君のいる場所18
元旦の早朝。年末から研究院に泊まり込んで居たエルンストと共にアリオスとアンジェの家を訪ねたレイチェルは、出迎えたアンジェの格好を見て驚いた。
「アンジェ、その着物…。」
「うふふ、いいでしょ。年末に買ってもらったの。」
淡いピンクの地に花の絵の入った訪問着。まるで特別に誂えたようにバランスよく合わせられた帯や小物。何処から見ても可愛く、そして少々大人びて見える。
「買ってもらった、って?」
誰に、とは聞かなくてもわかるが、何故こんなものを買ってやったのかは謎だった。
レイチェルの不思議そうな顔を見て、アリオスは事も無げに答えた。
「年末に買い出しに行った時に勧められて、似合ってたから買ってやったんだ。」
「だって、これって相当値が張るんじゃ…。」
衝動買いするには非常識な物品だ。
「別に、大したことなかったぜ。」
そう言ってアリオスが口に乗せた金額は、半端なものでは無かった。それを「大したことない」とは、日常生活において商店街で10円20円に目の色を変えてキャベツや大根を値切っている人間とは思えない発言だ。
「まさか、女王府の名前で伝票切ったり領収書もらったりしてないでしょうね?」
普段の行動から考えてその可能性は否定出来ない、とばかりにレイチェルはアリオスを睨みつけた。
「はぁ? んなことする訳ねぇだろ。」
アリオスは呆れた顔で答えた。
「滅多に出来ないプレゼントなんだぜ。自分の金を使わなくてどうすんだよ。」
大体、日頃食材を値切ってるのは金を惜しんでる訳では無くて、単にその方が楽しいからだ。実際、女王府から支給されている生活費は有り余っている。他の者達の手前かなりの金額をもらっているため、アリオスの口座には多額の金が眠っているのだ。
「食べ物以外ねだったことのないこいつが、珍しく欲しそうな顔したんでな。これはチャンスだと思ってさ。」
やたらとプレゼントを欲しがる女も厄介だが、何も贈らせてくれないというのも困ったものだ。記念に何か、とか思っても「傍に居てくれるだけで…」とか言われてしまっては大したことが出来ない。
「それにしても、これはかなり良いもののようですね。」
真面目に観察していたエルンストも驚いたように呟いた。
「ああ、そうみたいだな。チャーリーの奴が、そんなこと言ってた。」
「えっ、チャーリーさんが?」
既にチャーリーも年始の挨拶に来たのかと考えたようなエルンストに、アリオスは笑って説明を加えた。
「これ、あいつの店で買ったんだ。」
年末に買い出しに出かけたアリオスとアンジェは、催事場の前を通りかかったところをチャーリーに呼び止められた。晴れ着の祭典を行っていたところを見回りに来ていたチャーリーは、2人の姿を見つけるなり強引に中に引き込んだのだ。
「アンジェちゃんにピッタリのがあるんや。是非見てってぇな。」
そう言ってチャーリーが出して来たものを見て、アンジェは顔を輝かせた。
勧められるままに袖を通し、鏡の前でひらひらと腕を振ってみる。
「よう似合うとるで。なぁ、アリオス?」
「……。」
同意を求められたアリオスは、不機嫌そうな顔で着物とチャーリーを睨みつけていた。
「似合ってないの?」
アンジェは不安になっておどおどした。
「そないなこと、あるかいな。よう似合うとる。俺の目に狂いはない!!」
「ハッ、こいつに振袖を薦めるような奴の目なんざ信用出来るかよ。」
アリオスの言葉に、チャーリーは自分の失態に気付いた。
「あちゃ~、俺としたことが…。そうやった、アンジェちゃんは人妻やもんなぁ。ほな、こっち。こっちのやつ見てってや。」
チャーリーは慌てて2人を別のコーナーへ連れて行った。そして、先程のものと似通った色合いの着物を差出す。
「わぁ、これも素敵ですね。」
アンジェは喜んで袖を通してみる。
「今度はアリオスも文句ないやろ?」
チャーリーは自信満々にアリオスの方を見たが、反応は薄かった。
「何や、まだ不満があるん?」
「これだけでそんな顔するなんざ、俺をなめてんのか? 帯や小物も持って来いよ。あと、あるならバッグや草履や髪飾りもな。」
莫迦にしたようなアリオスの様子にチャーリーはグッと詰まった後、アリオスが言ったものを全て揃えさせ、帯や小物は実際に着付けた時のイメージが掴めるように、アンジェの身に簡単に付けさせた。
「バッグは着物に合わせたものを、草履はシンプルなのを選ばせてもろたわ。あと、この髪飾りやけど、パーティードレスを着た時にも使えるっちゅうお勧め品や。」
「ふ~ん、なかなか良いな。」
アリオスは、アンジェとそれらの装飾品をじっくりと眺めると、クッと喉奥で笑った。
「どうしたの、アリオス? 何か変?」
やっぱり似合わないのかしら、と不安そうに聞くアンジェに、アリオスは微笑んで答えた。
「バ~カ、逆だ。似合い過ぎだぜ。」
それからアリオスは、チャーリーの方を向くと、一式全部購入することを伝えた。
「ああ、ついでに長襦袢と足袋も入れてくれ。」
「毎度おおきに。ほな、半襟と着付け用の紐はサービスさせてもらいますわ。」
そう答えると、チャーリーは全開の笑顔でアリオスから小切手を受け取ったのだった。
「それで? サービスで着付けまでやってもらった訳?」
アンジェが自分で着られる訳がない。
話を聞き終えたレイチェルは、怪訝そうな顔でその隙なく着付けられた着物を眺めた。そんなレイチェルに、アンジェはキョトンとした顏をする。
「これ、さっきアリオスが着せてくれたんだけど…。」
「えっ!? あなたは、着付けまで出来るんですか?」
驚いて叫ぶエルンストに、アリオスは平然と応じた。
「出来なきゃ困るだろ?」
同意を求められてもどう反応していいか解らず、エルンストは曖昧に返答を濁した。そして、やはり同じようにこの言葉をどう解釈して良いのか頭を悩ませているレイチェルと共に、愛想笑いを浮かべたのだった。
だが、アンジェは2人が困惑していることにも気付かぬままアリオスに尊敬の眼差しを向けていた。
「本当に、アリオスって何でも出来ちゃうのよね。」
ニコニコと笑ってそんなことを言うアンジェにアリオスはそっと微笑み返した。そして、3人を連れて最も美しい初日の出が拝める場所へと歩き出したのだった。