君のいる場所20

ぽかぽか陽気の週末。いつものように昼近くまで眠っているアンジェをアリオスが起こすと間もなく、玄関のチャイムが鳴って明るい声が響いた。
「こ~んに~ちは~♪」
声を掛けてから少し間をおき勝手知ったるとばかりに入って来たメル達を見て、黙々とブランチをとっていたアンジェは照れ笑いのような表情で軽く会釈した。
「ふふふ、こんにちは、アンジェリーク。今日も美味しそうなお昼を食べてるね。」
「そのジャムはアンジェリークのお手製? 僕も食べてみたいなぁ。」
そう言って食卓へパタパタと駆け寄り、アンジェの向いの席に腰を下ろすメルとマルセルに、アリオスは慣れた素振りでお茶とパンケーキを出してやる。
頻繁にこちらへ遊びに来たがる者達の増加に、向こうの女王が次元回廊の申請書をいちいち捌くのが面倒になって「新宇宙の聖地への出入りは顔パスにするわ」と言って以来、隔週で訪ねて来るこの2人を最初は邪魔者扱いしていたアリオスだったが、今では慣れ親しんだ光景である。
「美味しい~♪」
「これなら、ジャム作りはもう教えること無いね。」
ニコニコしながらジャムをパンケーキに付けたりお茶に入れたりしている2人に、アンジェは嬉しそうな顔をした。
「マルセル様とメルさんの教え方が良いんですよ。ありがとうございます。」
アンジェにお礼を言われて、2人は嬉しそうな、そしてどこか安心したような表情で顔を見合わせた。
「よかった~。これなら、これからも遊びに来られるね。」
「はい、マルセル様。こうやって頻繁に遊びに来ても、アリオスに追い返されずに済みますね。」
手を取り合って計画の成功を喜び合うマルセルとメルに、勘付いていたこととは言え、アリオスはちょっと呆れたような表情を故意に浮かべた。
「やっぱり、お前らの狙いはそこだったんだな。」
アンジェにお菓子作りを教える、という名目で遊びに来るこの2人。建て前であることは明白だったが、アンジェが楽しそうだったしやる気満々だったので、アリオスは反対出来なかった。そうして習慣化してしまえば、予定を狂わされる訳でもないし、煩わしさも感じられなくなる。
「それにしちゃ、今日はおまけ付きみたいだが…。」
アリオスは、場の雰囲気に飲まれて立ち尽くして居たランディに視線をやった。
「お、おまけ!?」
「うん。実はね、僕達がアンジェリークとお菓子を作ってる間に、アリオスに剣の稽古を頼めないかと思ったんだ。」
おまけ呼ばわりに文句を言おうとしたランディの気勢を制するように、マルセルが簡単な事情を説明した。
「…という訳で、オスカー様が戻られるまで相手してくれる人が居ないんだ。」
「ふ~ん、あいつも一応真面目に守護聖やってたんだな。」
オスカーが休み返上で派遣軍との連携の指揮をとっている、と聞いて、隙あらばアンジェを口説こうとしていた姿ばかりが印象に残っていたアリオスは、感心した風に呟いてお茶を含んだ。そして、何口か飲んでから、続ける。
「だからって、どうして俺があいつの代役をしなきゃなんねぇんだ?」
「もうっ、アリオスったら。そんなこと言わずに、引き受けて差し上げたらいいじゃないの。」
アンジェとしては、アリオスが守護聖と仲良くしてくれるのは嬉しいし、その腕前を認められて頼りにされるのは誇らしかった。
「あの…。オスカー様の留守と関係なく、ランディ様は今日アリオスに稽古つけてもらった方が互いの為に良い、って僕が感じてるんだけど、それでもダメかなぁ?」
「本当に、そういう占い結果が出てるのかよ。」
「あ、えぇっと、占い結果とかじゃなくて勘なんだけど…。ダメ?」
訝し気に問い返すアリオスに、メルはちょっと怯んだ。そして、アンジェのような上目遣いをする。
「クッ、わかったよ。やってやる。その代わり、お前らもちゃんとアンジェにまともなもの作らせろよ。俺が見張ってないからって、サボって遊ぶんじゃねぇぞ。」
メルは顔をパ~っと輝かせた。
「は~い、わかってま~す。」
「今日のティータイムは期待しててね。」
自信ありげに請け負うマルセル達に見送られて、アリオスはランディと共に『公園』へと向ったのだった。

