子を見ていてそうではないかと思っていたのだ。この事態に、剣と一緒にせめて女性の視線の意味くらいは教えておくべきだったかと後悔の念に駆られずには居られなかった。

とにかくまだ誰かのものになった訳ではないのだから自分の気持ちを伝えて来い、とオスカーに唆され、もとい、後押しされて、ランディはアンジェに気持ちを伝えることにした。
何度も何度も書き直して、やっと「育成が終わった後、森の湖の滝の前に来て欲しい」という内容の手紙を書き上げると、そっとアンジェの部屋の窓の隙間から部屋へ差し入れ、ランディはドキドキしながら滝の前で待った。
気持ちを伝えたら迷惑じゃないだろうか。そもそも、来てくれないんじゃ…。
そう思うと、ランディはあの時同様にこの場を逃げ出したくなった。だが、尻込みするランディの脳裏に、オスカーの言葉が甦った。
「お前は「勇気」を与える風の守護聖だろ!」
今、ランディは自らが司る力であるはずの勇気を奮い起こして、逃げ出したくなる心と必死に戦っていた。
「ランディ様。」
「アアア、アンジェリーク! 来てくれたんだね。」
ランディの心臓はバクバクと音を立て、声はひっくり返っていた。
「はい。ランディ様のお誘いですから。」
アンジェは、様子のおかしいランディを訝しく思いながらも、にっこりと笑ってランディの目の前まで歩み寄った。
「あの、えぇっと、ごめん、こんな時間に呼び出したりして。」
「構いませんよ。夜中じゃ困りますけど、まだ結構明るいし。あ、でも、暗くなる前には送って下さいね。」
「うん。それは勿論そうさせてもらうよ。」
アンジェの言葉に妙なことを想像して余計に心臓を跳ね上がらせながら、ランディは必死にそれを押さえ込もうと内なる戦いを繰り広げていた。
「それで、お話ってなんですか?」
「その…、話って言うのは、つまり、えぇっとぉ…。」
ランディはこの期に及んで、どういう風に気持ちを伝えるのか、その言葉を考えておかなかったことに気付き慌てふためいた。
「あ~、どうしよう。何て言えばいいんだ~!?」
呼び出し状の指導を受けるついでに口説き文句のひとつも教わっておくべきだった、と今更悔やんでも後のまつりである。
「どう為さったんですか?」
「君に何て言って告白すればいいのか、うまい言葉が見つからないんだ。こんなに君のことが好きなのに!!」
本人を目の前にして力一杯叫んでいる自覚もなく、ランディは思っていることをそのまま口に出してしまった。
「好きって…。う、嬉しいです、ランディ様っ!!」
アンジェは一瞬固まったものの、すぐに復活してランディの手をとった。
「私も、ランディ様の事が好きです。」
「私もって…。あ~、俺、思ってたこと口に出しちゃってたのか~!?」
小さく頷くアンジェに、ランディは恥ずかしさでいっぱいになったが、アンジェが自分の事を好きだと言ってくれた言葉は聞き逃さなかった。
「あはは、どうせなら格好良く告白したかったけど、想いが通じたからいいや。」
「ふふふ、ランディ様らしい飾らない言葉で、格好良かったですよ。」
アンジェは、背伸びしてランディの頬に軽く口付けた。
「うわっ!」
「お嫌でしたか?」
ランディは、ふるふると首を横に振った。
「あ、あのさ。俺も、して良いかな?」
赤くなりながら真顔で聞いてくるランディに、アンジェはクスクスと笑った。
「もうっ、ランディ様ったら。そういう時は、黙って行動して良いんですよ。」
「えっ、そういうもんなのかい?」
「はい。嫌だったら、私は相手が誰でも遠慮なく突き飛ばすか引っぱたくかしますから。」
それじゃ、とばかりにランディはアンジェの肩に手を置いてその頬に口を寄せようとしたが、踏み出した足が緊張のあまりもつれて、そのままアンジェを道連れに倒れ込んだ。
「きゃっ!」
次の瞬間、ランディの後頭部に拳が見舞われた。
「こらっ、俺はそこまで指導した覚えはないぞ。」
「「オスカー様!?」」
後頭部を摩りながら起き上がったランディと草を払いながら立ち上がったアンジェは声をそろえて、声の主の方を見た。
「ずっと覗いてたんですか?」
「いや、それは、その…。」
実は、ずっと覗いていたのである。ランディがここへ来た時から、ずっと。
「そんなことより、良かったな、ランディ。お嬢ちゃんに気持ちが通じたようじゃないか。」
「はい! あ、でも、それじゃあの時の会話って一体…?」
ランディは、今更ながらにあのマルセルとのデート中のアンジェのことが気になった。
「何ですか、あの時って?」
アンジェは2人の間で交わされる内容に首を捻り、ランディから一部始終を聞き出した。
「あの時、お近くにいらしたんですか。」
「ごめん。盗み聞きするつもりなんてなかったんだ。」
ちょっと睨むような感じのアンジェに、ランディは素直に謝った。
「どうせ聞くなら、ちゃんと聞いて下さいね。」
「えっ?」
「あの時マルセル様は「ランディのこと好きなの?」って仰ったんですから。」
アンジェの口から語られた真相に、ランディは一気に力が抜けてその場にへたり込んだのであった。

-了-

★深海ゆら様
25000カウントゲットおめでとうございます。
リクエストにより、ランディ様あまあま小説を書かせていただきました。
「ランディ様がアンジェを好きだと自覚するきっかけのお話」って課題で書いてたら全然「あまあま」にならなかったので、そのまま告白までやっていただいて、どうにか「あまあま」に…。
うっ、うちのランディ様らしさを出してみたら、かなり格好悪い?
ランディ様LOVEな方に贈るのだから、と頑張ってみましたが、このくらいで許して下さいませ(^^;)q

indexへ戻る