金の天使に捧ぐ薔薇

公園にでも行こうかと執務室を出たオスカーは、廊下の向こうに大量のファイルを抱えてよろよろと歩いているアンジェリークを発見した。
手を貸そうと駆け出したが、時既に遅し。クラヴィスの執務室の前辺りでアンジェリークは転倒し、書類の収められたファイルは辺りに散乱した。
「怪我はっ!?」
オスカーは彼女の元へ駆けつけると、抱き起こしながら真っ先にそう聞いた。
「痛~い。あ、大丈夫です。怪我はありません。」
でも書類が~、と必死にファイルをかき集め出したアンジェリークに、オスカーも拾うのを手伝う。
「ありがとうございます。」
大半を拾い集めたオスカーに向かって、アンジェリークは手を伸ばした。しかし、オスカーは気づかない振りをする。
「ジュリアス様のところへ持って行くんだな?」
「はい、そうですけど…。」
アンジェリークは答えながら、オスカーにファイルを渡すよう促した。しかし、オスカーはそれを渡さず、ジュリアスの執務室の前に立つ。
「すまないが、代わりに扉を開けてくれないか。」
「あの、私が持ちますから…。」
ついにハッキリとアンジェリークはファイルを渡すように言った。
「そのファイルをジュリアス様にお届けするのは、私の仕事ですから。オスカー様はどこかへお出かけになるところだったのでしょう? ですから、もうこれ以上ご迷惑をおかけする訳には…。」
「特に予定があった訳ではないし、このくらい手伝ったところで俺は全く迷惑しない。」
「でも…。」
「君一人でこれを抱えるのは無理がある。もっと他人を使うことを覚えるべきだな、補佐官殿。」
ただでさえ動きにくそうな補佐官のドレスに身を包んでいるというのに、オスカーでさえ片手では支えきれない程のファイルを抱えて歩くなど…。
「だって、私にはこのくらいしか出来ないのに、それで皆様のお手を煩わせるなんて…。」
「だからって、限度があるだろう。適量というものを身につけるのも補佐官の役目だと思うぜ。」
「大丈夫です。そのくらい持てます!」
アンジェリークは意地になってオスカーからファイルを取ろうとする。
「無理はするな。いいから、扉を…。」
「大丈夫ですってばっ!!」
実際に転んでおきながら大丈夫も何もないものだ、とオスカーはアンジェリークの手からファイルを守った。
「アンジェリーク!」
鋭く呼ばれた自分の名前に、アンジェリークが動きを止めた。その直後、執務室の扉は中から静かに開かれる。
「そなた達、このようなところで何を騒いでおるのだ?」
決して声を荒げてはいなかったが、その静かすぎる口調にアンジェリークとオスカーは一瞬にして血の気が引いていくのを感じた。だが、日頃から叱られ慣れている者とそれを見慣れている者だけあって、立ち直りは早い。
「申し訳ありません、ジュリアス様。」
「お騒がせしてすみません。あの…、書類をお届けにあがりました。」
ジュリアスに答えながらアンジェリークはオスカーからファイルの山を奪おうとしたが、その動きを見逃すオスカーではなかった。ジュリアスに軽く一礼すると、執務机の上にファイルを置きに行く。
「あっ…。」
アンジェリークは慌てて後を追い、自分が抱えていた数冊のファイルをその上に乗せた。
それらの様子を見て、ジュリアスは大体の事情を察した。部屋の中ですれ違う際に一礼して去っていくオスカーを視線の端で見送った後、アンジェリークを呼び止める。
そしてアンジェリークは、ああ、また叱られちゃう、などと思いながら、大人しく部屋の奥へと戻っていったのだった。