「この辺でいいかな。」
アリオスは、適当なところで練習用の剣をランディに向って放り投げた。
「この辺、って…。」
場所は広々と開けていたが、辺りには桜見物や散歩に訪れる人々が行き交っている。もしも剣が弾き飛ばされでもしたら危ないではないか、と困惑するランディに、アリオスはサラッと言ってのける。
「だったら、周りの奴らに被害が出ないように頑張ることだな。」
「そんな…。」
「実戦で、周りに無関係な人間が居ないなんて保証はないんだぜ。」
「それはそうだけど…。」
「大体、ここは俺の私有地だ。平日の昼間は解放してるが、黙認してるからって休日にまで入り込んで、厄介事に巻き込まれても自業自得ってもんだろ。」
「えっ!?」
驚くランディに、アリオスは刃を潰した剣を鞘から抜き取ると構えた。
「ほら、ごちゃごちゃ言ってないでさっさと掛かって来い。お茶の時間までに帰んなきゃいけないんだからな。」
そう言うとアリオスは剣先をランディの喉元で一旋させた。とっさにランディは飛び退いて、持っていた剣を鞘から抜き放つ。
「それでいい。ほら、掛かって来い。相手をしてやる。」
何が始まったのかと立ち止まって遠巻きに人々が見物する中、アリオスはランディをいいようにあしらった。
ランディが渾身の力で切り掛かると、アリオスは剣を合わせること無く身を躱す。そして、からかうように横や後ろから声を掛けるのだ。
「何処見てんだ? 俺はこっちだぜ。」
そして、時には突っ込んで来るランディに足を引っ掛けたりもするのだ。
「足元にも注意しねぇとな。」
「ぐっ…。真面目に相手してくれよっ!!」
避けたり足払い掛けたりするばかりで、ちっとも剣の相手をしてくれないアリオスに、ランディは頭に血を上らせて叫んだ。
「さっきから卑怯なことばっかりして…。俺のことバカにして楽しんでるんだろう!!」
「…卑怯、ね。お前、敵がいつでも正面から剣を合わせてくれるとでも思ってんのか?」
「えっ!?」
「だとしたら、本当に莫迦だな。聖地を守る『女王陛下の剣』なんてもんになるのは一生無理だぜ。」
ランディは、アリオスの言葉に首を傾げた。
「お前はどうか知らねぇが、俺なら目的次第では目の前の奴を倒すことよりその奥に居て守られてる奴を狙うことを優先する。」
目的が奥に居るものの命なら目の前の敵を始末する必然性はないし、そうでなくても守られる立場にある者の身柄は充分盾に使える。
「聖地が襲われて、誰かが女王を人質にしたら、お前はそいつに向って言うつもりか? 「卑怯だぞ。正々堂々と相手をしろ」って。」
「それは…。」
「直接剣を交えるばかりが戦いじゃないってことは、体験してるはずだろ。」
実際、あの戦いの折にランディが捕らえられたのは、レヴィアスによって操られた現地の住民に囲まれたのが原因なのだから。
「わかったら、さっさと立って掛かって来いよ。今度は剣を合わせてやるから。」
「ああっ、やっぱりバカにしてる。」
ムッとした顔で切り掛かって来たランディの剣を、約束通り正面から受け止めると、アリオスは簡単に押し返した。
「クッ…、俺にこんな簡単に押し返されるんじゃ、オスカーに遊ばれるはずだよな。」
「う~。」
「正面から力まかせに行っても、あいつから1本とるなんて出来やしねぇよ。」
突き放すように押し返してアリオスはランディに剣を振り下ろした。
「ハッ!」
「ぅわっ!!」
迫り繰る刃をランディは剣を掲げて受け止めようとする。そのランディの剣に触れる手前で、アリオスは刃を止める。
「あれ?」
「バ~カ。ちっとは避けるとか受け流すこと考えろよ。そんなんじゃ、命が幾つあっても足りないぜ。」
アリオスは笑いながら剣を引いた。
「またバカにして~!!」
ランディは真っ赤になって剣を振り回した。それをアリオスは受け流す。
「…っと、さすがにスピードは半端じゃねぇな。腰が入ってなくても結構響くぜ。」
「このぉ~っ!!」
ランディの鋭い一撃に、アリオスは一瞬だが真剣な表情になると剣を絡めるようにしてランディの剣を弾き飛ばした。
「痛っ…。ぅわ~、どこに飛んだんだ~。」
慌てて辺りを見回すランディの前で、アリオスは上を指差した。
「落ちて来たやつに当たると、死ぬかもな。」
ランディがキョトンとしていると、目の前で、落ちて来た剣が刃の半分くらいまで深々と地面に突き刺さったのだった。

