君のいる場所19
バレンタインデー前日。アンジェはまたしても向こうの宇宙からマルセルとメルを呼び寄せて、朝からチョコレート作りに没頭していた。さすがに2度目ともなると事態の予測がついていたアリオスは前もってレイチェルと共謀してこの日のアンジェのスケジュールを調整させた。
端からアンジェのスケジュールを空けておくつもりだったレイチェルだが、アリオスに貸しを作るチャンスは無駄にはしなかった。見返りとして、或ことを要求する。
「あぁ? セイランの誕生会?」
「そう。セイラン様のために特別な料理と会場を用意してヨ。」
レイチェルの出した条件に、アリオスはこちらも最初から予定していたことを隠したまま渋々といった感じで頷いた。
「取り引き成立だね。それじゃ、期待してるから♪」
軽快な足取りで去っていくレイチェルの後ろ姿を見ながら、アリオスは口の端で軽く笑い、頭の中でゲストの人数と家にある材料をサッと再計算したのだった。
「やぁ、こんばんは。折角のお招きだからね、来てあげたよ。」
すっかり馴染んだ雰囲気でやってきたセイランは、出迎えに現れた人物を見て驚いた。
「わ~、セイランさん、いらっしゃ~い♪」
「…どうして、メルが出てくるんだい?」
レイチェルやエルンストが出てきたなら何とも思わないが、ドアが開くなりあの台詞を聞きながら飛びついてきたメルに、セイランは一瞬棒立ちになった。
「どうして?って、僕もお祝いに参加させてもらうんだよ。」
「ついで、ってやつだけどな。」
メルの後に続いた声に、セイランはその声の方に顔を向けた。
「やぁ。折角のお招きだからね、来てあげたよ。」
「その台詞はさっき聞いたぜ。」
「そう?それじゃ早速、中に案内してもらおうかな。」
アリオスにメルを剥がしてもらうと、セイランは案内されるままにスタスタとリビングフロアに進み入り、そこでも予想外の人物の姿を目にした。
「あっ、セイランさん。」
「いらっしゃいませ、セイラン様。」
楽しそうにお喋りに興じていたマルセルとアンジェが揃ってセイランの方を振り向いた。
「…どうして、マルセル様までいらっしゃるんです?」
「えっ? だって、僕も参加させてもらおうと思って…。」
セイランは、キョロキョロと辺りを見回し始めた。そんなセイランにアリオスは不思議そうに声を掛ける。
「何やってんだ、お前?」
「まさか、他にも守護聖様やらあの時の教官仲間が隠れてるんじゃないだろうね。」
元々、セイランはあんまり大掛かりに祝って欲しくなどなかった。招待に応じたのは、これが新宇宙にあるアリオスの家でのホームパーティーで、そしてそれぞれをダシにしてアリオスやアンジェで遊ぶのが大好きだからである。だが、守護聖達がぞろぞろと揃っていたら、いろいろ煩わしくて仕方がない。
「クッ、心配すんなって。俺が奴らを招待する訳ねぇだろ。」
セイランの不審そうな目に、アリオスは説明を補足した。
「さっきも言ったように、こいつらは"ついで"だぜ。アンジェのチョコ作りの手伝いに来て、そのまま付いて来ちまっただけだ。」
エルンストはここ最近こっちに詰めているだけのことである。
「へぇ、それなら良いけど…。それで、どんな風に祝ってくれるつもりなんだい?」
安心したのか、気を取り直して辺りに目をやったセイランは、そこにパーティーらしき飾りどころか椅子やテーブルすら無いのを見て首を傾げた。
「ああ、それじゃ始めるか。」
思い出したようにメルの襟首から手を放したアリオスは、フロアに点々と散らされたクッションチェアに適当に腰掛けるように言うと、照明を暗めに調整してキッチンへと消えた。
照明の落とされた部屋の中で、暖炉風のオブジェの明かりだけが暖かな光を放っていた。
アリオスがキッチンから全員分のシチューを運んで次々に配って回る間に、アンジェは飲み物の注文を取る。そして焼き立てのパンの入った篭が暖炉の前に置かれ、アンジェが飲み物を配り終えたのを確認したところで、セイランの誕生会が始められた。
「それでは…。セイラン様のお誕生日を祝しまして、乾杯~♪」
アンジェの音頭で面々がグラスやカップを捧げると、ささやかに拍手の音がした後、皆は黙々とシチューを口に運ぶ。場の雰囲気的に、わいわいと騒ぐような気にはなれず、会話も自然と押さえた口調になる。
そして、静かな割には弾んだ会話と素朴だが温かい料理でセイランの誕生会はひとまず終了した。アンジェやレイチェル、そしてお子様2人は場の空気に誘われるようにうとうとし始め、奥に設えられたマットの上で毛布に包まれる。
「さて、と。これからは大人の時間ってやつだな。」
アンジェを寝かせて戻って来たアリオスは、セイランとエルンストにワインボトルを掲げて見せた。
「いいね。」
「お相伴に預かりましょう。」
クッションを暖炉の方に寄せながら2人は答えた。
「俺はホットにするけど、お前らは? このまま飲むか?」
酒として楽しむならこのままの方がお勧め、とアリオスは言ったが、2人はホットワインに興味を示した。
ホットワインで満たしたカップを3つ、アリオスは静かに運んで来ると2人に1つずつ手渡し、自分も近くに腰を下ろした。
「やっぱり真冬の夜にはこれが温まるな。」
「へぇ、意外だな。もっと強いお酒が好きなのかと思ってた。」