「アンジェリーク、そなたが補佐官の任に就いたいきさつを覚えているか?」
ジュリアスは、自席に戻ってしばらく無言でアンジェリークの様子を観察した後、アンジェリークに問うた。
てっきり、補佐官たる者云々、と説教が始まるのかと身構えていたアンジェリークは、一瞬力が抜けかけてから、これはその布石かも知れないと考え直して、背筋を伸ばして答えた。
「はい。女王候補の座を放棄しようとした私に、補佐官として聖地に留まれるようロザリアが…、陛下がお声を掛けて下さいました。」
僅差でエリューシオンの方が発展していたとはいえ、2人の大陸は共にもうじき中央の島へ建物が建つだろうというところまで発展し、宇宙は新しい女王の誕生を待ち構えていた。そんな時に、アンジェリークは女王候補の座を放棄しようとしたのだ。
理由は簡単である。女王になったらオスカーへの想いを断ち切らなくてはならないからだ。
湖で告白された時、オスカーは嬉しかった。女性からの告白など数え切れないくらい聞き流してきたが、大本命からのものは別である。しかし、両者の想いは通じ合っていても、互いの立場は苦しかった。
アンジェリークは女王候補の座を放棄する権利がある。しかし、守護聖であるオスカーは力を失うまでその座を退くことが出来ない。そして、試験の終了を以って関係者達が戻ることとなる聖地に、スモルニィの学生の身分に戻ったアンジェリークは居住することを許されない。
それでも諦めたくなかったオスカーは、ジュリアスに相談を持ち掛けた。アンジェリークとの結婚を認めて欲しい、と。
守護聖の妻となれば聖地に居住する夫と共に在る資格は充分だ。決してこの想いが遊びではないことを強く訴えるオスカーに、それでもジュリアスは簡単には認めることは出来なかった。前例のない、それでいて周りに与える影響の大きなことを成すには、慎重さとそれなりの体面が必要であろう。
そんな彼らを救ったのが、他ならぬ現女王陛下、当時は女王候補のロザリアだった。
「アンジェリーク、アンタは今から毎日ディア様の元で補佐官の心得を学びなさい。その間に、私が女王になりますわ。」
形式上、試験を最後まで行いロザリアが女王の座に就く。そして、補佐官として共に在るように請われたアンジェリークは、聖地に居住する権利を手に入れる。
「こんなことで結婚を急ぐことなどありませんわ。もっと、自分を大事になさい。」
補佐官の仕事をしながらこの先も付き合ってみて、職務と交際を両立できるようになってから考えるようにと言うロザリアに、ジュリアスも賛同の意を示した。
それから数日、守護聖達はフェリシアに惜しみなく力を送り、ロザリアは女王となった。
勿論、アンジェリークも補佐官として聖地へ赴いた。女王公認故に、聖地内でのデートも堂々と行える。但し、公私混同は厳禁。だからこそ、執務中のアンジェリークは極力オスカーに近づかないようにする。甘えてしまいそうになる自分を律する為に…。そして、執務中のオスカーは意識的に彼女を「補佐官殿」と呼ぶ。女王と違って補佐官は守護聖達に名前で呼ばれるというのに、彼だけが「補佐官殿」と呼ぶのは公私の区別を自分自身に言い聞かせる為。迂闊に名を呼べば、距離を保てなくなりそうだから…。
オスカーに最も近い位置にあることの多いジュリアスは、そんな2人の努力を評価していた。
「そなたは、女王にもなれたであろう才覚の持ち主。それは、我ら守護聖一同が認めるところだ。」
アンジェリークは何と答えて良いか解らなかった。
「遠慮などせずとも良い。試験中に育成を依頼した時のように、借りられる手は借りなさい。」
「あ、あの…。」
もしかして部屋の前での会話が耳に入っていたのか、と慌てるアンジェリークに、ジュリアスは表情は決して柔らかくはないものの穏やかな口調で続けた。
「陛下と共に宇宙を育成するつもりで居れば、自然と良い補佐官になれるであろう。」
一人で全部抱え込み、周りが見えなくなっていたアンジェリークは、ジュリアスの言葉に目から鱗が落ちるような思いがしたのだった。