「お疲れさま、アリオス。」
「どう? 少しは成果あった、ランディ?」
お茶の支度が整ったところにちょうどよく帰って来た2人に、アンジェとマルセルが相次いで声を掛ける。
「別に、疲れる程のことはなかったぜ。」
「あら、残念。お腹空かせて帰って来てくれるかと思って一生懸命作ったのに…。」
「だったら、勿体ねぇけどランディにたっぷり食わせてやれ。」
相当振り回してやったから、かなり腹減ってるはずだ。そんな風に楽しそうに笑うアリオスに、ランディはムッとした顔をしたが、マルセルとメルは目を丸くした。
「何だか、思ってた以上にアリオスの機嫌良いみたいだね。」
「一体、ランディ様ったら何やったんだろう?」
こそこそと囁き合うマルセルとメルに、ランディはそっと2人の肩を掴むと指先に力を込めた。
「2人して、何を企んでたんだ?」
「イタタ…、別に企んでた訳じゃないよ~。」
「ただ、ちょっとアリオスに暇つぶしを提供…、じゃなくて、ランディ様に視野を広げてもらおうと…。」
つい口を滑らしたところをマルセルに爪先で突つかれ、慌てて訂正したメルだったが、時既に遅しだった。
「アリオスの暇つぶしに、俺を焚き付けたのか!!」
渋るランディをあの手この手でその気にさせて、アリオスに剣の稽古をつけてもらうように唆した2人の真意を知って、ランディは2人の首根っこを掴んだ。
「わ~、ごめんなさ~い。」
「悪気はなかったんだよ。本当に、ランディの為にもなると思ったし…。」
何とか逃れようともがく2人に、ランディが更に目を釣り上げると、アンジェが取りなすつもりなのか事態が判ってないのか、とにかくのんびりと声を掛けた。
「ランディ様、お茶入りましたよ。ケーキも大切れです。さぁ、どうぞ召し上がって下さい。」
あまりにも場の空気にそぐわないことを言われて、ランディは拍子抜けした。そこへ、改めてアリオスが仲裁に入る。
「その辺で許してやれよ。お前だって、少しは得るものがあっただろ?」
「そりゃ、まぁ…。」
確かに、今日アリオスに言われたことはもっともだったし、オスカーとの稽古では得難い経験が出来たことは否定出来ないランディだった。
「互いの為になる、って言ったメルの言葉に嘘はなかったんだし、良いじゃねぇか。」
「あら、アリオスも何か得られるものがあったの?」
珍しく鋭い反応を示すアンジェに、アリオスは意味ありげな表情を浮かべるだけで答えをはぐらかした。そして、怒りを収めたランディや胸をなで下ろしたマルセル達と共に、午後のお茶の時間を楽しんだのだった。

-了-

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