元々のアルコール分が6%な上に、湯気と共にどんどんアルコールが蒸発して行くホットワインを好んでいる風のアリオスに、セイランは驚きの表情を浮かべた。セイランはあの旅の中で、夜中に抜け出したアリオスが酒場に居るところを何度も見かけたが、確かその時はもっとアルコール度数の強い酒をグイグイ空けていたと記憶している。
「酒として飲むなら、強いやつが好きだぜ。」
そう答えた後、アリオスはちょっとアンジェの方に視線をやった。
「でも、目を離した隙にあいつの口に入ると危険だし、今はもう酒に逃避する必要もなくなったしな。」
それにいくら身体が温まるからってお前らにウォッカのストレートはきついだろ、と楽し気に笑うアリオスに、セイランとエルンストは目の前のカップの中身とのギャップに目を丸くした。
しかし、いくら弱いとは言え酒は酒だ。場の雰囲気も手伝って、普段は口にしないような心の内なども零れ出す。
「誕生日が特別な日だなんて思ったことは無かったんだけどね。」
ぼんやりと暖炉の方を見つめながらセイランは呟いた。
「そりゃ、僕を産んだ人にとってその瞬間は特別だったんだろうけどさ。でも、毎年カレンダー上で巡って来る日付が何だって言うんだい?」
「そうですね。昔は私も同じことを思っていましたよ。」
エルンストが少し遠い目をしながら静かに同意を示す。
ずっと以前、レイチェルとの間に特別な感情が芽生える前まで、エルンストはセイランと同じように、誕生日など単なるカレンダー上の日付に過ぎないと思っていた。それが特別な日に変わったのは、少しだけ研究の手を休めて遊びに行こうと誘いに来たレイチェルの一言だった。
「生まれて来なかったらその大好きな研究だって出来なかったんだヨ。だから、誕生日くらいは自分がこの世に生まれて今まで生きて来たことを祝福してあげるべきだヨ。」
仁王立ちになって、片方の手は腰に、もう片方の手はエルンストに人さし指を突き付けて、胸を張って言い放ったレイチェルのえも言われぬ迫力に資料から手を離してしまったエルンストは、その後、自分の誕生日をカレンダー上の日付とは思えなくなったのだった。
「クスッ、レイチェルらしいね。」
セイランは軽く笑って先を続ける。
「僕にはそんなことを言ってくれる人は居なかったな。「おめでとう」って言って近寄って来る人が煩わしいばかりだったよ。」
「わかるぜ、それ。」
溜息と共に吐き出されたセイランの言葉に、今度はアリオスが同意を唱えた。
「上っ面だけでも祝う気があるならともかく、単なる形式だけとなると本当に鬱陶しかったぜ。誰も喜んでなんか居ねぇのに…。」
昔の自分を思い返して遠い目をしているアリオスに、2人は続きを促すような視線を向ける。
「口先で祝辞を述べながら、視線では「まだ生き延びてやがって」って語ってる奴らに囲まれてばかりだったな。」
例外としてエリスは心から祝福してくれて居たのだろうが、仕事柄どうしても彼に式典やら祝宴への参加を促さずには居られず、アリオスの記憶の中では、エリスに祝福されたことより怒られたことの方が強く印象づいているのだ。
「それはまた、随分と劣悪な環境だったんだね。」
さすがに自分はそこまで酷い状況ではなかったな、と目を丸くするセイランに、アリオスは苦笑した。
「そうだな。おちおち昼寝も出来ねぇ環境だったことは確かだ。」
「それでこちらへいらした当初は昼寝ばかりしてたんですか?」
アンジェの仕事を手伝う以前のアリオスの生活ぶりを知っているエルンストは呆れたように、そして少しからかうように問いかける。
「別にそういう訳じゃねぇよ。まぁ、ここへ来て気持ちが安らいだことは認めるが…。」
アリオスは眠っているアンジェの気配を背中で感じながら、話を戻すように言葉を紡いだ。
「とにかく、あいつに出会うまで、自分の誕生日が良いものだって思ったことは1度も無かった。」
「惚気てくれるね。」
「まぁな。」
クスっと笑うセイランに、アリオスは軽く目を細めるようにして視線を流しながら応えた。すると、セイランは故意に不思議そうな表情を作る。
「僕の、誕生日を祝ってたんじゃなかったっけ?」
「特別な日だなんて思ってなかったんじゃねぇのかよ。」
「そう、過去形さ。」
セイランは楽しそうに続ける。
「こんな夜に出会えるきっかけに使えるなら、自分の誕生日も悪くないよ。」
「そうですね。このような時間を過ごせる機会など、そうそうあるものではないでしょう。」
エルンストも控えめながら笑みを浮かべる。
「それじゃ、もう一度乾杯するか?」
アリオスが軽く掲げたカップにセイランとエルンストが応じ、そのままいろいろ話し込みながら3人は夜を明かしたのだった。場の雰囲気に酔うあまり、時々目を覚ましたお子様達が狸寝入りを続けながら聞き耳を立てていたことに気付くこともないままに…。
そして翌日。アンジェからのバレンタインチョコを受け取ったセイランは、その包装に厳しい評価を下すと、彼女がアリオスの為に作ったケーキの箱に対してアドバイスをしてから帰って行った。
「追加指導するにはもってこいのお祭りみたいだね。」
そんなセイランの言葉に顔を見合わせて何やら含みのある笑みを浮かべたマルセルとメルに、アリオスは「まさか…」と思いながらもすぐにそんなことは頭の隅に追いやり、アンジェの特製チョコケーキを大切そうに抱え込んだのだった。