君のいる場所23
金の曜日の晩。アリオスが夕食の支度をしているところへ電話が掛かって来た。
すぐにコール音が切れたので、アリオスは放しかけた手を再び戻したが、ふと電話機に目をやって通話中のランプが点いていることに気付いた。
「もしかして、あいつが取ったのか?」
そのままずっと点き続けているランプに、アリオスはアンジェがレイチェルと話し込んでいるものと思ったが、それからしばらくしてアンジェがコードレスの受話器を持って走って来るのを見て、背筋を一瞬冷たいものが走った。
「あのね、アリオス…。」
ちょっと言い難そうに、それでいて期待に満ちた目で駆け寄って来るアンジェを見て、アリオスの脳裏に警鐘が鳴り響いた。
「嫌だっ!!」
話を切り出す前に血相を変えて首を横に振るアリオスに、アンジェは目を丸くした。
「まだ、何も言ってないじゃない。あのね…。」
「言うな、聞きたくない。何も言わずにさっさとその電話を切れっ!!」
アリオスはアンジェの手から受話器を取り上げようとしたが、こういう時ばかり素晴らしい反射神経を発揮するアンジェは軽々と避ける。そして、アリオスの態度に驚きながらも用件を告げた。
「あのね、明日、セイラン様がこちらに夜桜見物にいらっしゃるそうなの。一緒に行かない?」
疑問系で言ってるものの、アンジェの心は既にお花見モードに突入していた。
そもそも親しい人から言葉巧みに誘われて、外せない用も無いのに断れるようなアンジェではないことは周知の事実であった。そしてアンジェにうるうるの瞳でお願いされて、滅多なことではその願いをはねつけ続けられるアリオスではないことを、セイランは重々承知していた。だからこそ、アリオスがすぐには電話に出られないであろう時間を見計らって電話を掛けて来たに違いない。
「ねぇ、ダメ? 絶対に嫌? どうしても行きたくない?」
がっかりしたような顔で、アンジェはアリオスをジッと見つめた。
「うっ…。」
上目遣いに見つめるアンジェの潤んだ瞳に、アリオスの心の中では反対と賛成の気持ちが戦闘を開始した。
「アリオス~。」
アンジェのお願い視線が、アリオスを捕らえて放さない。
「……行く。」
ついにアリオスが折れると、アンジェは嬉しそうに電話でセイランに告げた。すると、どうやらセイランがアリオスに代わるように言ったらしく、アンジェはアリオスに受話器を差出した。
仕方なくアリオスが電話を代わると、その向こうからはセイランの楽し気な声が聞こえて来る。
「キャンセルは受け付けないから、そのつもりでね。」
「わかってる。」
不機嫌に返した声に、セイランは一層楽し気に応じる。
「それじゃ、5人分のお花見弁当よろしく。」
「ちょっと待て。来るのはお前だけじゃないのか!?」
そう答えてしまった時点でお弁当作りを受諾したと取られても仕方がない反応を示して、アリオスは受話器に向って叫んだ。
「わざわざ行くのは僕だけさ。でも、こんな企画にアンジェリークがレイチェルを誘わないとでも思うかい?」
言われてみれば、アンジェはレイチェルを誘うだろうし、そうなれば当然エルンストにも声を掛けるだろう。
「だから、5人分。今更「否」とは言わせないよ。」
先程の言質と目の前に居るアンジェの期待に満ちた目に、アリオスは腹を括った。
「わかった、作る。」
「本当だね?」
「はいはい、作ります。作らせていただきますよ。作ればいいんだろ、作ればっ!!」
アリオスは自棄になったように叫ぶと、受話器のボタンをブチっと押して電話を切ったのだった。
翌日、アリオスが準備を整えて待っていると、レイチェル達を連れたセイランが夕闇の中をやって来た。
「やぁ、準備は出来てるかい?」
確信犯の不敵な微笑みに、アリオスは不機嫌な顔で弁当などを入れた大きな袋を目の前に突き出した。
「お見事。それじゃ、行こうか。」
セイランは済ました顔で歩き始めた。
迷うこと無く目的地を目指すセイランに、しばらく全員で大人しくついて行ったが、程なくアリオスはセイランの目指す場所としてある場所が思い当たった。
「おい、まさかお前が向ってる場所って…?」
「ああ、気付いたかい? そう、君の所有してるあそこだよ。」
セイランが指差した方向には、付近の住民が"公園"と呼んでいる場所があった。
「あそこは夜間立ち入り禁止だぞ。」
ムッとして立ち止まったアリオスに、セイランは平然とし、他の3人はアリオスの顔色をうかがうような視線を向けた。
「関係者以外、だろう? 僕達は関係者だよ。何しろ、所有者が同行してるんだからね。」
セイランの言葉に、アリオスはグッと言葉に詰まり、レイチェルとエルンストは「それは道理だ」と顔を見合わせた。
そして、セイランは涼しい顔で追い討ちをかける。
「あそこの桜はそれは見事だって緑の守護聖様の御墨付きだからね、この目で確かめたかったんだ。そんな綺麗な風景を、まさか今更アンジェリークにお預け喰らわせるなんてことはしないよね?」
「わ~、見てみたい。ねぇ、いいでしょ、アリオス?」
セイランの狙い通りに引っ掛かるアンジェに、アリオスは「もう、好きにしてくれ」という心境になった。
そしてアリオスは、公園で満開の桜から舞い落ちる薄紅の花びらのシャワーを浴びながら子犬のようにはしゃぎ回るアンジェの中に、ささやかな幸せを見い出したのであった。