「んなトコで何やってんだ、おっさん?」
心配そうにジュリアスの執務室の方を見上げていたオスカーは、突如背後から声を掛けられ背を叩かれて驚いた。振り返ってみると、ゼフェル、ランディ、マルセルが揃って目を丸くしている。
「オスカー様が、こんな風に背後をつかれるなんて…。」
ランディは、珍しそうに呟いた。他の2人も同感だと言った顔をしている。
何と言い訳したものか、とオスカーが考えていると、マルセルが閃いたように手をパンっと叩いた。
「わかった! ジュリアス様のお部屋に、アンジェリークが居るんですね?」
それを聞いて、ゼフェルが呆れたように零す。
「何だよ、また説教か? ジュリアスのやつも、よくもまぁ飽きずに、些細なことを論ってくれるよな。」
アンジェリーク以上に叱られるネタには不自由しないゼフェルは、しばらく前にジュリアスに捕まってしまった時のことを思い出して、うんざりしたような顔をする。
「あっ、出てきたみたいだな。あんなところで、深呼吸してる。」
「あのおっさんの話聞いてると気が滅入るからな。気分転換じゃねーのか?」
「やっぱり、ジュリアス様に叱られたのかなぁ。」
建物を出たところでゆっくりと深呼吸を繰り返すアンジェリークを見ながら、お子様組はあれこれ呟いた。
彼らと一緒にしばらくアンジェリークを見つめた後、オスカーは思い切ったように隣に居たランディに声を掛けた。
「お前達、昼飯は食ったのか?」
「えっ? あ、いえ、まだですけど…。」
突然の問いにビックリしながらも、ランディは答えた。
「これから3人でカフェテリアにでも行こうかって言ってたところなんです。」
「だったら、一緒にどうだ?」
これには、ゼフェルが反発した。ただでさえ、ランディと仲良くお昼御飯、なんて妙な話になってるのに、何故にオスカーとまで一緒にメシを食わなきゃいけねーんだ、と書かれた顔で口をパクパクさせている。
「あ、俺は構いませんよ。」
「僕もです。」
2人が答えたところで、ゼフェルは「反対!!」と叫びかけて、マルセルに口を塞がれた。
「勿論、ゼフェルもOKだよね。折角、オスカー様がご馳走して下さるって仰ってるのに、断るなんてそんな勿体無いことはしないよねぇ。」
マルセルの言葉に、ゼフェルは目を丸くしてオスカーの方を見た。確認を求めるような視線を受けて、オスカーは頷いて見せる。
マルセルは大人しくなったゼフェルから手を離すと、にっこりと笑った。
「それでは、アンジェリークを誘ってきますね。」
「ああ、頼んだぞ、マルセル。」
すっかりマルセルのペースに乗せられたオスカーは、少々複雑な気持ちを抱きつつ、うまくアンジェリークが誘いに乗ってくれることを祈るようにマルセルの背中を見送った。
程なくして、マルセルに連れてこられたアンジェリークは、オスカーも一緒と知ってUターンしかけたところをマルセルとゼフェルに両腕をロックされた。
「やだなぁ、アンジェリーク。カフェテリアはこっちの方向だよ。」
「おめーって、本当にとろくせーよな。」
決して方向を間違えて歩き出そうとした訳ではないことを解っていて、マルセルとゼフェルはアンジェリークを強引にカフェテリア方面へと連行した。ここでアンジェリークに逃げられたら、オスカーにお昼を奢ってもらえなくなってしまう。
「おめーらも、ぐずぐずしてんじゃねーぞ。」
ゼフェルに急かされてランディとオスカーは慌てて後を追い、カフェテリアで賑やかな昼食会が催されたのだった。

ジュリアスやマルセル達のおかげで、彼らに対する不必要な緊張などが解けたアンジェリークは、女王候補だった時の明るさや柔軟性を取り戻しながら、補佐官としての落ち着きも徐々に身につけていった。
そして月日が経ち、ある晩、アンジェリークはオスカー共々女王からの呼び出しを受けた。行ってみると、ジュリアスも同席している。
「こんな時間に悪いわね。」
少々砕けた口調で、ロザリアが切り出したのは、オスカーとアンジェリークの今後のことについてだった。
「アンジェリークは立派に補佐官の任を務めていますし、オスカーも身を慎んでいます。公私の別をつけられることも、これまでの生活振りで実証できました。これなら、2人の結婚を認めても大丈夫ですわ。」
そう語るロザリアの傍で、ジュリアスも同意を示すように小さく頷いた。
「勿論、オスカーに愛想を尽かしたならそう言って良くてよ、アンジェリーク。」
普段の態度を見ていれば、絶対にそんなことがあるはずもなく、むしろ試験を放棄しようとした時よりも互いに思いを強めていることは明白だったが、ロザリアはポカンとしているアンジェリークをからかうように声を掛けた。
すると、アンジェリークは真っ赤になって反論した。
「酷いわ、ロザリア! そんなことあるはずないじゃない!!」
叫んでしまってからアンジェリークは慌てて口を手で押さえる。執務時間を過ぎ、砕けた態度を取っていると言え、今のロザリアは女王として目の前に居るのではなかっただろうか。
「も、申し訳ありません、陛下。」
急いで謝るアンジェリークを見てロザリアは、楽しそうに笑った。
「いいのよ、アンジェリーク。本来、この時間はプライベートタイムですもの。」
それからロザリアは、オスカーの方を向くとちょっと意地悪な微笑みへと表情を変化させた。
「良かったですわね、オスカー。アンジェリークは愛想を尽かしたりしてないそうよ。」
「はっ、まことに喜ばしく存じます。」
表情を殆ど変えずに答えるオスカーの方を、アンジェリークは不安そうに見上げた。それを見て、オスカーはしっかりとアンジェリークの方へ向き直る。
「君が許してくれるなら、俺は今すぐにでも改めて結婚を申し込みたい。」
「オスカー様…。」
アンジェリークは目を丸くして頬を染めながら、しかしハッキリと首を縦に振って見せた。
「話は纏まったようね。それでは、そのように…。」
「承知いたしました。早速、然るべく取りはからいます。」
ロザリアの指示を受けてジュリアスは退室し、他の者もひとまず部屋を後にしたのだった。

それから数日後。ジュリアスの巧みな調整および有無を言わせぬ迫力によって正式にオスカーとアンジェリークの婚姻は認められ、守護聖達みんなの協力の元に盛大な結婚式が執り行われた。女王の祝福を受けて、今日からアンジェリークはオスカーの私邸へと移り住むことになる。
「おめでとう、アンジェリーク。」
式の後の内輪だけのパーティーで、ロザリアは完全に親友の顔になってアンジェリークを祝福した。
「ありがとう、ロザリア。」
アンジェリークは、応えながら目が潤んで来たかと思うと、ボロボロと泣き出してしまった。
「ちょっと、アンタったら何を泣いてるのよ。」
「だって…。」
なかなか泣き止まないアンジェリークに、オスカーも心配そうにその顔を覗き込む。
「ごめ…なさい。幸せ…ぎて…。やだ、もう、涙…とま…ない。」
そんなアンジェリークに呆れたように軽い溜息をついた後、ロザリアは彼女をオスカーの腕の中へと押しやった。
「まったく、幸せすぎて泣けるなんて羨ましい子ね。オスカー、これからもこの子のこと幸せにしておかないと、許しませんわよ。」
「はっ。陛下のお言葉、しかと…。」
「あら、今のはこの子の親友としての言葉ですわ。」
オスカーの返事を遮って、ロザリアは言葉を続けた。
「女王としての言葉は別にありますの。」
オスカーが姿勢を正すのを待って、ロザリアは辺りの者達にも聞こえるようにハッキリと告げた。
「結婚後も公私混同は厳禁。また、決してアンジェリークの遅刻回数を増加させることの無いように。よろしいですわね。」
「……御意。」
爆笑の渦の中で、アンジェリークとオスカーは恭しくロザリアの言葉を心に刻んだのだった。

-了-

《あとがき》
初のオスアン創作を書いてみましたが、オスカー×リモージュなどと銘打ちつつ、ロザリアが影の主役になってしまいました。
実は遅らばせばがらデュエットをプレイしまして、心はすっかりロザりんに…(^^;)
オスカー様とLLEDを迎えた後、やたらとオスカー様創作が書きたくなりまして、この度オスアン創作を執筆するに到ってしまいました。プレイはロザりんだったのに、何故か創作でのお相手はリモージュです。
途中まで書き進んで、かなり苦しくなりました。何しろ、オスカー様お得意の「お嬢ちゃん」が使えない!! ビジョンはあるけど文が……な状態に陥ったLUNAは、結局オスカー様の台詞を大幅に削る(ヲイ;)ことで乗り切りました。

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